何も気付いていなかったのですか? お可哀想に。
王立魔法学園。
そこに通う私――侯爵令嬢エリアーナ・ディ・ザナルディはある日を境に婚約者コスタンツォ・ブラーガ侯爵令息から婚約破棄を突き付けられる。
その後、私の手に負えない速度で数々の冤罪を着せられ、気が付いたら断頭台に立たされることになる。
……という運命を知った私は、学園の廊下を駆け抜けていた。
そして曲がり角を曲がったその時――一人の生徒と衝突しそうになる。
「っ、申し訳ございません」
「いや……エリアーナ?」
半身でそれを躱せば覚えのある声がした。
懐かしさすら感じる、優しい声音。
ハッとして顔を上げると、驚いた顔をしている男子生徒がいた。
ファウスト・ラヴィナーレ。
公爵家の嫡男であり、私の幼馴染だった。
赤い瞳が私を真っすぐ映す。
「ッ、ファウスト……」
「エリアーナ、よかった。丁度今お前を探して――」
彼が何を言おうとしているかはわかっている。
丁度この日だったから。
けれど私は彼より先に口を開いた。
「っ、お、お願い、助けて……っ」
***
私は一度、殺された。
数多の冤罪を着せられ、国民中の敵として。
きっかけはモデスタを私が虐めているという噂が流れた事。
勿論デマだったけれど、虐め関連の悪評はどんどん増えていき、やがて彼女を死に追いやろうとしたという噂まで流れるようになった。
そして私は徐々に孤立していく。
嫌な予感はあった。
誰かの悪意を感じた。
私がこうなることを望んでいる者の気配はあった。
このまま転んだ先に良くない事が起きているのでは、という予感があった。
「頼ってくれ、エリアーナ」
そんな時だった。
ファウストだけが、孤立した私に手を差し伸べてくれた。
「お前が困っている事なら、必ず何とかしてやる。だから、迷わず助けを求めて欲しい」
そう言ってくれた彼の言葉が嬉しかった。
けれど……同時に怖かった。
私のこの嫌な予感が杞憂かも知れない。
実は事は私が思っているよりも深刻ではなくて、ある日突然これまで通りの日常がやって来るかも知れない。
その時、事を荒立てた私は大袈裟な奴として嫌われるかもしれない。
そうでなくても、ファウストがいつ噂を信じてしまうかもわからない。
そして何より……迷惑を掛けたくはないという気持ちが強くあった。
だから私は――
「……何でもないわ」
――そう答えた。
結果から言って、私の予感は的中した。
私は大勢の前で婚約破棄を突き付けられ、数多の冤罪を掛けられた私は、弁明の余地もなく泣き崩れる。
「何も気付いていなかったの? 可哀想ぉ」
そんな私にだけ聞こえる声で、モデスタが嘲る声があった。
それから先も私の冤罪はどんどん積み重なり……後にモデスタが『聖女』という世界に一人しかいない特別な力を持つ存在であると謳われるようになり、私は聖女の命を奪おうとした悪女として断罪される事となる。
「エリアーナ!!」
断頭台の上、皆が蔑みの視線や石を投げる中で、必死に私の名を呼ぶ人がいた事に私は気付いていた。
騎士に捕らえられながらも私の無罪を叫び続ける、大切な幼馴染。
私を一切疑わず、最後まで必死になってくれる彼の姿を見て、私はあまりにも遅すぎる後悔を抱く。
(ああ……私、もっと彼を信じればよかった)
彼ならばきっと、思い違いであっても私を見限るなんて事もなかっただろうに。
(もっと早く、助けてって言えばよかった)
人目を憚らず、私の無罪を訴えてくれるような人だ。
きっと私の為に独自で動いてくれていたのだろう。
もし、私が躊躇わずに彼の力を借りていたら……共に動けていたら、何か変わっていたのかもしれない。
そんなどうしようもない後悔に苛まれ、私は涙を溢した。
そして、泣きじゃくる私の首に大きな刃が落とされて――
