5-④
演奏が始まって、数人の男女がダンスホールに集まる。
そんな中、はっきりとした声色でアウルは言った。
「少し休憩しよう」
まだ始まってそんなに時間は経っていない。休憩するには早すぎる時間だ。
休憩しようなどと言っているのはアウルくらいだろう。
もしかしたら、ダンスを嫌うマデリンに気を使っているのかもしれない。
このまま、彼の提案を受けてはいけない気がした。
運命の分かれ道があるとしたら、今だと思う。
先延ばしにすれば、マデリンの足が限界が先に来そうだった。
膝の裏の痛みなど気にならないくらい心臓が早歩きになる。
「休憩には早いんじゃない?」
「ダンスが始まると会場もうるさくなるし、そういうの嫌いだろう?」
「そうだけど……」
マデリンは言いよどむ。
アウルは不思議そうに首を傾げた。
ダンスホールでは楽しそうに数組の男女が踊っている。
また一組、ダンスホールに吸い込まれていった。
マデリンはダンスホールに目をやりながら、唇をかみしめる。
(今しかないわ)
マデリンは手を握りしめると、アウルを見上げた。
「私なら平気よ。休憩するなら一曲踊ってからにしましょうよ」
言えた。
マデリンは早口で言い切った。
一人で何度も繰り返し練習した言葉だ。
前回断ってしまった分を取り戻さなければならない。
自然な形で言えただろう。
アウルは目を丸くする。マデリンの言葉に驚いたのだろうか。
「ダンスは嫌いだろ?」
「今日はそういう気分なの。一曲つきあってくれてもいいでしょう? 婚約者なんだから」
マデリンはアウルの腕を引く。
彼は少し困ったように眉尻を下げると、小さく頷いた。
「こういうのは男が誘うものだろ?」
「あら? 女が誘っちゃだめという法律はないわ」
男性から誘うのが一般的ではある。しかし、女が誘ってはいけないという決まりはない。
夫婦や婚約者、恋人などの親しい間柄なら、時折見る光景だ。
「それもそうだな」
アウルは小さく頷いた。
「でも、アウルが誘いたいっていうのなら、付き合ってあげてもいいわ」
マデリンが言うと、アウルは目を細めて笑った。
アウルが姿勢を正す。
合わせてマデリンも背筋を伸ばした。
彼は咳ばらいを一つしたのち、マデリンに手を差し出す。
「マデリン嬢、一曲いかがですか?」
彼のやや強張った声色に、マデリンは思わず笑みをこぼす。
たった一言に、なぜそんなに緊張しているのだろうか。
しかし、マデリンも同じくらい緊張していた。
アウルの差し出された手に、マデリンの手が重なる。
「よろこんで」
アウルの婚約者になって、何度か隣を歩いた。
しかし、これほど緊張した日は初めてかもしれない。
膝の裏の傷が痛まなければ、夢と勘違いしていただろう。
アウルの手がマデリンの腰を支える。これほどまでにアウルと密着するのは初めてで、心臓がさらに早歩きになった。
顔を上げればまつ毛の本数が数えられそうな距離。
思わず視線を外してしまう。彼も気まずかったのか、視線は交わらなかった。
音楽に合わせてステップを踏む。
足は痛んだけれど、それ以上に緊張が勝っているせいか気にならない。
「うまいな」
「アウルこそ」
彼がダンスを踊っているところを初めて見たかもしれない。
駆け落ちした婚約者
「嫌っていたから、苦手なのかと思った」
「アウルこそ」
ダンスは言うほど嫌いではない。
身体を動かすことは好きだ。ただ、社交として行うダンスはどうしても会話がついてまわる。それが、面倒だなと思ってしまうのだ。
気安く話せる相手でなければ尚のこと。一曲という短いようで長い時間を耐えるのは、マデリンにとって気力のいることだった。
その点、アウルなら嫌う必要はない。それどころか、何曲だって踊れそうだ。
ステップを踏むたびに、足の傷がジクジクと主張を始る。
まるで、膝の裏に心臓があるようだ。
バランスを崩してよろけてしまった。
アウルの腕に力が入る。マデリンの身体はぐいっと引き寄せられた。
「大丈夫か?」
「ええ、ありがとう。久しぶりだから失敗しちゃった」
マデリンは取り繕うように笑みを浮かべる。
痛みは増していく。
激しい動きに包帯がずれたのか、傷口に容赦なく当たった。
(帰ったら絶対怒られるわね)
塗り薬は一応持ってきている。しかし、一人でドレスを捲り上げて塗るには限界があった。
どうにか笑顔をアウルに向けた瞬間、突然アウルが足を止めた。
「アウル?」
「悪い」
アウルはそれだけ言うと、マデリンを抱き抱える。
急に横抱きにされたマデリンは思わず声を上げた。




