4-③
侍女が招待状を覗き込む。
「十日後。もうすぐですね」
「これに行こうかしら?」
「珍しいですね。お嬢様が自分から夜会に行く気になるなんて」
「そういう気分なの」
美術館に行くときに誘えば、アウルも付き合ってくれるかもしれない。
そうしたら、あの日のリベンジができるかもしれない。
リベンジは早いほうがいいだろう。
マデリンはそう思った。
***
マデリンは美術館に向かう馬車の中、アウルと向かい合って座った。
隣に座ろうか悩んだけれど、結局マデリンは向かいに座ることを選んだ。
婚約者なのだから。そう考えたが、マデリンばかり意識してしまいそうだった。
この気持ちを知られて、関係が拗れるのはいやだ。
やはり、向かいあって座ったのは正解だっただろう。
マデリンは馬車に揺られながらどう切り出すか思案していた。
(こういうときって、なんて誘えばいいのかしら? 『夜会に招待されたんだけど、一緒に行かない?』とか? それとも、『婚約者なんだから付き合いなさい』って言ったほうが確実かしら?)
言うに言えないでいると、アウルは不思議そうに首を傾げる。
「どうした?」
「べ、別に大したことじゃないわ」
「そんなこと言われたら、余計気になるんだが」
「た、ただ……」
マデリンはいいよどむ。
『五日後にある夜会に付き合ってくれいない?』
たったそれだけ。
しかし、今になって思う。
(五日後って急過ぎるんじゃない!? アウルだって迷惑だわ)
マデリンは思案した結果、別のことを口にした。
「きょ、今日はなんで美術館なの? そういう趣味があった?」
「ああ、その話か。いいや。芸術のことはまったく」
アウルは小さく肩をすくめる。
「なのに美術館?」
「今日の展示が森と命をテーマにしているっって聞いてさ」
「森と命ねぇ……」
「狩り行くには準備も必要だし、時間もかかるだろう? だから、こういうところなら自然を感じられるんじゃないかって思ってさ」
アウルは恥ずかしそうに笑った。
(もしかして、私のため? ……ううん、きっと私じゃないわ。アウルが自然を感じたかっただけよね)
アウルも狩りが好きだ。
だから、二人の共通点である自然というテーマを持った美術館を選んだのかもしれない。
二人は美術館の中を歩いた。静かな館内には自然と、そこで暮らす動物が描かれている絵画が並んでいる。
大きな熊が木に登って、木の実を食べている絵を見上げた。
「アウルは熊を狩ったことはある?」
マデリンは熊を毛皮の状態でしか見たことがなかった。
毛皮ですら大きいのだ。本物はもっと大きいのだろう。
絵画をよく見てみれたば、鋭い爪もある。
「ないな。趣味で狙うには危険すぎる」
「そうよね。私もそう思う」
猟を生業にしている人間ならまだしも、マデリンやアウルはただの趣味だ。趣味で命が危険にさらされるのは本望ではなかった。
「あんな爪で引っかかれたら体が半分になっちゃうかも」
「熊が出たら狩るよりも逃げよう」
「そうね」
マデリンとアウルは顔を見合わせて笑った。
マデリンとアウルが趣味で使っている狩場には熊のような大きな動物はいない。
貴族が使うために整備された場所だった。
だから、熊と遭遇して逃げることはないだろう。
二人は絵画を見ながらも、趣味の話で盛り上がった。
結局、芸術のよさはわからない。けれど、森の中を歩いたような爽快感があった。
「箱の中の森も悪くなかったわね」
「芸術のことはわからないが、楽しかったな」
「ええ、こういう展示ならまた来てもいいかも」
アウルと一緒なら、という但し書きがつくが。
「そうだ。よかったら、昼食はうちでとらないか?」
「ルート家で?」
「今日はお祖父様がひとりで暇そうにしていたんだ。マデリンとでかけると言ったらうるさくて。よかったらお祖父様に会っていってほしい」
「そうね。久しぶりにお会いしていこうかしら? でも、急に行っても大丈夫なの?」
急な訪問は嫌われる。しかも昼食もとなると、ルート家の人間は困るのではないか。
やはり、もてなすための準備が必要だからだ。
父が急に客人を連れて帰ってくると、屋敷の中は一気に慌ただしくなった。
そんなとき、母はよく愚痴をこぼすのだ。
あと半年もすれば、ルート家で暮らすことになる。その前に印象が悪くなるのはいやなのだが。
すると、アウルは心得ているかのように言った。
「両親は今、領地に行っているから、気にしなくていい」
「そう、それならお祖父様にお会いしようかしら?」
アウルの祖父とは、マデリンの祖父の葬儀を最後に会っていない。
婚約が決まったときも、アウルの祖父はいなかった。爵位を譲ったため、そういう場には出ないようになったのだとか。
久しぶりに会うのも悪くないと思った。
***
アウルの祖父はマデリンを見ると、目を皿のように大きく見開いた。
「マデリンか!」
「お久しぶりです。お祖父様」
マデリンは淑女の礼を取る。
「やあ、マデリン。よく来たね。見ないあいだにびっくりするくらい美人になった」
「お会いしたくて来てしまいました。迷惑ではありませんでしたか?」
「迷惑なんてあるもんか。酒でも飲みたい気分だ」
アウルの祖父は上機嫌で笑った。
すかさずアウルが口を開いた。
「お祖父様、昨日医師から酒は当分だめだって言われていたでしょう?」
「わかっておる。そういう気分というだけだ」
アウルの祖父はわざとらしくため息をついた。
そんなやりとりすら懐かしく思う。マデリンは目を細めて笑った。
「久しぶりにお会いできて嬉しいです」
マデリンは優しくアウルの祖父を抱きしめる。
随分と細くなったように感じた。
アウルの祖父はマデリンを席へと促した。
それを合図に昼食が運ばれてくる。この様子だとアウルとマデリンが来ることは事前に連絡されていたのだろう。
アウルの祖父はパンを半分に割りながら、しみじみと言った。
「こうやって会うのも五年ぶりか。時間が経つのは早いものだ」
「みんなで出かけていたころが懐かしいですね」
マデリンの言葉に二人が頷く。
マデリンにとって、祖父たちとアウルの四人で出かけていた時間は一番尊い思い出だ。
あの時間がずっと続けばいいと何度願っただろう。
たった五年でこれほど変わってしまうと、あのころの自分は考えてもいなかった。
「まさか、マデリンがアウルと結婚することになるとは。これであいつにも胸を張って会えるというものだ」
あいつ。
おそらくマデリンの祖父のことだろう。
二人は若いころから親友のような関係だと聞いている。
「あいつはずっと、おまえたちの結婚を望んでいたからなぁ」
マデリンとアウルは目を見開き、顔を見合わせた。




