旅立ちと虹の夢
私たちはロムスの荷馬車に同乗していた。顔を出したばかりの太陽はまだ低く、空気はひんやりとしている。
御者台には手綱をとるロムスがいて、隣にはレオンが座っている。最初は御者台に座ろうとしていたエドだったけど『お前が隣だと翼が邪魔で狭いし、目立ちすぎて鬱陶しいから後ろにいろ』とロムスに断られていた。
結局荷台の前部に私とエドが隣り合う形で座り、積まれた木箱の上にはヴィオラが止まっている。
精霊師――天界人は、地上ではとても尊ばれる。それは地上人の殆どが魔法を使えないということも関係しているという。よほど精霊に愛される素質のある者でなければ……そしてそれなりの訓練環境にも恵まれなければ、地上人は魔法を使えるようにはなれないそうだ。
しかし王族や貴族の一部には、たまに魔法の資質に恵まれた子供が産まれるらしい。けれどそれは一般人にとって雲の上の話。つまり地上人の殆どにとって、魔法とは縁遠いものだ。
そんな中天界人が地上人の前でその翼ある姿を見せれば、無条件で最上級のもてなしをされるそうだ。それは地上の何処に行っても例外ではないという。
そしてこの国――ザーシカイム王国では、精霊師への信仰が特にあつい。翼あるその姿が見えるだけで、人が自然と集まってくる程だそうで……色々と大変らしい。
「よーし結界を抜けるぞ。――サンディ、準備はいいな?」
マリンとテレシアに別れを告げ、屋敷を出発してから約一時間。魔女の結界の縁を前に、ロムスは改めて私の方へ振り向いた。
「うん、大丈夫」
私は左腕にブレスレットを付けている。
荷馬車はゆっくりと双樹の間を通り、私は初めて『魔女の結界』を抜けた。結界を抜けるのは意外とあっさりしていて、特に何かを感じることはなかった。――正直、ちょっと拍子抜けした程だ。
それでも今まで私を守り続けてくれた『白妖精の結界』から初めて出た事を考えると、改めて身が引き締まる思いがする。
「……よし、特に異常は無さそうだな」
「とりあえず、一安心ですね」
ほっとした様子のロムスとエドに笑顔で頷いてみせると、レオンが御者台で振り返った。
「それにしてもさ、サンディにはやっぱり地味だよね、それ」
「もー、レオンったら。また罰当たりなこと言って……」
私は今、ギベオリード叔父様のローブを着ている。暗褐色のそれはブレスレットを付けていて黒髪になっている私が着ると確かに地味だ。でも私は目立たなくて都合がいいとさえ思っているのに、周囲の評判はあまり良くない。
このローブにどんな効果があるかは私もまだ知らない。それでも『屋敷にただ置いておくのは勿体ないのでは?』というエドの提案に乗って、出発前夜に試しに羽織ってみた。
長身の叔父様用のサイズは、案の定私には大きすぎた。最初はまるで子供が大人の服を着たようで、皆に笑われてしまった。でもローブは一瞬淡く光ってすぐ、誂えたようにちょうど良いサイズになった。
エドが言うには、私の左手人差し指に付いている指輪もそうだったらしい。
「精霊王からの賜り物は身につける人を選ぶそうです。でもその品物に選ばれさえすれば、きちんと合わせてくれるのでしょうね。ちなみに僕が羽織った時は、全く反応がありませんでしたよ……」
エドが最後、ちょっと残念そうな顔をしたのを憶えている。
ロムスの隣で呑気に笑うレオンは、天界の街を歩いた時とほぼ同じ格好だ。
旅着の上には裏側に目隠効果が付与された暗い紅色のマントを纏っている。腰には天界王から授かった細身の剣を佩き、魔弓を背負うその姿はどこから見てももう立派な騎士だ。
私は叔父様のローブの上に、天界の街を歩いた時と同じ銀鼠色のマントを纏っている。左腕には銀のブレスレットの他、アヤナの笛を変化させた象牙色のバングルを付けてある。肩からは緩めに編んだ髪を垂らしているけど、隠蔽のブレスレットを装着している今、その髪だけでなく瞳も黒い。
隣に座っているエドは雪のように白いマントを纏っている。細い銀糸で施されたステッチが縁に光るそれは、彼が背負う真っ白な翼と相まってとても美しい。
あと精霊師の格好をしている時は、基本的に剣は佩かず丸腰だという。武器は袖に隠し持つ水晶玉だけだそうだ。
「レオン。繰り返しになるけど、地上でのサンディ様の護衛はレオンが中心になる……くれぐれも頼むよ」
「もう、エドアルドは先週からそればっかり! わかってるって!」
レオンは呆れたように笑っている。エドは出発の一週間も前からずっと同じことを言っていた。――確かにレオンも呆れるだろう。
