招かれざる客
既に日は暮れ、辺りはすっかり暗くなっている。
私は迎えに来てくれたレオンと二人で、今晩泊まる宿に向かっていた。
「結構綺麗な宿だったよ。今日は僕たちの貸切なんだって」
「わあ、楽しみだわ」
数分歩いた所でレオンに案内された宿は、意外と小ぢんまりとしていた。しかし受付にある花は新しく、掃除も行き届いている様子で清潔感がある。ドアに付いている鈴が鳴ると、奥から小柄な女性が出てきた。
「お帰りなさいませ。……魔女のお弟子様ですね? この度はお会いできて光栄です」
優しい笑顔を向けるその女性はアーシェと名乗った。年は三十代位だろうか。長い栗色の髪は後ろで一つにまとめられていて、濃紺の瞳は優しい光をたたえている。
「こんばんは、アーシェさん。今日はお世話になります」
頭を下げて挨拶をすると、アーシェは慌てた様子で手を振る。
「えっそんな、頭をお上げください! 精霊師様に泊まって頂くだけでも光栄ですのに、まさか魔女のお弟子様まで同時に泊まって頂けるなんて……むしろこちらがお礼を申し上げたい位ですよ!」
なるほど、『魔女の弟子』の肩書はけっこうな力があるらしい。恐縮しているアーシェに案内されて階段を登っていく。
「お弟子様はこちらのお部屋をどうぞ。内庭に面しているので景観は望めませんが、安全面ではこの宿一でございます。あとこちらのお部屋には浴室もついておりますので、何時でもご自由にお使いください」
安全第一の部屋割りだけでなく、まさかの浴室付き……これはたぶんロムスの配慮だろう。後でお礼を伝えなければ。
「もう夕食の準備も整っております。精霊師様がお戻りになられたらお呼び致しますので、それまではゆっくりとお寛ぎ下さいませ」
アーシェが出ていくと、代わりにロムスがやってきた。
「おうサンディ。精霊士サマはしっかり働いてたか?」
――その言い方に思わず笑ってしまう。
「ええ。あの調子だと当分帰ってこれそうにないわね。――あっ、ロムス。このお部屋、本当に素敵だわ。ありがとう!」
「いいって事よ。サンディが安全で快適だと、こっちも色々と楽だからな」
「サンディ、僕は隣の部屋にいるよ。で、ロムスはここの向かい。エドアルドは僕と反対側の隣の部屋だからね」
レオンの説明の後、ロムスは笑顔のまま私に近づくと、低い声で耳打ちした。
「部屋の戸締りだけはしっかりな。これからは屋敷にいた時とは全てが違う――警戒だけは怠るなよ」
「うんそうね。ありがとう、ロムス」
「よし、サンディは先に風呂済ませとけ。レオンは俺の部屋に来い――ちょっと話がある」
ロムスの指示の後、二人は向かいの部屋に入っていく。それを見送った後、私はドアと窓の施錠を確認して浴室に向かった。
***
「ねえ、ロムス。話って何?」
「……お前ももう、気づいてんだろ?」
「へへ、バレてたんだ」
宿に戻ってからすぐ、レオンは外に集まる複数人の足音が聞こえていた。その人数は今も徐々に増えていて、それがずっと気になっていたのだ。
「あったり前だ。おまえのデカい耳がずっとソワソワ動いてんだからな。で、何人いる?」
「ん……あれ、また増えた。さっきまで六人だったのに、今は十人……たぶん全員、男だね。歩き方がドタドタしてる」
おそらくきちんとした訓練を受けているような者達では無いだろうとレオンは思っていた。ごろつきか、あるいは野盗か……。
ロムスはニヤリと笑いながら、立て掛けてあった剣を素早く佩いた。
「エドアルドが戻ってくる前に、さっさと片付ちまおうぜ。――俺は下に行く」
「そうだね、じゃあ僕は上から……あ、金属音も聞こえるよ」
「ふっふ、少しは楽しめそうだな」
ロムスが出ていった後、レオンは部屋の灯りを消して静かに窓を開ける。ロムスの部屋は宿の前にある通りに面している。外は既に夕闇に包まれており、周囲に人の気配はない。
足音は宿の裏手に集中していた。レオンは窓から出て屋根に移るとさらに上、二階の屋根にヒョイと登り、宿屋の裏手に回り込んだ。
