女王の国【10】
エレアノーラとラトカが誘拐された二日後。新女王ユリエの戴冠式が行われた。
ログレス王国では神職者からレガリアと呼ばれる王冠、王笏、宝珠を受け取るのだが、このレドヴィナ王国の戴冠式では先代の女王が次の女王にレガリアを受け渡す。だがら、この戴冠式でユリエにレガリアを渡したのはエリシュカ女王……すでに、先代女王と呼ぶべきだろうか。
神職者が新しい女王が生まれたことを宣言する。来賓席から戴冠式の様子を見ていたエレアノーラは、その宣言に合わせて拍手を送った。
この国では、退位した女王は王都に住むことができない。だから、戴冠式後三日以内に、エリシュカ前女王は王都を退去することになる。おそらく、フィアラ大公位を息子に譲る現在のフィアラ大公……ウルシュラも、領地に戻るのだろう。レドヴィナは世代交代の時期なのだろう。
そのフィアラ大公ウルシュラであるが、彼女は新女王の母親としてではなく、筆頭貴族フィアラ大公家の当主として戴冠式に出席していたらしい。来賓席の反対側にいるのが見えていた。どうでもいいが、素晴らしいまでに公私がはっきりと分かれている人だ。
戴冠式後、再び舞踏会が開かれた。エレアノーラとレグルスは明後日には帰国する。その前に、一応聞いておこうと思った。
「リリアナ様、どうなりました?」
フィアラ大公を舞踏会会場で発見し、エレアノーラは自分から話しかけた。彼女は夫共に壁の華になっており、話しかけやすかったのだ。ついでに言えば彼女らは無駄に存在感があるので目立つ。
「立件は望まないんじゃなかったの?」
フィアラ大公が視線だけで隣に立つエレアノーラを見た。エレアノーラは「そうですけど」と首をかしげる。
「フィアラ大公なら、何かしら手を打っているかと」
「あら。そう思う?」
ニコリとフィアラ大公が笑った。彼女がややかかとの高い靴を履いているからだろうが、現在、エレアノーラよりフィアラ大公の方が大きく見えた。単純な背丈ならエレアノーラの方が大きい。
それはともかく。
「起きたことを公にしないのなら、領地に幽閉が妥当かと思いますが」
「ああ、まあね」
エレアノーラの言葉に、フィアラ大公が苦笑した。口ぶりからして、彼女はそれとは別の手を打ったようである。
フィアラ大公がダンスホールの方を見ているので、エレアノーラも何となくそちらに目を向けた。レグルスがユリエにつかまっていた。そのまま踊り始める。
「あらら。レグルス様、運がないわね」
「……」
フィアラ大公が楽しげに笑ってそう言ったが、どういう意味だろう。レグルスとユリエはどちらも美人なのでお似合いに見える。だが、片やオネエの王弟に、片や男前な新女王。すごい組み合わせだ。
そう思うのに、何故かエレアノーラの胸が痛んだ。
エレアノーラから思わずため息が漏れる前に、フィアラ大公が口を開いた。
「リリアナは嫁ぐことになったわ」
そのセリフに、胸の痛みなど吹き飛んだ。エレアノーラは「はっ?」と声を上げる。
「……どこにですか?」
「うち」
「……つまり、フィアラ大公家と言うことですよね?」
「そう」
「……」
フィアラ大公家には三人の未婚の子女がいるが、男はオリヴェルだけだ。つまり……。
「遠くにやるより、監視下に置いた方がいいと言うことですか」
「そう言うこと。気が合いそうね、エレアノーラさん」
腕を組んだフィアラ大公が斜め上から見下ろしてくる。うれしくない。
領地に幽閉されるのであれば、そこは生家であり、それなりの自由は保障されるだろう。だが、フィアラ大公家に嫁いだらそうはいかない。夫になるオリヴェルは妹をかどわかしたことを怒っているだろうし、そこに自由はない。
……鬼畜か、この人。