「エドアルド、いいかげん心配性がすぎるぜ? それにしばらくは俺だって一緒にいるんだ。初日からそんなに肩肘張ってたら、この先持たねえぞ」
エドは私達の中で一番目立つ存在だ。その見た目のせいで、私の護衛よりも精霊師としての活動がどうしても主になってしまうと嘆いていた。
反面、私は一番目立たない存在になる。黒目黒髪の地味な女……翼もなければ目に見える武器も持たない。ただし肩書きは『北の森の魔女の弟子』。
これなら精霊師であるエドが私を敬称付きで呼んでも、逆に私がエドを略称で呼び捨てても不自然じゃない……そういう設定だ。
「どうせ今日一日はこのペースで移動し続けるだけだ。ま、たまーに輩が現れる事もあるが……俺一人で処理出来ないようなレベルの奴らには、今まで遭った事がねえから安心しな」
「そう考えると、結構退屈だね」
レオンの言葉にロムスが笑う。
「レオン……ほんとお前、言うようになったよな。まあ退屈なのは間違いねえよ。むしろ何か出てきてくれと思うことの方が多いからな。それにしても……」
ロムスは上半身を大きく捻って、皆を見回す。
「この面子に喧嘩ふっかけるなんて、俺なら絶対ゴメンだけどな」
「……確かに」
「絶対イヤだね」
「私だって嫌よ……」
お互いに顔を見合わせて笑った。これ以上に頼れる仲間を得ることは、この地上ではほぼありえないだろう。そしてそれは皆同じ考えで。
目的の達成はきっと難しい。でもこのメンバーなら、旅自体はわりと楽しめそうな予感がして……思わず笑みが溢れる私だった。
***
荒れた街道を進むこと丸々半日。日は既に大きく傾いて、焼けた朱色が私たちの馬車を照らしている。
「――お、見えてきたな。あそこが今日の宿泊地、ライン村だ。この街道沿いで昔から宿場町として有名だぜ。もう宿の女将には連絡済みだから……ん?」
「なんだか騒がしいね?」
何があったのだろう? レオンの背中越しに前を覗き込むと、私たちの馬車に向かって数人の男達が走ってくるところだ。
「おーい、ロベール! 待ってたんだ!」
「精霊師様は……あ、後ろにいらっしゃる!!」
『ロベール』はロムスの通り名だという事は聞いている。でも村人達はエドに用がある……というか、待っていたようだ。
「……おい、エドアルドに用があるみたいだぜ」
「ああ、怪我人でも出たかな? 行ってくる」
精霊師としての仕事をするエドは今まで見た事がない。俄然興味が沸いてきて、咄嗟に尋ねた。
「あの、エド! 私も行っていい?」
エドは意外そうな顔をしたけど、あっさりと承諾する。
「ええ構いませんよ。ただ人が結構集まってくると思うので、気をつけて下さいね」
私達が降りると、再び馬車をゆっくりと進ませながらロムスが告げた。
「じゃあ俺たちは先に宿の方で手続きしておくぞ。後でレオンを迎えにやる」
「ああ頼む」
馬車を降りた私たちの周囲には、すかさず村人たちがどんどん集まってくる。もうかれこれ二十人以上はいるだろうか。そして村の奥からはまだまだ人が出てくる。
「皆さんこんばんは。何かお困りごとですか?」
見事な営業スマイルのエドの前へ、人集りの中から一人の中年女性が頭を出てきて頭を下げた。
「精霊師様にお願いでございます。私の母が、そろそろ虹の橋を渡ろうとしているのです。その……できれば夢を見せてやって貰えないでしょうか」
「……承知しました。案内して頂けますか?」
「はい、こちらです!」
嬉しさのせいか小走りになる中年女性の案内で、私達は人集りを離れていく。背後からは口々に羨ましがる声が聞こえてきた。
「最後に精霊師様へ『虹の夢』をお願いできるなんて、なんという幸運な……」
「ありがたい、ありがたい……」
「――レオノーラ婆さんは幸せ者だな」
私たちは村の奥にある、一軒の家に案内されて入った。
「あなた、精霊師様が来て下さったわ!」
「おお、本物の精霊師様が……なんて運のいい……!」
女性の夫だろうか。中年男性が一人、ベッドの横で老女の手を握っている。老女はすっかりやせ細り、男性に握られている手はまるで枯れ枝のようで……見るからに寿命が近いとわかる。
エドの背中越しに立っていた私は、その男性と目が合った。
「あの、そちらのお方は?」
「あ、私は……」
「こちらは森の魔女のお弟子殿ですよ。今一緒に旅をしている途中なのです」
なんと答えたらいいか一瞬戸惑った私の前で、エドはすかさず設定通りの紹介をしてくれた。
「これはこれは! まさか魔女様のお弟子様にまでお会いできるなんて! ……今日はなんという幸運な日でしょう。私達家族は本当に幸せものです……」
夫婦はそろって瞳を潤ませているが、エドは老女の方をチラと見た後夫婦に尋ねる。