すると早速、建物に一番近い木にロープを掛けてよじ登ってくる覆面男が見えた。男は帯剣していて見るからに怪しい。
地上からロムスの声が聞こえた。
「お前ら、こんな所で何やってんだ?」
「誰だ!」
よじ登っている男の動きが止まって、下を覗き込んでいる。――そんな彼らを見下ろしながら、レオンは静かに魔弓を構えた。
宿屋の敷地へ侵入し塀に隠れるようにして集まっていた男たちは、ロムスに対して大声で威嚇している。
「なんだお前、あっち行ってろ!」
「痛い目にあいてえのか!」
お約束の脅し文句に、ロムスが薄ら笑いを浮かべるのが見えた。
「今日この宿屋は貸切だ。客も招待した覚えはねえ……お前ら、何者だ?」
男達は揃って剣を抜いた。
「チッ……やっちまえ!」
リーダーと思われる男の掛け声で、男たちは一斉にロムスへ襲いかかった。
ロムスは剣を抜くと、最初に飛びかかってきた二人の男たちの剣をあっさり弾き飛ばして当身を食らわせる。
そんなロムスの背後を狙って飛びかかった男二人は、レオンの魔弓によって腕と肩をそれぞれ射抜かれた。そのまま剣を落とし、今は地面に倒れ呻いている。
同時に木に掛かっていたロープも射抜かれて落とされた。屋根に登ろうとしていた男は地面へ落下し、頭と腰を強かに打ち付けて動けないでいた。
(複数の矢を、もう実戦で扱えるようになったのか……)
レオンの成長を目の当たりにして思わずニヤつくロムスに、別方向から二人の男が飛びかかった。
しかしこれもあっさりと返り討ちにしたロムスが振り返ると、最後に一人だけ残った男が悲鳴を上げる。
「ひっ、ひぃぃっ……こいつら、強すぎるっ!」
男は踵を返して反対側へと走り出す――が、レオンに腿を射抜かれて転倒し、その場で痛い痛いと悲鳴を上げながら転げ回った。
地上でロムスが片手を上げて『完了』の合図を出す。しかし……倒れている男達の人数を数えて、レオンは息を呑んだ。
(二人、足りない……)
そう思った次の瞬間、室内から女性の怒鳴り声が響いた。
「――ふざけるなっ!」
それは今まで一度も聞いたことがない、サンディの低い怒声だった。地上のロムスと目が合ってすぐ、ぶわりと全身の毛が逆立つのを感じながら、レオンは全力でロムスの部屋の窓へと戻った。
***
私に充てがわれた部屋にある備え付けの浴場を覗いてみると、そんなに広くはないものの、小綺麗に整えられていて清潔感がある。
今まで使った事のある魔女の屋敷や天界王城の浴場は、基本的に魔法で全て済ますため、とにかく広ければいいという感じだった。
でも今初めて見た地上のそれは、前世の浴場とよく似ている。そんなに大きくは無いけど浴槽もある。これはとても嬉しい。
(あら?)
見るとせっけんの置き場所が空だ。周囲を探してみたけど、それだけ見当たらない。
(置き忘れちゃったのかな?)
きっと階下の受付にいけば貰えるだろう。そう思って浴場から部屋に戻り、鍵を手に取る。廊下に出てドアを閉め、しっかり施錠した事を確認していると背後……ロムスの部屋からドアの開く音がした。
「ああ、ロムス。私、ちょっと下に行って……っ!?」
そこにいたのは、覆面をした大柄な男だった。
「――女がいたぜ! きっとこいつが魔女の弟子だ!」
「騒ぐんじゃねえぞ。痛い目にあいたくなきゃ大人しくしてな!」
よく見れば奥にもう一人いる上に、二人とも既に抜き身の剣を持っている。そのまま襲いかかってきた男たちの手が私の肩に掛かる寸前、左手のバングルを短杖に変化させて『虹の夢』を放った。
ここで派手な魔法を使ったら、部屋や宿の設備を破壊しかねない。かといって剣を出して対抗するには、この場所は狭すぎる。この宿屋にとって一番安全だと思って選択したのが幻術だったのだ。
男達はあっさりと倒れ、夢の世界に旅立った。すかさず剣を取り上げ、蔓を出してきっちりと縛り上げる。
(それにしても、何でロムスの部屋から出てきたのかしら?)