エレアノーラは思わず身を引いた。フィアラ大公の向こう側から、エルヴィーンが「すまない」と唇だけ動かして謝ってきた。少しだけリリアナを娶ることになったオリヴェルの心情が気になったが、聞くのはやめた。怖いからだ。
「ああ、それと、あなたの魔導師免許ほか装飾品はこちらで預かっているわよ。私が大公位を下りる前に取りに来てね」
フィアラ大公がにっこりと笑って言った。回収してくれたのはありがたいが、フィアラ大公……つまり、ウルシュラが大公位を下りる前にって、明日しかないではないか。どちらにしろ、明後日には帰るから明日取りに行くしかないけど。
「……わかりました。ありがとうございます」
「私と違って、ひねくれてないわね」
フィアラ大公がくすくす笑って言った。そんなフィアラ大公にエルヴィーンが声をかけた。
「ウルシュラ、一曲どうだ? しばらく王都には戻ってこられないだろう」
「それもそうね。じゃあ、エレアノーラさん。今度はぜひ、我が領地にも遊びに来てね」
「は、はい。お世話になりました」
エレアノーラがうなずくと、フィアラ大公は軽く手を振ってエルヴィーンと歩いて行った。
……なんだかすごいことを聞いてしまった気がする……。エレアノーラは通りかかった給仕からシャンパンをもらった。面倒くさいと言われる絡み酒のエレアノーラだが、別に酒に弱いわけではない。中身をちびりと飲む。口の中でしゅわしゅわと泡がはじけた。
一人で壁の華になっていると、何人かに声をかけられた。適当に笑って受け流していると、今度は聞き覚えのある声に名を呼ばれた。
「エレアノーラ様」
見ると、ラトカが速足にやってくるのが見えた。青みがかった銀色のドレスの裾がふわりと揺れている。
「ラトカ様」
エレアノーラがほっとした様子を見せたからだろうか。彼女にそれまで声をかけていた男性が一礼してその場を歩み去った。エレアノーラの直感であるが、彼はレドヴィナ人なのだろう。おそらく、フィアラ大公家には手を出すな的な不文律があるのではないだろうか。
「お会いできてよかった。明後日には帰国されるんでしょう?」
「ええ。お世話になりました」
エレアノーラがスカートをつまんでおどけるように礼を言ってみせると、ラトカも「こちらこそ」と笑った。
「結婚されるときは呼んでくださいね」
ラトカが笑って言った。なぜそこまで話が飛んだのかはわからないが、ラトカの目的はわかる。
「そんなにガーランド石群を見に行きたいの?」
「ほかにも行きたいところはいっぱいあります。アヴァロン島とか」
話を聞いてみると、どうやらラトカはレドヴィナの有名どころの遺跡などはめぐり終えているらしい。というか、彼女はまだ十六歳ではなかったか。それなのに、行きつくすほど遺跡を巡っているのか。古い遺跡と言うのは、基本的に天文学に基づいて作られていることが多い。ラトカが遺跡を見たがるのは、そう言う理由があるのだろう。
「別に普通に遊びに来てくれてもいいのに」
エレアノーラがそう言うと、ラトカは「何もないのに行くにはちょっと遠いかな」と笑った。確かに、レドヴィナからログレスまでは遠い。エレアノーラの転移魔法を使っても、一度の転移ではたどり着けないくらいの距離がある。
「ラトカ様。星を見に、ちょっと外に出ない?」
エレアノーラの提案に、ラトカは微笑んでうなずいた。二人は連れ添ってバルコニーに出る。ガラス戸ひとつ隔てただけで、音楽もホールの喧騒も遠く聞こえた。
レドヴィナはログレスよりも緯度が高い。そのため、当たり前だが星の見え方に若干の違いがある。この差から、人は緯度経度の計算などができるわけだ。
「さっき、フィアラ大公からリリアナ様のことを聞いたんだけど」
エレアノーラが話をふると、ラトカが「あー」と微妙な表情になった。
「すでに冷戦が勃発しています」
「……そうなの?」