「――ところでもう、お声掛けは済ませたのですか?」
「ええ。もう昨晩からずっと眠ったままで、今は水も全く飲めません……」
「そうですか……では失礼します」
エドはベッドの頭側に立つと両手を老女の方へ差し出し、目を瞑って施術を始めた。その両手からは金色の暖かい光が優しく放たれ、老女の頭上を優しく照らしている。
……直接肌に触れずに行う『虹の夢』を初めて見た私は、思わずじっと見入ってしまった。
男性は引き続き老母の手を握っており、女性は手を組んで祈っている。
寝ている老女の頭上で、両手を差し出して目を瞑っているエド……『虹の夢』を施すその表情は、慈愛に満ちていた。伏した目の縁には長い金色のまつ毛が輝き、その白い装束と翼も相まって神々しさすら感じさせて――それはまさに天使が迎えにきたかのようだ。
「……あっ」
「母さんっ?」
夫婦の視線の先では目を瞑ったままの老女が顎を上げ、少し大きめに口を開いていた。胸のあたりがやや持ち上がったかと思うとすぐにすうと落ち着く。――その表情は実に穏やかで、柔らかく微笑んでいる。
エドの両手から金色の光が消えると、優しく微笑みながら一言告げた。
「……今、旅立たれました」
(えっ……)
まるで幸せそうに眠っているかのような表情だけど、今のはご臨終の瞬間だったんだ……。
「ああ、なんて穏やかな顔だろうね……」
「母さんは闘病期間が長かったから……こんな穏やかな顔は久しぶりに見たね……」
夫婦は肩を寄せ合って涙を流している。エドは男性から老女の手をそっと受け取ると、手を組ませて胸の上に優しく置いた。
私たちが老女に祈りを捧げた後、夫婦の方へ向くと男性が話しかけてきた。
「精霊師様、その……母の最後の夢は、視えましたでしょうか?」
少し考えるような素振りのあと、エドは男性に尋ねた。
「――すみれ色の髪に明るい茶色の瞳、少しそばかすのある背の高い青年……心当たりはありますか?」
「ああ……それはきっと父です! 五年前に病で先立ったのですが……」
男性が声を上げると、エドは笑顔で頷く。――そういえばこの男性の髪も、白髪交じりのすみれ色だ。
「……亜麻色の髪を、高く一つに結い上げている娘さんが視えました。あれはお母様のお若い頃の姿でしょう、面影がありましたので。お母様はその青年に手を引かれ、仲睦まじい様子で一緒に旅立って行きました。お母様の幸福感は僕にも強く伝わってきまして……本当に幸せな気持ちにさせてもらいましたよ」
「あああっ、精霊師様……! 本当に……本当にありがとうございますっ……!」
「良かった……お義母さん、本当によかった……!」
夫婦は抱き合って泣いている。ふと気づけば、窓の向こうに何人もの村人が集まっていてこちらを覗いている。どの顔も泣きはらしていて目が真っ赤だ。
「では僕たちはそろそろ失礼します。どうかお心落ちなさいませんように」
「はい……はい……! 本当にありがとうございます」
しきりに頭を下げる二人に別れを告げ、家を出た所で村人たちに囲まれた。
「精霊師様! 父が昨日、屋根の修理をしていて落下し骨折して……」
「あのう、うちの子供の熱が下がらなくて……」
「キャー! 精霊師サマー!」
「以前別の精霊師様に診て頂きましたけど、あれからまたぶり返して……」
――そんなに大きくは見えない村の中で、こんなにも怪我人や病人がいるものなのかと驚く。黄色い声も混ざっているけど、エドは慣れた様子で皆を落ち着かせている。
「はいはい、順番に伺いますから慌てないで下さいね。一番症状の重い方から回りますから……あ、ちょっとお待ち下さい」
エドは振り向いて、私に耳打ちをした。
「――しばらくはこの調子ですので、サンディ様は先に宿に戻ってて下さい。早めに片付けて戻りますから」
確かにこの調子では私がいても邪魔なだけだろう。小さく頷くとエドは再び村人達の方へ向く。
「順番は決まりましたか? ええ……はい、では案内して下さい」
村人たちに囲まれたまま歩いていくエドを見送ると、周囲は人っ子一人居なくなった。さて、これからどうしたものかと考えていると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あ、いたいた。サンディー!」
道の向こうから駆けてくるのは……レオンだ。
「ロムスにさ、『そろそろ迎えに行け』って言われたんだ」
――流石ロムス。おおよその状況はもう解っているようだ。絶妙なタイミングのお迎えにありがたく乗る事にして、私はレオンと一緒に宿へと向かうのだった。