ドアの向こうに見えるロムスの部屋は暗くてよく見えない。もしかしたら出かけているのかしら? と思ったその時。
激しい高揚感と共に、映像……男達の夢が私の中へ流れ込んできた。
男達は魔女の弟子……つまり私を、まんまと捕らえた。するとその正体を探るという名目で私を抑え込み、そのまま……端的に言って凌辱する夢を見ていた。
「――はぁ?」
自分でも驚くほど低い声が出た。願望をちょっと盛った上で成功させてみせるという『虹の夢』。なるほど、こいつらの願望なんて元々ろくなもんじゃないらしい。
こいつらをいつまでも幸せに浸らせておきたくない。かといって今すぐ虹の夢を解いたとしても、私にとっては最低な幸福体験だけは彼らに残ってしまう。
引き続き流れ込んでくる映像の内容と、無駄に伝わってくる興奮と高揚感。男達は床に転がったままニヤニヤと笑い続けていて、その光景がひたすら気持ち悪くて怒りが募る。
気がつけば、私は叫んでいた。
「ふざけるな!」
まだ理論しか知らず、一度も実践した経験のない苦悶の幻術を彼らに叩きつける。ただし、できるだけ最小出力で。
同時に自分側を遮断し男達からの映像を視えなくしたうえで、二人をまとめて窓から弾き出した。
遮断も初めての実践だけど、今のところ男達の不埒な夢が流れ込んでくる事はない。たぶん、成功だろう。
ふうと一息付いていると、空いたままの窓に再び人影が視えた。再び短杖を構え直し、低く警告する。
「まだいるの? 相手になるわ、出てきなさい!」
「待ってサンディ! 僕だよ、レオンだよ!!」
そろりと顔を出したレオンは、両手を上げて降参ポーズだ。
「レオン? なんでそんな所にいるの?」
短杖をおろして小さく息を吐くと、レオンがひらりと窓枠を飛び越えてきて私の両肩を掴む。
「サンディ、大丈夫!? 怪我はない!?」
「私は大丈夫。でもちょっとびっくりしたわ……」
バタバタと階段を上がる音のすぐ後、剣を持ったままのロムスが現れた。
「サンディ、無事か!?」
「ええ大丈夫。……あっ、それよりあいつらは?」
よく考えたらここは二階だ。打ちどころが悪ければ、もしかして……。
「ああ、警務隊を呼んだからあいつらは放っといていい。それよりも何があった――」
そこへ階下からアーシェ、そしてエドが現れた。
「皆様、ご無事ですか!? 精霊師様が今お戻りになられて――」
「サンディ様! ご無事ですかっ!? 一体、何があったんですか!?」
私は皆に無事を伝えた。何なら男達に触れられてすらいない事も告げると、やっと皆は安心してくれたようだ。
それにしてもみんな、私に対して少し過保護過ぎるのではないだろうか。私だってあの位なら戦えるのに。思わずそう呟くと、ロムスが真顔で尋ねてきた。
「じゃあ聞くがな。もし入浴途中に襲撃されたら、サンディは素っ裸で相手と対峙できるか? ――何ならそのまま表に出て、いつもと同じように戦えるか?」
「う……」
たぶん……いや、絶対無理だ……。
そうだ、本当なら私は今頃入浴中だったはずで。だからロムスもレオンも、すごく心配してくれたんだ。
「ごめんなさい。心配してくれて、ありがとう……」
「わかりゃいいんだよ」
素直に詫びると、ぽんと優しく肩を叩かれた。
「ごめんね、サンディ。僕が窓を開けっ放しにしてたから――」
「レオン、護衛は任せたとあれ程言っていたのに、なんで――」
「あー、はいはい! ちょっとみんな黙れ!」
ロムスが手を二回、大きく打ち鳴らす。
「やっとエドアルドも帰ってきたし、まずは飯! そして風呂! そのうち警務隊の連中から報告もあがってくるだろう。細けえ話はそれからだ」
「あの、下にお食事の用意が出来ています。皆様、少々落ち着かない夜となってしまいましたけど、これからはどうぞお寛ぎ下さいな」
私が頷くとエドは小さく肩をすくめた後、アーシェに対して微笑んでみせた。
「……そうですね。では先に食事を頂きましょうか」
ようやくほっとした顔のアーシェに案内されて、皆で一階へと向かった。





