3-⑤
真っ赤な顔をさらに赤くして父は怒鳴った。
「なぜそうやっておまえは私の言うことを聞かない!?」
「前はルイード様がいやだと言うから狩りをやめていただけでしょう?」
「口答えするなっ!」
父の手はわなわなと震えている。
父はその日、マデリンの膝裏を鞭打った。
腫れた膝裏に侍女が痛み止めを塗る。
「お嬢様、結婚するまでは狩りをやめてはいかがでしょうか?」
「そうね~……。いたた。もっと優しくして」
「こんな足、見ていられません」
侍女は丁寧に薬を塗り広げていく。
「あと半年でしょ? あと半年、これくらい我慢できるわ」
「なんで痛みを我慢する方向なんですか? 普通、鞭打たれない方法を考えませんか!?」
「私の人生よ。どうするかは私が決める」
マデリンは笑みを浮かべた。
侍女は小さくため息をつく。呆れているのだろう。
「それにね。きっと私が狩りをしなくても、お父様は私を鞭打つわ」
「そんな……」
「今は猟銃を見に行くだけで鞭を打ってた。つまり、理由なんていくらでも作り出せるのよ」
わかりやすい理由が狩りだったのだろう。
父は気が弱く、狭量な人間だ。
マデリンがすべてを諦めて父に従順になれば、終わるようなものではない。従順になればさらに従順を求めてくる。
ただそれだけ。
「だったら、好きなことをしたほうがいいって気づいたの」
侍女は眉尻を下げ、マデリンは笑った。
膝裏は痛い。
けれど、今までよりも心は軽かった。
***
アウルがマデリンを訪ねてきたのは、それから次の日のことだった。
まだ痛む足を隠し、マデリンはアウルを迎え入れた。
「珍しいわね。あなたから突然訪ねてくるなんて」
「これくらいいいだろう? 友人であり、婚約者なんだからさ」
彼は言いずらそうに「婚約者」と言った。
アウルは慣れないなりに、この関係を消化しようとしているのだろう。
「それで? なんの用なの? 用もなく来たわけじゃないでしょう?」
「昨日、帰ったらお祖父様にこれを渡すように頼まれたんだ」
アウルはテーブルの上に籠を置いた。
マデリンは籠を覗き込む。中にはたくさんのイチジクが入っている。
「懐かしいわね」
イチジクはマデリンの祖父の好物だ。
五年前、四人で狩りにでかけた日もアウルの祖父はイチジクを持ってきていた。
「腐るからってうるさくて」
「明日でもよかったじゃない。昨日の今日で疲れているんじゃないの?」
「明日は夜会に行くから、寄る時間がなくてさ。三日も放っておいたらお祖父様にどやされる」
マデリンは首を傾げた。
「夜会? 聞いていないわ」
「そりゃあ、言っていないから」
アウルは目を瞬かせた。
「普通、二人で行くものでしょう?」
「そうだけど、マデリンはああいう場所嫌いだろ?」
「嫌いだけど……」
(でも、一言くらい相談してもいいでしょ!?)
夜会にパートナーを伴って参加するのは普通のことだ。
婚約者がいれば婚約者と行く。それは普通のことだ。マデリンは五年間、ルイードのパートナーを務めた。
楽しくもない夜会に何度も行った。
「絶対に参加しないといけない夜会でもないのに、行くのは面倒だろ?」
「それは……そうだけど」
「だから、一人でいけばいいし。長居するつもりもないから」
アウルはぎこちなく笑った。
マデリンは唇をかみしめる。
「行く」
「え?」
「一緒に行くわ」
「ええ!?」
アウルは目を丸くし、大きな声を上げた。
そこまで驚くようなことを言っただろうか。婚約者と夜会に一緒に行くのはごく当たり前のことだ。
「だって、婚約してから初めて行く夜会でしょう?」
「そうだけど……」
「一人で行くなんて、仲が悪いって言っているようなものじゃない」
「大きな夜会でもないし、別に誰も気にしないと思うけど?」
「男はそうかもしれないけど、女の世界はそういうわけにはいかないのよ」
ハンナの話を聞いていればわかる。
たった一つの行動で人生は変わってしまうのだ。
「そういうの気にしないタイプだと思っていた」
「大人になったのよ。少しはね」
「でも、明日じゃ準備も大変だろう?」
「ドレスを新調することはできないけど、行くことはできるわよ」
確かに夜会に行くには準備が必要だ。しかし、何日もかかるものでもない。
「今から行こう」と言われたら断ざるを得ないが、明日なら難しい話ではなかった。
「じゃあ、お願いしても?」
「もちろん」
マデリンは満面の笑みで頷いた。
夜会は嫌いだ。
小さい箱の中で酒を飲み、おしゃべりとダンス。何が楽しいのかわからない。
社交だというけれど、話す内容を聞いていれば、たいしたことは話していないように感じる。
けれど、アウルのパートナーとして参加するのであれば話は別だ。
彼の婚約者として彼の隣に立つ。そんな日をどれほど夢見て来たかわかるだろうか。
前の婚約者が隣に立っているのを見ながら、どれほど歯がゆい思いをしてきたかわかるだろうか。
そんな貴重な機会を逃すわけがない。
「明日は何色を着ていくの?」
「紺だけど」
「紺ね。わかったわ」
アウルが帰ったら急いで衣裳部屋を確認しなければならない。
紺色が入ったドレスはあっただろうか。
気持ちがそぞろになる。
「そんなことよりも、持ってきたイチジクを食べよう」
「アウルもけっこうイチジクが好きよね」
「おいしいからね。果物の中では三番目くらいに好きかな」
アウルは熟れたイチジクにそのままかぶりついた。
いつまで経っても変わらない。
***
侍女は目を丸くした。
「あ、明日、夜会に行くんですか!?」