***
目が覚めると、そこは自室だった。
夢を見ていたのかとも疑ったけれど、あの日の肌寒さや首を固定される感触、怒号や非難、首が胴から離れて視界がぐるりと回る感覚はあまりに鮮明だった。
夢ではないとすぐに思い直す程に。
それから私は時系列を確認する為に使用人や家族に話を聞いた。
私が目覚めたのはどうやら、婚約破棄の一ヶ月前。
どのような因果からかはわからないけれど、私は自分の運命を左右する出来事の前の時間軸に戻ったのだ。
こうして自分の人生をやり直す機会を得た私の頭を真っ先に過ったのは、死の直前に抱いた大きな後悔――ファウストの事だった。
私は学園へ向かうや否や、彼の姿を探した。
今度こそ、あの後悔を味わわなくていいように。
そして……
***
「……近いうちに冤罪を着せられ、社会的に孤立させられてしまうかもしれないと?」
私はファウストに助けを求めた。
この場で話すにはあまりにも軽率だと、裏庭まで移動した私達は、周囲に人がいないことを確認し、声を潜めて話し合う。
「ええ。今の私の悪評には明らかな悪意を感じる」
「まぁ、十中八九、モデスタ嬢辺りによるものだろう。最近のコスタンツォのモデスタ嬢へ肩入れ具合も鑑みれば、あの二人が結託して何かを企んでいてもおかしくはないか。それこそ、互いに結ばれ合う過程で必要となる婚約破棄の正当性作り……とかな」
ファウストは私の予想以上に、私の言葉をすんなりと信じてくれた。
「……何だ」
それに驚き、彼をまじまじと見ていると怪訝そうな視線が返される。
「え? い、いや。……予想以上にあっさりと信じてくれるなと」
「当たり前だろう。エリアーナに誰かを蹴落とそうとするだけの勇気は持てないだろ」
「ど、どういう意味……!?」
「基本的に弱腰という事だ」
あんまりな言い方だとは思うが、実際には図星だという自覚もある。
ファウストの言葉に何も言えないでいると、彼はフッと笑って私の頭を撫でた。
「だが……少しだけ見直さないといけないな。お前が頼ってくれてよかった」
私が誰かに助けを求める事すら出来ないような弱虫であった事。
それを知っていたからこその言葉だったのだろう。
申し訳なさと嬉しさから、視界が滲むのを感じた。
それから私は、自分が一ヶ月後に着せられるだろう冤罪について、ファウストに詳細に語った。
私達はその情報を基に、最短で最善を尽くせる対策を話し合い、ファウストは自分の家や本人が持つ人脈などを活用して私をサポートしてくれる運びとなった。
そして迎えた――一ヶ月後。
***
「エリアーナ・ディ・ザナルディ! お前との婚約を破棄する!!」
涙に目元を濡らすモデスタと、彼女を庇うコスタンツォが私の前に立ち塞がった。
周囲には大勢の生徒が集まっている。
「理由は――」
「理由は、モデスタ様を虐めたからですか?」
高らかと、自らが用意して来たであろうセリフを言い放とうとする声を、私は遮る。
コスタンツォは言葉を詰まらせた。
私はそれに、嘲るような笑みと視線を向ける。
「何も気付いていなかったのですか? お可哀想に」
「な……っ」
「お生憎、私はお二方がこの場で何を仰ろうとしているのか、既に調べはついているのですよ?」
調べ、というのは嘘ではあるが、この場で『死に戻りました』などとは言えないので、それっぽい事を並べておく。
問題なのはここの真偽ではなく――その先の立ち回りなのだ。
「私はモデスタ様がいない時を狙い、物を隠したり、人目を避けた場所で彼女に暴行を加えたり、事故に見せかけて階段から突き飛ばそうとしたり、身の危険を感じさせるような脅し文句を吐いて彼女を怯えさせ、果てには彼女を自殺未遂にまで追い込んだ、と。これであっていますか?」
「な……っ、な……っ」
「そういう筋書きを、ご用意してきたんですよね?」
