3-①
マデリンは求婚状を見て、小さく笑った。
ルート侯爵家の紋章が入っている。彼は約束どおり、動いてくれたのだ。
『うちから求婚状を送るようにしよう』
いつになく真剣に言った彼の顔を思い出す。彼の言葉は抱きつきたくなるほど嬉しかった。
マデリンは手紙を手に、痛む足を引きずりながら歩く。
慌てて侍女がマデリンを支えた。
「お嬢様、本当に旦那様のところへ行くのですか? まだお怒りですよ!?」
「大丈夫よ。慣れてるから」
昨夜も父は怒りに任せてマデリンを鞭打った。ルイードとの婚約が反故になり、いらだっていたのだろう。けれど、痛みなどどうでもいい。
マデリンはとにかく早く、この求婚を父に受けさせたかった。
また面倒な男との結婚を強要される前に。
「お父様」
父の執務室に行くと、父は兄と相談中だった。兄はマデリンを見ると小さく息を吐く。
父は頬をひくりと振るわせた。
「なんだ? 部屋で謹慎していろと言っただろう!?」
「ごめんなさい。ルート侯爵家から手紙が届いていたから届けようと思って」
マデリンは手紙を差し出す。
父は奪うようにマデリンから手紙を奪い取った。
「なんと書いてあると思う?」
「なんでしょうか?」
「おまえに求婚状だ」
「私に?」
マデリンは驚いてみせた。
これがアウルとの計画だとばれてはいけない。父はなんでも自分の思い通りにしたいところがある。
マデリンに操られていると知ったら、この求婚状を破り捨てるだろう。
「でも、ルート侯爵家には婚約者がいたと記憶していますが」
「婚約は白紙になったそうだ」
「そうなのですね」
アウルが言ったとおり、恋人と一緒に婚約者は逃げられたのだろう。
羨ましい話だ。
すべてを捨てて逃げる。
五年前、マデリンにはできなかったことだ。
(私は逃げられなかった。でも、私は私の方法で幸せを手に入れてみせるわ)
「ルート家か」
父は悩むようにして手紙を見つめた。
悩んでいるのだろう。受けるか、蹴るか。
心臓が張り裂けそうだった。
「こんなことに頭を悩ませなくてはならなくなったのは、すべておまえのせいだ!」
「はい。申し訳ございません」
「お前があそこで猟銃なんて手にしなければ……! だから狩りなんて趣味はいやなんだ!」
父は怒鳴るように言う。
膝の裏がジリジリと痛んだ。
昨日の父はいつも以上に苛立っていた。
(お願いだから、早く「受ける」と言って)
「せっかくの公爵家との繋がりをお前は無下にしたんだぞ!?」
「はい」
「あんな伯爵家に取られて、恥ずかしくはないのか!?」
(むしろ嬉しいわ。あんなひどい男を引き取ってもらえて)
思っていることを言うことはできず、マデリンは俯いた。
「……申し訳ございません」
小さな声で言う。
(あともう少しの辛抱よ)
マデリンは心の中で唱えた。
すると、黙ってた兄が突然口を開いた。
「父上、ルート侯爵家からの求婚状、受けてはいかがですか?」
「なぜそう思う?」
「今回はマデリンに非はなかったということにはなりましたが、状況的にあたらしい結婚相手を探すのは難しいでしょう。ルート家がもらってくれるなら、それが一番かと」
マデリンの心臓は高鳴っていた。
あと一押しだ。
マデリンは口を開きかけ、閉ざした。
(沈黙は金。今は私が何か言う場面ではないわ)
心臓が口から出てきそうだった。
兄はマデリンを一瞥すると、小さく頷く。その意味はわからなかった。
「ルート家も婚約者に逃げられて困っている状況でしょう」
「そうだろうな。向こうは駆け落ちだそうだ」
「お互いにいい状況ではない。と、いうことは、ルート侯爵家であれば、対等な関係で結婚を進められるのでは? 他家であれば、うちの分が悪くなります」
兄の言葉はきわめて冷静だった。
マデリンはちらりと兄の顔を見る。
兄がマデリンの味方をしたことがあっただろうか。
兄妹とはいえ、彼とはあまり仲がよくない。
いや、そもそもの性質が違い過ぎたのだ。
マデリンは外に出て走り回りたかったし、兄は家の中で本を読んでいたかった。
だから、子どものころから関わりが最小限になっていたのだ。
「父上、早く返事をしないと、他で決まってしまうかもしれません。あれでいて、アウル・ルートは人気があります。伯爵家以下の他家からすれば、チャンスですから」
「……そうだな。すぐに返事を出す」
父はすぐにレターセットを取り出した。
マデリンは頬が緩まないように、唇を噛み締める。
父はペンを持ちながらじろりとマデリンを睨みつけた。
「決まるまでおまえは部屋で反省していろ」
「父上、マデリンは私が連れて行きましょう」
「ああ、頼む」
兄がマデリンの身体を支える。
マデリンは兄とともに父の執務室を出た。
「おまえは下手だな」
兄がポツリと呟いた。
「お兄様が私の味方になってくれるなんて思わなかったわ」
「別に味方になったつもりはない。ルート家が最適解だと思っただけだ。父上より私のほうが付き合いも長くなるからな」
兄はまっすぐ前を向いたまま言った。
マデリンは痛みに耐えながら、足を引きずるように歩く。
「お兄様は怒っていないの?」
「何を?」
「婚約破棄になって公爵家との繋がりがなくなったからよ」
「別に。一生あの男にヘコヘコしなくて済むことを考えたら、幸運だと思ったくらいだ」
「そう」
マデリンは小さく笑う。
兄とは一生わかり合えないと思った。
「今度、お兄様に困ったことがあったら、助けてあげる」
「猟銃でか?」
「お望みとあらば」
兄が肩を揺らして笑った。
今日の礼のためなら、それくらい容易い。
突然、兄が眉根を寄せてマデリンの顔を覗き込む。
「おまえ、調子が悪いのか?」
「ちょっとね」
昨日鞭打たれた場所がいつも以上に痛かった。
昨日の父は相当怒っていたから、いつもよりも手加減ができていなかったのだろう。
視界がぐにゃりと歪む。
「おい、マデリン!?」