「はい。お兄様、あまり多弁な人ではないですし、リリアナ様もかたくなな人ですし」
さっきまで巻き込まれていたんです、とラトカは苦笑。どうやらエレアノーラの所に逃げてきたらしかった。
「……まあ、その辺は自分たちで何とかしてもらうしかないものね」
「そうですよね。……私もお母さまたちと一緒に領地に帰ろうかな……」
通常、貴族は夏の社交シーズンの間だけ王都にとどまるものだ。エレアノーラが知る限り、それはログレスでもレドヴィナでも同じはずだ。王都で仕事のあるものは別であるが、もうそろそろ秋になるし、ラトカが両親について領地に帰っても不自然ではない。
「そう言えば、私もエレアノーラ様に聞きたいことがあるんです」
「なんですか」
星空を見上げつつ、ラトカが尋ねてきた。
「エレアノーラ様、転移魔法が使えるの?」
「……」
バルコニーの手すりに頬杖をついて空を見上げていたエレアノーラは、ラトカを横目でちらっと見た。
「どうしてそう思ったの?」
レグルスは、エレアノーラとラトカが誘拐され時点で、フィアラ大公たちにエレアノーラが転移魔法を使えることを話したと言っていた。当然の判断だと思ったし、責めるつもりはない。ラトカはその方面からエレアノーラのことを聞いたのかと思ったのだが。
「いえ。そうじゃなくて。リリアナ様に転移魔法のことを聞いていたじゃないですか。私もそうでしたが、普通、転移魔法を使えるかどうかなど気にしないと思ったのです」
「だから、逆に気にした私自身が転移魔法を使えると思ったの?」
「聞いてみるだけなら、いいかなと思って」
ラトカがそう言って笑った。彼女が言うとおり、突然いる場所が移動しても普通はすぐに転移魔法と結びつかない。だから、転移魔法であると断じたエレアノーラもその魔法を使えると思ったのだろう。
「いい洞察力ね。私は、レグルス様の護衛も兼ねてるから」
「あ、やっぱり。お母様も、転移魔法については気にしてて」
「大公位を譲ったら、できることは少ないのでは?」
「むしろ身軽になっていいって言ってました。お母様、四半世紀以上にわたって大公でしたし、私たち兄弟はこれでいいんだろうって言ってます」
オリヴェルもまだ二十歳だ。その年で爵位を継ぐことは、ないわけではないが珍しい。だが、フィアラ大公も彼女の現在の年齢を考える限り、それくらいのころから大公であったのだろう。
「……まあ、本人がいいって言っているのなら、いいのでしょうね」
エレアノーラが反応に困ってそう言ったとき、会場内が騒がしくなった。ガラス戸をあけて中に入ると。
「ああ、エリー……」
近くまで来ていたレグルスに抱きしめられた。首筋に顔をうずめられてくすぐったい。
「ちょ、何してるのよ、どうしたの」
「気持ち悪い……」
「何酒飲んでるのよ!」
「すまないねぇ。こんなに弱いとは」
ユリエ女王がからからと笑っていた。ラトカが「お姉様、何したの?」と首をかしげている。
それにしても周囲の注目を集めているこの状況。エレアノーラよりも背の高いレグルスが体重を預けてくるので、そろそろ体勢がきつい。
「すみません、お先に失礼いたします」
エレアノーラは微妙な体勢のままそう言って、新女王の御前をあとにした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第3章もこれで終わりです。次からは第4章になります。この調子だと、6章まで続きそうです……。
3章の舞台は『背中合わせの女王』の舞台レドヴィナでしたが、当時から21年後……22年後か? 計算がざっくりしすぎてわかりません。とりあえず、ウルシュラの息子のオリヴェルはエレアノーラと同い年でした。
久しぶりにレドヴィナの皆さんを書けて楽しかったです。もう最終回なノリですが、まだ続きます。




