2-②
「……わからん」
「わからんって……」
アウルは眉尻を下げる。
祖父はアウルの隣に腰を下ろした。
「奪うか、離れるか、そばにいるか。どれかだ」
「奪うか、離れるか……。そばにいるか?」
「ああ。儂はそばにいることを選んだ。あいつの友人として、な」
あいつーーおそらくマデリンの祖父のことだろう。
「友人か……」
胸がギュッと締めつけられた。
「お祖父様は辛くなかったですか?」
「最初はな。だが、時間が解決してくれた」
「時間か……」
それは途方もなく長く感じる。
「嘆くな。うちの家系はいつもそうだ」
「うちの家系?」
「そうだ。素直になれない儂の血を引いたんだろう。すまんなぁ」
祖父はしみじみと言った。
この口ぶりだと他にも例はありそうだ。しかし、それを聞く気にはなれなかった。
(奪うか、離れるか、そばにいるか)
相手は公爵家。格上だ。
正面から対抗して奪えるとは思えない。
(何より、彼女の気持ちがわからない)
マデリンはどう思っているのだろうか。
この婚約で彼女は幸せだろうか。
彼女のことはわからないことばかりだ。
アウルが奪うことに成功したとして、それが彼女の望みかどうかはわからない。
(私は彼女の何も知らないんだな……)
知っているのは彼女が狩りを好んでいることくらいだ。
アウルは頭を抱えた。
物語のようにかっこよく奪えたならば、どんなに楽だろうか。
公爵家の婚約者を奪うとなれば、ルート侯爵家にも影響を及ぼす。
アウルはルート侯爵家の嫡男だ。
自分の感情に任せて動くことはできない。感情的になることで、多くの人間を巻き込む可能性がある。
こんなとき、意外と冷静に考えてしまう自分がいやになった。
あとさき考えず、マデリンの手を取れたら、どんなに幸せだろうか。
(あと少し……)
あと少し早くこの感情に気づいていれば。
もっと早く、自分の気持ちを認めていれば、彼女は生涯隣にいてくれただろうか。
すべては自分が招いたことだ。恨むのだとすれば、自分自身だろう。
「アウル、大丈夫か?」
「あまり。今すぐ自分の頭をピストルで撃ちたい気分です」
「馬鹿言うな。たかが恋。すぐに忘れる」
「お祖父様はすぐに忘れられましたか?」
祖父は困ったように笑った。
ずっと、忘れられなかったのだろう。
きっと、アウルもずっと忘れられないだろう。
アウルはこの先ずっとこの失敗を引きずり続けるのだろうか。
***
何日ものあいだ、アウルはマデリンのことを考え続けた。
考えたところで彼女がアウルのもとに来ることはない。そうだというのに、すぐ忘れられることを願うしかなかった。
ふと、アウルはなんとなしに外に出た。
屋敷の中にいると、両親がうるさい。
「トルバ家のお嬢様も結婚が決まったのだから、あなたも」
などと、母が見合い話を持ってきたりしているからだ。
今は結婚の話など聞きたくなかった。聞けばいやでもマデリンのことを思い出す。
いや、聞かずとも頭の中はマデリンのことでいっぱいなのだが。
突然、アウルは足を止めた。
無意識に向かっていた先はトルバ家がある方向だったからだ。
それに気づいたとき、恥ずかしさのあまり引き返そうかと思った。しかし、視界の奥に知っている顔を見つけて、アウルは駆け寄った。
「やあ」
「これは、ルート侯爵家の若様」
声をかけると男は深々と頭を下げる。彼はトルバ家の使用人だ。馬の管理をしている彼とは何度か顔を合わせたことがあった。
「この馬は、マデリンの?」
「ああ、はい。旦那様が売ってこいと。かわいそうに……」
男は心底悲しそうな顔をして、馬を撫でる。
「なぜだ?」
「お嬢様に狩りをやめさせるためですよ。馬も猟銃も全部。お嬢様もお可哀想に」
「マデリンはなんと?」
男は頭を横に振った。
「お嬢様には会っていないので。せめてこの子が幸せに暮らしてくれればいいのですが」
馬はアウルに鼻を押し付ける。
「なら、こいつは私が買い取っても?」
「いいんですか!? もちろん若様なら大事にしてくれるというのは、わかりますから」
「ああ、ただ、トルバ侯爵には私が買い取ったとは言わないでほしい。きっといやだろうから」
「もちろんです!」
男は何度も頷いた。
マデリンの狩り仲間だったアウルが、マデリンの愛馬を引き取ったことを知れば、彼女の父親はアウルを警戒するだろう。それだけは避けたかった。
男はホッと安堵のため息を吐く。
「よかった。お嬢様もこれで安心できるはずです」
「いや、マデリンにも言わないでくれ」
「へ? どうしてですか?」
「自分で言う。それまでは秘密にしておいてほしい」
「わかりました。どちらにせよ、この子を見捨てずに済んで助かりました」
男は深々と頭を下げた。
「猟銃も捨てると言っていたが?」
「ああ、それは別の者が昨日。大旦那様の大切な形見ばかりだったのですが」
男は眉尻を下げた。
もともとマデリンの両親は、マデリンが猟銃を握ることをよくは思っていない。それはマデリンの口から聞いたことがあった。
『あの人たちにとって、野蛮な趣味なのよ』
そんなことを言った彼女は、とても寂しそうだった。
「マデリンはそうとう落ち込んでいるだろう?」
「わかりません。私たちのところには顔も出してくれないので」
男は眉尻を下げた。
「それは残念だな。こいつのことは任せてくれ」
「よろしくお願いします」
アウルはマデリンの愛馬を撫でる。
こうしてアウルはマデリンの愛馬を譲り受けた。
たった一つ、アウルが手に入れたマデリンとの思い出だった。
***
マデリンのデビュタント当日。
彼女の隣には婚約者が立っていた。
二人の顔を見ることはできなかった。
二人が見つめ合った瞬間、うちにある感情がマグマのように吹き出してきそうになるからだ。
彼らの姿を見るたびに、「あそこにいるのは自分だったかもしれない」などという馬鹿なことを考えてしまう。
(わかっている。もしも、意味がないことくらい)
失ってから気づく恋ほど愚かなものはない。
最初からアウルは彼女の手を取る権利などなかったのだ。
アウルは極力二人を見ないようにした。それだというのに、なぜか目が彼女を追う。
あんな姿は見たことがない。
あんな肩を出したドレスで、澄ました顔をした彼女をアウルは知らなかった。
アウルの知っているマデリンはいつも野山を駆けていたからだ。
乗馬服を着こなし、金の髪を馬の尾のように一つにまとめ、颯爽と歩く姿は美しかった。
(結局、マデリンのことばかり見ているな……)
アウルは自嘲気味に笑った。
奪うか、離れるか、そばにいるか。
祖父の言葉が頭を過る。
まだ答えは決められない。
そんな中、マデリンが一人でバルコニーへと出た。
今しかないとアウルは跡を追う。しかし、すぐに足を止めた。




