4-⑥
アウルの優しさが辛いのだ。
(アウルは友人としてよくしてくれているだけよ。驕ってはだめ)
アウルには好きな人がいる。
誰かはわからない。けれど、彼が結婚を望んでいなかったのは確かだ。
そして、マデリンは二人目の偽装の相手として自ら名乗り出た。
それを忘れてはいけない。
彼の優しさは万人に対するものだ。
優しくなかったら、彼の元婚約者の駆け落ちの手助けをするはずがない。
だから、マデリンはけっして驕ってはいけない。
マデリンの目から涙がこぼれた。
この涙が嬉しさによるものなのか、苦しさによるものなのか、マデリンもよくわからなかった。
***
気持ちはまだふわふわとしている。
それはルート家を出て、マデリンの部屋を戻っても変わらなかった。
夕食の席も、寝る準備のあいだも、マデリンは上の空だ。
マデリンの髪の毛に櫛を通しながら侍女が言う。
「お嬢様、どうなさいました? ボーっとして」
「なんでもないわ」
「なんでもないって顔ではありませんよ」
侍女が眉尻を下げる。
マデリンは笑顔を見せた。
「本当になんでもないの」
「デートは楽しかったですか?」
「ええ、楽しかったわ。美術館にいるのに、森の中のようだったのよ」
アウルと過ごした一日はとても楽しかった。
この息苦しさすら感じる家に戻ってくるのがいやになるくらいだ。
「それに、彼。お祖父様の猟銃を全部集めてくれたの」
「大旦那様のですか!? 五年前に処分されてしまった?」
「そうなの。見てびっくりしたわ。まるでお祖父様のコレクションルームみたいだったの」
「それは、本当によかったですね」
侍女は目に涙をためて言った。
マデリンは小さく頷く。そして、呟くように言う。
「彼には感謝してもしきれないわ」
どうこの恩を返していけばいいだろうか?
すると、侍女は嬉しそうに笑った。
「どうしたの?」
「そんな風に笑うお嬢様を見るのは久しぶりな気がして」
「そう? いつも通りだと思うけど……」
「以前は婚約者とのデート帰りはため息ばかりでしたよ」
「そうだったかしら?」
ルイードの婚約者として過ごした日々は、すっかり昔のことのようだと思った。
毎日がつまらなかったことだけは覚えている。
「五日後の夜会も楽しみですね」
「そうね。夜会は好きじゃないけど」
「でも、お顔は楽しそうですよ?」
「楽しいのとはちょっと違うかも。今回はやるべきことがあるの」
夜会は好きではないけれど、今回は目的がある。
前回、ダンスを断ってしまったリベンジをしなければならない。
アウルは思慮深いところがある。
おそらく、もうアウルはマデリンをダンスに誘うことはないだろう。
それをどうにかしなくては。
「きっとうまくいきますよ。そのためにもたくさんオシャレをしていきましょう!」
「ありがとう」
マデリンは笑った。
侍女のいつもハツラツとしたところが好きだ。
「今日はゆっくり休んでください」
「ええ。おやすみなさい」
マデリンは促されるまま、布団に入る。
しかし、簡単に眠ることはできなかった。
アウルの優しさをどう受け止めたらいいだろうか。
部屋にあったコレクションはどれも状態がよく、アウルがしっかりと管理していてくれたことがわかる。
彼の優しさを感じれば感じるほど、勘違いしそうになるから困ってしまう。
本当はマデリンのことが好きなのではないか? そんな気にさせられる。
眠ることはできず、マデリンはベッドから出た。
そして、ベッドの下に隠していた猟銃を取り出す。
狩猟大会の日、こっそりと屋敷に持ち込んだのだ。
あの日、父は忙しかったからできたことだ。
(お祖父様、アウルがお祖父様の魂を守ってくれました)
祖父の猟銃はどれも大切にしていたものだ。
亡くなってすぐに処分され、天の国で嘆いていたことだろう。それをアウルは救ってくれた。
(お祖父様、私はどうすればいいのでしょうか?)
マデリンの願いはほとんど叶っている。
だから、これ以上望んではいけないとも思うのだ。
アウルの妻として生きる。それでいいではないか。
しかし、一つ手に入ると、もう一つ欲しくなる。
わがままになる自身の心にマデリンは笑った。
(お祖父様がいたら、なんて言うかしら?)
いつも祖父はマデリンの味方になってくれた。
狭量な父はマデリンの行動を制限する。それを祖父の力で抑えてくれていた。
母と兄は口を揃えて言うのだ。「お父様に従いなさい」と。
マデリンは猟銃を抱きしめた。
『おまえはおまえの生きたいように生きなさい』
祖父の声が聞こえたような気がする。
彼はいつもマデリンの選択を尊重してくれていた。
ゆっくりと瞼を上げる。
(そうよね。私は私が生きたいように。だって、私の人生だもの)
マデリンはその日、祖父の夢を見た。
祖父が亡くなってから、彼の夢を見るのは初めてのことだった。
***
翌日、マデリンはいつもと変わらない日々を過ごしていた。
つまらない日常ではあるが、夜会のドレスを選び、猟銃を磨き、招待状の返事を書く。
遊びに来た母の友人たちに挨拶をする。
そんなよくある一日だ。
夜会まであと四日。その日まではおとなしくしていようと決めていたのだ。
しかし、嵐は突然訪れた。




