4-①
アウルは部屋で一人項垂れていた。
(失敗した……)
アウルは先日の夜会を思い出す。
初めて、マデリンが隣に立った夜会だ。
それは突発的にやってきた。
マデリンは社交場があまり好きではなかったから、ひとりで行くつもりだったのだ。しかし、どういうわけか、マデリンは一緒に参加した。
彼女は責任感が強い。
ひとりで行こうとするアウルを不憫に思ったのかもしれない。
アウルは少しだけ浮かれていたのだ。
(あんなこと言うんじゃなかった)
『一曲どうだ?』
アウルは思い出して、頭を抱えた。
彼女の驚いた顔を思い出す。
婚約者となった今なら。そんな気持ちだった。
(ダンスが嫌いだって知っていたのに)
余計なことをしてしまったと今なら思う。
婚約者になったからといって、二人の関係が大きく変わったわけではない。
いまさら恋仲になりたいなどと、少年のように思っているわけではなかった。
ただ、彼女が側で笑ってくれていたら、それだけで満足だ。
それなのに、嫌いなダンスに誘うなんて馬鹿なことをしてしまった。
アウルが何度目かの大きなため息をついたとき、頭に衝撃が走った。
マデリンの愛馬に頭を甘噛みされたのだ。
「ああ、悪い。おまえの世話をしに来たんだったな」
愛馬の世話をしに来たというのに、先日のことばかり考えてしまっていた。
「婚約者というのは難しいな。おまえの主人を困らせてしまった」
マデリンの愛馬は機嫌よさそうにブラッシングを受けている。
「次に会うときになんて言うべきだろうか」
馬に聞いたところで答えは出ない。
それでもつい、相談してしまう。こんな格好の悪い相談、馬相手以外にできるものでもない。
(自分が婚約者なら絶対に彼女がいやがることはしないって、思っていたのになぁ)
アウルはため息をつく。
マデリンがルイードと婚約をしていたころ、幾度となく考えていたことだ。
聞こえてくるルイードの噂は、あまりいい噂ではなかった。
特に彼は女癖があまりよくない。アウルまで聞こえてくる噂話。マデリンの耳に入らないわけがない。
「自分なら悲しませないのに」そう考えていた。
それだというのに、嫌いな社交に付き合ってもらった挙句、好きでもないダンスにまで誘ってしまった。
少しだけ、ルイードが羨ましかったのだ。
毎回彼女の手を握り、踊る彼が。
(対抗心を燃やしてどうする。アウル・ルート)
またマデリンの愛馬がアウルの頭を甘噛みする。考え事などしないで構えと言いたいのだろう。
アウルは馬を見上げると目を細めて笑った。
「悪い悪い」
アウルは馬のブラッシングを再開した。
***
婚約者が踏み込んでいい領域とはどこまでだろうか。
領地から送られてくる書類に目を通しながら、アウルはそんなことを思う。
ルート侯爵家の一人息子として、アウルは父の仕事を手伝うようになった。
祖父が引退してからというもの、父は忙しくアウルも比例して仕事が増えた。それに関しては不満はない。ひとり息子という立場上、当たり前のことだからだ。
アウルは最後の書類に目を通すと、小さく息を吐いた。そして、天井を見上げる。
マデリンの婚約者になって、何が変わったのだろうか?
人ひとり分の距離。これが少しだけ縮んだ。
五年間続いたこの距離はおそらく、配慮の距離だったのだ思う。互いの婚約者に対する配慮だ。
これが縮んで、マデリンはアウルの隣に立つようになった。
(でも、本質は何も変わっていないような気がするんだよな……)
物理的な距離なんて意味はない。アウルとマデリンは婚約者である前に友人だ。それは、アウルが最初に始めた関係だった。
彼女の隣に居続けるための関係だ。
きっと、彼女はアウルを友人としか見ていない。
この関係に驕ってはいけないということだ。
もしも、この距離の取り方に失敗すれば、彼女がどこかに行ってしまうような気がするのだ。
アウルは小さなため息をついて、部屋を出た。
廊下を歩きながらも考えるのはマデリンのことばかりだ。
婚約者になったら安心できるものだと思っていた。しかし、婚約者になってからのほうが不安が多い。
歩いていると、向かいから歩いてくる祖父を見つけた。
杖をつきながらゆっくり歩く姿に駆け寄る。
「お祖父様。またひとりで。使用人に声を掛けてください」
「いい、いい。ひとりでも平気だ」
祖父は頑固なところがある。
足腰が弱ったというのに、ひとりでふらふらとすることが多い。
「アウル、仕事には慣れたか?」
「はい。まだ、簡単なことしか手伝っていないので」
多忙な父に比べたら暇なほうだ。
アウルは祖父を支えながら、祖父について行った。
使用人がついてくることは嫌うが、アウルのことはいやがらない。だから、見かけたら手を貸すようにしている。
「おまえは自己評価がうんと低いからなぁ」
「そんなことは」
「昔から人よりも器用なくせに、なんにもできんみたいな顔をするところは変わらんな」
「まだまだヒヨッコですよ」
「ふん。いいか? 一番じゃなきゃ最下位みたいな顔をするのは、おまえの悪い癖だ」
祖父の唾がアウルの頬に飛ぶ。今日の祖父は少し説教モードらしい。
こうなると長いことをよく知っている。
そして、祖父の言うことはアウルの胸を遠慮なく刺してくるから、いつも困ってしまうのだ。
「そういや、あの子とはどうだ?」
「あの子? マデリンのことですか?」
「ああ、今が一番楽しい時期だろう?」
祖父は目を細め笑う。
しかし、アウルはどう答えていいかわからなかった。
あまりうまくいっていないかもしれない。そんなふうに言ったら祖父も困ってしまうだろう。
「お祖父様、男女の友情ってどこまで続くと思いますか?」




