3-④
驚くのも無理はない。
マデリンの目の前には、五年前に無理やり売られたはずの愛馬がいるのだ。
愛馬はマデリンに頭を擦りつける。
「なんで?」
「五年前、たまたま買い取ったんだ」
「たまたまって……」
そんなにたまたまがあるものだろうか。
マデリンの瞳に涙がたまる。
「言ってくれたらよかったのに」
「いつか、言おうとは思っていたんだ。言うタイミングを逃してさ」
「ありがとう……。この子を守ってくれて」
五年前のマデリンは無力だった。
愛馬一頭守れないほど無力だった。
だから、考えないことにしていたのだ。愛馬のことを考えれば、自分自身の無力さに打ちのめされてしまうから。
「こいつは結婚までうちで大切にするから安心してほしい」
「本当にありがとう」
今、愛馬を連れ帰ったところでまた捨てられるだけ。だから、それが正解なのだろう。
「また乗せてくれる?」
問うと、愛馬は頭を何度もマデリンに押し付ける。早く乗れとでも言っているみたいだ。
五年前に戻ったみたいだった。
祖父の形見、ずっと一緒に駆けていた相棒。そして、アウル。
マデリンの記憶の中で一番幸福だったこころの記憶そのままだ。
近くに座って笑う祖父が見えた気がした。
マデリンはボロボロと涙をこぼす。
アウルはオロオロとマデリンの顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「違うの。こんなつもりじゃ……」
マデリンは何度も涙を拭う。
こんなつもりじゃなかった。
アウルにこんな格好悪い姿を見せるつもりはなかった。
なのに、涙が止まらない。
アウルの手がマデリンの頭を乱暴に撫でる。
「こういうときは泣いてもいいんじゃないか?」
いつのまにか、背はうんと抜かされてしまった。
手も大きい。
こんなに彼の手は大きかっただろうか。
「全部アウルのせいよ。アウルが……」
アウルが全部悪い。
「あー。ごめんな」
「感情がこもってない!」
そうだ。全部アウルが悪いのだ。
このタイミングで愛馬を連れてきたアウルが。
狩りに誘ったアウルが。
優しすぎるアウルが。
マデリンはしばらくのあいだ泣き続けた。
マデリンが落ち着いてから、予定よりも遅く狩りを始めた。
「久しぶりだから、あまり無理はしないでおこう」
「ええ」
「今日は馬で駆けるだけでもいい」
「そうね。それもいいかも」
五年ぶりに乗る愛馬の背中はとても大きく感じた。
空を見上げる。
空が近い。
たった馬一頭分。けれど、愛馬と駆ければ、空にだって飛んでいけそうだ。
「アウル! 早く!」
「早いって」
マデリンは駆けた。
こんなに気持ちがいいのはいつぶりだろうか?
その日、マデリンは心ゆくまで走り、笑った。
こんなに楽しい一日があっただろうか。
狩りの成果はなかった。
勘が鈍ったのだろうか。マデリンが撃つよりも先に獲物が逃げてしまう。
マデリンは野原に転がった。
その横にアウルは座る。マデリンはアウルの横顔を見上げた。
綺麗な横顔だなと思う。
通った鼻筋、長いまつ毛。癖のある鳶色の髪が風に揺れる。
マデリンはこんな日常を夢見ていた。すべてを奪われた日、もう二度と戻ってこないと思っていた日常だ。
「ねえ、アウル」
「なんだ?」
「私たち、下手になったわね」
マデリンはカラカラと笑った。
一匹も仕留められなかったことがあっただろうか。
「そうだな。お祖父様に笑われるかもしれない」
「そうね。言い訳を考えないと」
マデリンとアウルは顔を見合わせて笑った。
「久しぶりの狩りはどうだった?」
「鳥かごから出られた気分よ」
五年ぶりの外だ。
こんなにも気持ちいと知ったら、もう鳥かごの中には戻れないかもしれない。
「私もだ。ここはこんなにいい場所だったかな?」
いつも祖父たちと行く狩り場だ。
見慣れていたはずの場所。
しかし、今日のマデリンには新鮮に感じた。
マデリンは寝ころびながら言った。
「ずっとこの時間が続けばいいのに」
好きなことだけをやって生きていけたら、どんなに幸せだろうか。
しかし、マデリンもアウルも貴族として生まれた。二人には義務も責任も多くある。
「また来よう。昔のようにたくさんは来れないかもしれないけどさ」
「そうね。次があると思うと、ドレスを着るのも億劫ではないかもしれないわ」
風が吹く。
さわさわと野原が風に靡いた。
このまま風になれなくても、構わないと思えるのはアウルが隣にいるからだろうか。
***
マデリンが帰宅すると、父が目を吊り上げて待っていた。
(せっかくいい気分だったのに……)
マデリンは小さくため息をつく。
愛馬と別れ感傷に浸っていたというのに、父の顔がすべてを消してくれた。
父は真っ赤な顔をしている。
(そうとう飲んだわね)
マデリンは再びため息をついた。
こういう時の父は手がつけられないと、マデリンは学習している。
「私がいつ出かけていいと言った!?」
「アウルと会うと昨日言いました」
「狩りに行くとは聞いていない!」
パンッ。
小気味いい音が耳元に響く。




