5-⑤
「アウル!? どうしたの!?」
アウルの突飛な行動と、マデリンの声に周囲の視線が突き刺さる。
彼は無言のまま、大股でパーティー会場を出た。
演奏を背に、彼は大股で廊下を突き進む。
「ちょっと、アウル!」
アウルの様子がいつもと違う。
肩を揺らしても彼はびくともしなかった。
廊下には数名の使用人が控えていた。幸い、夜会は始まったばかりだから使用人の他に人はいない。
それだけが救いだった。
アウルは使用人に一部屋借りると、ソファの上にマデリンを下ろす。
「突然、どうしたの?」
マデリンは咎めるように言った。
彼がこんな行動に出た理由がわからない。彼は怒っているように見える。しかし、その理由がわからなかった。
何か彼を怒らせるようなことをしただろうか。
彼は眉根を寄せ、マデリンを見下ろす。
そして、彼はぽつりと呟くように言った。
「怪我」
「……え?」
「どこだ? 怪我しているだろ?」
「何を言ってーー……」
「顔色も悪い」
アウルはマデリンの頬を撫でる。
骨張った男らしい手に胸が跳ねた。
彼の視線が痛い。
「少し疲れただけよ。久しぶりにダンスなんて踊ったから」
「一曲の半ばで? そんなにか弱くないだろ?」
「失礼ね」
マデリンは唇を尖らせてそっぽを向いた。
視線を合わせるのが怖かったのだ。一番知られたくない秘密。
アウルにだけはこの傷を見られたくない。
「ちょっと足を怪我をしただけ。アウルが心配するようなことじゃないわ」
マデリンはアウルを突き放すように言った。
すると、アウルは突然床に膝をつきマデリンの足を持つ。そして靴を脱がした。
「ちょっと!?」
マデリンは思わず声を上げた。
いきなり靴を脱がされると思わなかったのだ。
慌ててドレスのスカートを押さえる。しかし、アウルは至って真面目な顔で言った。
「靴擦れ……じゃないな」
「乙女の足を持ち上げるなんて、紳士のすることじゃないわ!」
「君が素直じゃないからこうするしかないだろ?」
彼は咎めるような声色で言う。
まるでマデリンのほうが悪いことをしているみたいだと思った。
「観念して本当のことを教えてくれ。じゃなきゃ、今すぐ外の者に医師を呼びに行かせてしまいそうだ」
縋るような目にマデリンはどうしていいかわからなかった。
今のアウルなら、言ったとおり医師を呼びに行きそうだ。医師を呼べば騒ぎになる。
マデリンは唇を噛みしめた。
「……膝の裏。ふくらはぎのところよ」
マデリンは蚊の鳴くような声で言った。
アウルは眉根を寄せる。
「そんな場所をどうやったら怪我するんだ?」
心底不思議そうな声だ。
しかし、その場所に傷ができる意味を理解したのだろう。彼の顔はみるみるうちに青くなった。
まるで、彼が鞭打たれたあとのようだ。
心音がうるさい。ドクドクと脈打って全身を支配する。足の痛みすらどうでもよくなるくらい、胸が苦しかった。
言い訳を考えたいのに、頭が回らない。
「……猟銃を持ってきた日か?」
マデリンが言葉を発するよりも先に、アウルの低い声が響いた。
口の中が妙に乾く。
「マデリン」
アウルの声にマデリンの肩がびくりと跳ねる。
マデリンはぎこちない笑みを見せた。
「薬を塗れば大丈夫だから」
マデリンは薬を取り出す。
「これさえあえれば、大丈夫。だから、心配しないで」と言いたいのに、たったそれだけの言葉がうまく言えない。
「包帯がズレて傷に当たるの。それを直せば平気。だから――……」
「なら、薬を塗って直そう」
アウルはマデリンの手から薬を奪い取った。
マデリンが目を丸くする。
「もしかして、あなたがするつもり?」
「もちろん。そんな格好じゃ自分でできないだろう?」
「それは……そうだけど」
傷口を見られるのには抵抗がある。綺麗なものではない。
侍女は見るたびに顔を歪めていた。
そんな傷を見て、アウルはがっかりしないだろうか。たとえ、恋愛という枠組みの関係ではなくても、嫌われるのは嫌だった。
「マデリン、ソファにうつ伏せになって」
「や、やっぱり自分で塗る」
「大丈夫。傷の手当ては得意だ。男のほうがヤンチャだから」
「そういう意味じゃなくて……」
「なんだ? まさか、いまさら恥じらってるのか?」
アウルがカラカラと笑う。気にしているのはマデリンひとりだけ。そう思えるくらいに彼はあっけらかんとしている。
マデリンは唇を尖らせた。
「別に恥じらってなんかいないわ! そこまで痛くないから必要ないと思っただけよ」
「痛くなくても念のため。な? こういうのはひどくなると痛い目を見るんだ」
「わかったわ。なら、お願いしようかしら」
「任せろ」
マデリンはアウルの指示通り、ソファにうつ伏せになった。
少しだけ緊張する。
馬に乗るときは乗馬服を着用している。だから、足を見られることに抵抗はない。
しかし、乗馬服と素足ではまったく違うのではないか。
衣擦れの音が妙に大きく聞こえて、マデリンの心臓は張り裂けそうだった。
うつ伏せになっていてよかったと思う。きっと今のマデリンは真っ赤だ。
化粧のおかげで隠れてはいるかもしれないが。