世の中とは何とも不条理なもので、大抵の揉め事は先行的な意識が優位に立つ仕組みになっている。
前世の私が彼らの言い分に屈したのは、事前に撒かれた悪評の種があった事と――婚約破棄の日に、詳細に用意された出まかせを先にでっち上げられてしまったからというのが大きかった。
悪魔の証明――無実を証明する事は時として、偽りの罪を擦り付ける事よりも困難な事がある。
要は、言ったもん勝ちの要素が強い戦いで最初に仕掛けられなかった時点で、過去の私の敗北は殆ど決まっていたのだ。
だからこそ私は、その運命を覆すべく先手を打つ。
彼らが事前に用意していた脚本を、先にこちらで全て明かすのだ。
先に明かし、『二人が私に冤罪を着せようと企んでいた』という事実を先に観衆に提示する。
これにより、彼等が全く同じ事しか言えないのであればその状況を訝しむ環境が出来上がる。
「そ、その通りだが……っ」
「でしょうね。私を陥れ、婚約破棄を正当化し、モデスタ様と婚約されたいのですものね?」
「い、言い掛かりだ! それはお前が自らの罪を自覚しているからこそ、話せる事ばかりで――」
「被害者側から語られる言葉が、一言一句、私と全く同じ言葉選びにはならないかと。事実だというのであれば、それを証明するにはご自分のお口で話すしかありませんよ。それに、私の身に覚えがない罪だってもっとあるかもしれませんし」
「た、確かに、エリアーナ様が仰った事を、私達は話そうとしていました。けれど……っ」
「私が一人でいて、アリバイが立証できない詳細な日時を記録し、具体的な犯行記録を捏造していらっしゃるのですよね?」
モデスタが必死に口を挟む。
けれど彼女が話そうとした事も、既に一周目で経験済みだ。
モデスタが言葉を詰まらせ、顔を強張らせる。
彼女の好きにはさせない。
「随分丁寧に記録されたのではないですか? 例えば、三週間前の二つ目の講義が終わった頃、教室の移動中に人気のない廊下に連れ出されて暴行を加えられたとか、その二日後、昼休憩に偶然を装って階段から突き飛ばされたとか、ああ、その日は放課後にも、私がモデスタ様の馬車に細工をする姿を見たとか、それと――」
私は早口で捲し立てる。
一周目で着せられた罪を。二人が私の行動を密かに観察した上で詳細に纏めていたアリバイの証明が不可能な冤罪の数々とその実行日時を。
それら全てを吐き終わった頃には、コンタンツォとモデスタの顔は蒼白としていた。
当然だ。自分達が密かに、綿密に練っていた計画が何故かすべて筒抜けだったのだから。
「ああ、ご安心ください。勿論こちらは全て、モデスタ様に実際に行ったからこそ覚えていた……なんてものではございません。私はこれらの冤罪を掛けられたとしても、自分の無罪をしっかり主張することが出来ます」
私は笑顔で手を打つ。
他者を責め立てるのはあまり得意ではない。
けれど、この時ばかりは虚勢を張り、舐められてはいけない。
ここを乗り切らなければ、待っているのはあの時と同じ、深い悲しみや後悔に苛まれた死だ。
そして今の私には、一周目には抱くことが出来なかった勇気が胸の内に宿っていた。
――信じられる味方がいると、私は知っているから。
私は野次馬の中からファウストの姿を見つめる。
互いに視線を交わし、頷き合う。
そして――
私は手を一つ打った。
「それではどうぞ、こちらまでいらして頂けますか?」
その合図と共に私達の前へ現れたのはファウストを含めた十人近くの生徒達。
一ヶ月前までは私とは殆ど接点がなかった――ファウストの声掛けや頼みで集められた者達だ。
「彼らは皆、今列挙した時間軸のアリバイを立証してくださる方々です。例えば、三週間前のあの事件では同じ時間帯に私が真っ直ぐ教室へ向かうところを目撃した方、階段の件につきましても同じ時間帯に裏庭にいた私を少し離れたガゼボから見かけた方ですとか。ああ、勿論その後の馬車につきましても――」
