男二人
エドアルドはロムスと二人きりで自室にいた。
サンディ様だけでなくレオンまで半ば強引に追払った妖精殿は、僕の部屋に入るとテーブルに小ぶりのグラスを二つ並べる。
それに半分ほど透明の酒を注ぐと、ロムスはためらいなく一気に呷って実に旨そうな顔をしてみせた。
「……っかー! この喉が焼ける感じがたまんねえな! ほら、お前も早く飲めよ」
グラスの中の液体を揺らして鼻を近づけた僕は、その強いアルコール臭に軽くむせる
「これ、どんだけ強い酒ですか……。というか、よくレオンにこんなの飲ませましたね?」
「ほんの少ししか入れてねえよ。それにいくら素直とはいえ、酒だとわかってんのに警戒もしないで一気に呷る方が悪い。――これでレオンも、ちったぁ勉強になっただろうよ」
ロムスは自分のグラスにおかわりを注ぎながら、悪戯っぽく笑っている。
意を決した僕は、その酒を一気に喉へと流し込んだ。ただヒリヒリと焼けつくような感覚を残して液体が喉から腹へと滑り落ちて行くのを感じる……味や香りなんて全然わからない。
ふうと一息ついていると、ロムスが残念そうな顔でじっと僕を見ている事に気付いた。
「エドアルド。お前、さっきのアレはなかなか……白々しかったな」
アレとは……僕のサンディ様に対する個人的な心配を、無理やり忠心へとすり替えてみせた件だろう。確かに無理した自覚はあるけれど、それはロムス達が揶揄ったせいで……。
「ロムス、これはお願いなんですけど。今後ああいう絡みはやめて貰えませんか。特にサンディ様の前では……」
ロムスは空いた僕のグラスに半分ほど酒を注ぎながら真顔で尋ねる。
「なんで隠す必要があるんだよ」
「僕は臣下ですから」
即答すると、ロムスは呆れたようにため息を吐いた。
「そこまで意地張るなら、もっときっちり隠し通してみせろよ。レオンですらもう気付いてるぜ?」
「僕が未熟者なのは認めます。でも……サンディ様は将来、天界の王となる可能性がある方なんですよ?」
「――は? それとこれと何の関係があるんだ? 俺はな、お前とサンディの気持ちはどうなんだ? って聞いてるんだ」
「僕の気持ちはもう決まってますよ……『自覚した上での封印』が結論です。だからこれ以上、無駄に煽らないで欲しいですね」
「ふうん……。じゃあサンディの気持ちがどうなのか、お前はもう知ってるのかよ?」
サンディ様の気持ち……。
僕が『虹の夢』で見た内容を伝えた後、サンディ様に言われた言葉が今も胸の奥に深々と刺さっている。
『僕の慕う人は、とある国のとても高貴な方』……。
なんとかギリギリの所まで白状したあと、返ってきた言葉が本当に酷かった。
『私……エドの願いが、いつか叶うように祈ってるね』
これは明らかに、僕の慕う相手が自分だなんて思ってない言葉で。その上、僕の願いが叶うように祈って頂けるとは……完全に相手にすらされていない証拠だ。
「サンディ様は確実に『なし』ですね……裏は取れてます」
今度はためらいなく、グラスの酒を一気に呷った。再び喉の粘膜を焼くような熱さが通過していくと、意外にも仄かに甘い穀物系の後味を感じる。
ロムスは僕のグラスに今度は並々と酒を注ぐと、頬杖を付いたままつまらなそうにフンと鼻を鳴らした。
「お前がそこまで言うなら、このへんで勘弁しといてやる。――俺は別に、お前たちの恋の仲介をしたいわけじゃねえしな」
「じゃあ何でわざわざ僕を呼んだんです?」
僕のそれと同じように、ロムスのグラスには並々と酒が入っている。それをグビリと半分だけ飲むと、細長い舌でぺろりと唇を舐めながらとてつもなく悪い顔で笑った。
「そんなの、面白ぇからに決まってるだろ」
ロムスのオリーブグリーンの瞳の奥では、燃えるような赤が愉しげに揺れている。
「まったく……僕をおもちゃにするのは勘弁して下さい、妖精殿」
王都の神殿でロムスと初めて出会った時の事を、なぜか今思い出した。精霊師である僕の前で頭を下げていたロベール。顔を上げて目が合ったその時、この赤い光を見てすぐにその正体がわかったんだ。
僕は再びこの強い酒を喉に流し込む。今度はさっきも感じた仄かな甘さの他に、冬前の枯れた草むらのような独特の香りが鼻を抜けていった。
「……これ、結構美味しいですね」
「へえ、コレの味がわかるのか」
「最初は全然でしたけど……穀物系でしょうか」
「ああ、麦を使った蒸留酒の原酒だとよ」
普段は嗜む程度にしか飲まないから、酒の種類は詳しくない。でもこのめっぽう強い酒には、これから先も何かと世話になりそうな気がする……。
「ちなみにこれ、なんて名前ですか?」
尋ねながら、再び酒を口に含んだ。
「ああこれか? ……『虹の橋』」
飲み込みかけたところでその名前を聞き、盛大にむせた。酒の辛さも相まってしばらく息が出来ず、本当に虹の橋を渡ってしまうかと思った……。
ロムスはそんな僕を見て、かかかと笑っている。
「けほっ……まったく縁起でもない、ひどい名前ですね」
ようやく立ち直った僕が席に座り直すと、いつの間にかまたグラスが酒で満たされていた。――なんだかさっきからロムスにやられっぱなしな気がして、少し反撃したくなる。
「じゃあ今度は僕の番です。ロムスには聞きたい事が山程ありまして……」
「おっ! お前、俺に興味なんてあったのか? まあ俺には隠すような事なんて無いけどな!」
「ふうん……絶対ですね?」
頬杖をついて頭を支えると、ガハハと笑うロムスの姿が少し遠く感じた。なぜか自然と瞼が落ちそうになるのを、わりと頑張って支え続ける。
あれ……なんか急に酔いが回ってきた気がする。――まあ、こんな強い酒をカパカパ呷ってたら、そりゃ酔うか……。
「……じゃあ聞きますけど、ロムスはグレンダ殿と、最後に、どんな話をしたんです?」
「……!」
ロムスの顔色が変わったのを確認し、更に畳み掛けた。
「なんか、大きな声が聞こえたと、マリン殿が、言ってましたが……。ねえ、ロムス。隠すような、事なんて、無いん、ですよね……?」
「あ、ああ……」
遠くを見るようなロムスの瞳が、少し潤んでいるのは酒のせいか、それとも……。
(ふふっ……これは効いてる……)
僕はさらに酒を呷ってロムスの言葉を待った。その時グラスを置き損ねて、残った三分の一程の酒がテーブルを濡らす。
「あっおい!……大丈夫か? お前もうこの辺でやめとけ」
「ロム、ス、ばっかり、全部、知って、て……ずるい、です、ね……」
「いいからほら、水飲め水!」
同じグラスに注がれた水を一気に飲むと、急に口の中に豊かな香りが広がって仄かに甘い穀物系の味わいが広がった。――なんだ。もしかしてこの酒は、水で割った方がずっと美味しいんじゃ……。
――でももう、限界だった。
話の続きを聞くことができないのは残念だけど、底意地の悪いロムスに少しばかり仕返しが出来ただけでも満足だ……。
その晩、僕の意識はここで途切れた。