私は再び、コンタンツォ達が用意していたであろう冤罪を並べつつ、その時間帯のアリバイを証明してくれる方々を丁寧に独りずつ指し示す。
示された者達も皆、私の発言が事実である事を肯定するように頷きだけを返していた。
「……という事で。以上が私の主張でございます」
そう私が締め括った頃。
周囲には重苦しい程の静寂が訪れていた。
「何か他にお話ししたい事がございましたら、どうぞ? 勿論、私が触れた事とは全く無関係の罪をお二人が御存じの可能性もありますから」
今度こそ、私は話の主導権を二人へ譲る。
……しかし。
「う、嘘だ……そ、そんな……っ」
コスタンツォはぶつぶつと呟きながら震え上がるだけで、モデスタはブルブルと肩を震わしながら髪を掻き毟り、私を睨み付けた。
「な、何なのよ……っ、アンタ――何なのよぉォォオッ!!」
「ああ、勿論。婚約破棄は受け付けましょう。後日慰謝料の請求を致しますので、しっかりお支払いくださいね」
大きく取り乱すだけで何も発言しない二人の肩を持つ者など、もうここにはいない。
私は今日着せられるはずだった冤罪のほか、これまで流れていた悪評に関しても払拭する事に成功したのだった。
***
それから、一ヶ月が経った頃。
「コスタンツォとモデスタの極刑が決まったぞ」
学園の昼休憩でお茶を嗜んでいると、ファウストからそう告げられる。
「大聖堂の関係者を脅し、聖堂の地下に保管されていた神具を盗もうとしたとか……まぁ、お前の言う通りだったな」
「そう」
神具。
聖女と同等の力を纏った特別な道具だ。
そう。一周目でモデスタが聖女と呼ばれた所以はこれだった。
故に私はファウストに相談し、先手を打たせた。
家族をだしに脅される運命にあった大聖堂の関係者を保護し、逆に味方に取り込み、証言者に仕立て上げた。
そしてならず者を雇って神具を奪おうとしていた二人は捕らえられたならず者の証言によって罪が発覚。
神具を盗み出す事は我が国にとって神をも冒涜するおこない。
これを重く受け止めた国王は、二人へ極刑を言い渡したのだ。
こうして、私を死に追いやる者はいなくなった。
「なぁ、エリアーナ」
私が涼しい顔をしていると、ファウストが私の手を取る。
そしてその甲に口づけをし――
「ずっと悔やんでいた。悪評が流れる前からお前の傍にいれたら、と」
黒髪の下、憂いるように瞳が揺れる。
「一度目の俺も、お前を守り切れなかったんだろう? 不甲斐ない限りだ」
全てが終わった後。
私はファウストに回帰の事を告げた。
彼ならば、信じてくれるだろうと思ったのだ。
そしてその予感は、的中した。
彼は私の言葉を疑うことなく、耳を傾け、それから心苦しそうに顔を歪めて「すまない」と言ったのだ。
「今度こそ、誰よりも近くで守らせて欲しい。傍に居たいんだ、エリアーナ」
幼い頃、ファウストとではなく、コスタンツォとの婚約が決まったのは、当時財政が不安定だった我が家との婚約にラヴィナーレ公爵家が慎重だったからだ。
けれどその問題は数年前には解決している。
私達が共にいる事を阻むものはもうなかった。
……彼の想いが嬉しい。
そして今、彼からこんな言葉を聞け、こんなにも心が満たされている未来を心の底から喜ばしいと思った。
「……喜んで」
誰かを頼る事は、きっと悪ではなかった。
弱みを見せて、嫌われる恐れや罪悪に耐えて、助けを絞り出す事。
それもきっと、一周目の私にはなかった『勇気』そのものだ。
そして私はもう、きっと躊躇う事はないのだろう。
目の前で私を真っ直ぐと見つめる彼が、どんな状況に陥ろうとも私を信じてくれる存在だという事を、もう知っているのだから。




