すれ違い
――っくしゅん!
「サンディ、どうしたの~? 風邪~?」
心配そうに顔を覗き込むマリンに、苦笑いで応える。
「――昨日は白妖精様に付き合って、すごく寒い場所にいたから……身体が冷えてよく眠れなかったの」
昨晩は長時間雲の上にいたせいで、屋敷に帰った時はすっかり身体が冷え切っていた。
火精霊の力を借りていたはずだったのに、途中から笛を吹く事に夢中になってしまい……いつの間にかその効果が失せていた事に気づかなかったのだ。
最後まで機嫌の良かった白妖精とは雲の上で別れ、屋敷へは一人で帰ってきた。その頃にはもう雨は止んでいたものの、降る前より空気がひんやりしていたのを憶えている。
少しでも休もうと思ってベッドに入ったけど、身体が凍えててほとんど眠れないまま朝を迎えた。今も身体の冷えが取りきれず、いつもの服装だと寒すぎて一枚多く羽織っているくらいだ。
「え~ちょっとほっぺた赤いよ~? 熱でもあるんじゃない~?」
不意に額に当てられたマリンの手が、ひんやりとして気持ちいい。思わず目をつむると頓狂な声があがる。
「やだサンディ! すごい熱だよ~!?」
スープを見ていたテレシアが振り返った。
「あら大変! サンディ、準備はいいから部屋で休んでなさい」
寒い寒いと思っていたら熱が出ていたらしい。全然気づかなかった……。
「二人共ごめんね。移したら悪いしそうさせてもらうわ……お水だけ貰っていくね」
水差しとコップをトレーに乗せて持つと、意外なほど重く感じる――ああこれは結構な熱があるかもしれない。そこでやっと体調不良を自覚した私は、慎重に自室へと向かった。
***
「あ、サンディ……あれ、何処に行くんだろう?」
レオンと二人でダイニングに向かっていると、ダイニングとは逆の方向――階段の方へ歩いていくサンディ様が見えた。曲がり際に水差しの乗ったトレーを持っているのが見える。
ダイニングに入ると女性二名が慌ただしい。
「おはようございます……どうかしたんですか?」
テレシアがスープの火を止めながら振り向いた。
「ああエドアルドさん。サンディ、熱があるみたいなのよ」
「えっ!?」
「なんか昨晩は白妖精様と寒いところに居たって言ってましたよ〜」
「はあ、そうですか……」
寒い所……一体どこだろう? しかも昨夜は大雨だったじゃないか。
まだ体調が戻りきっていないというのに一体何をやっているのか……思わずため息を吐く。
「ああ聞いておけばよかったわ。食欲はあるのかしら」
「寒いって言ってたから、毛布もあったほうがいいよね~?」
「ああ、そういう事でしたら……」
予備の毛布を持っていくついでに、食欲の有無について聞いてくる役を自分から申し出て引き受けた。これで女性二人とレオンで、朝食の準備を続けることができるだろう。
マリン殿の部屋の隣りにある倉庫部屋から予備の毛布を持ち出した。そのままサンディ様の部屋に向かい、ドアをノックする。
「――はい」
「エドアルドです。予備の毛布を持ってきましたよ」
「ああ、ありがとう」
「入ってもよろしいです……わっ」
ドアノブに手をかけようとしたら、先にドアが開いてサンディ様が顔を出した。
「ちょ! なんで寝てないんですか!?」
「え? 歩けないわけじゃないし、寒いだけでそんなに辛くないから……」
本人はキョトンとしてそう言うが、とてもそうは見えない。頬は明らかに紅潮しているし、額には汗で髪の毛が張り付いている。瞳が強く潤んでいるのも熱のせいだろう。
「失礼しますよ……ちょっとそちらに掛けていてください」
ドアを開け放ったまま部屋にお邪魔する。追加の毛布を掛け布団に重ね、大きく振って整えながら尋ねた。
「――それで、昨晩はどちらまで?」
サンディ様はソファーに腰掛け、水を飲みながら答える。
「えっと……雲の上?」
「はぁ??」
思わず間の抜けた声が出てしまったが、サンディ様はそのまま続ける。
「白妖精様がね、『月を見たいけど、雲が邪魔だからその上に行こう』って……」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。まったく白妖精様も無茶を仰る……。
「はぁ……。あのですね、サンディ様はまだ病み上がりなんですよ? もう少し自重して下さい――さあ、どうぞ」
ベッドを整え終えて促すと、サンディ様はベッドに腰掛けた。しかし横になろうとする様子はなく、少しだけ俯いたまま小さく呟いた。
「ねえエド。やっぱり昨日のこと、怒ってる?」
――それは心底意外な質問だった。昨日の件……あの虹の夢をかけられた事で、僕が何に怒るというのだろう??
「え? 全くそんな事ないですが……どうしてそう思うんですか?」
「だってあれから私、避けられてるみたいだったし……。夕食の時は話しかけもしなければ、目も合わせてくれなかったわ……。レオンとは普通に話していたのに……」
いや……それは僕がまだ色々と必死で、余裕が無かっただけで……。
それにしても、なにやら思わぬ所で心配を掛けていたらしい。もしかして昨晩無茶な行動を取ったのは、そのせいか?
「全然怒ってなんかいませんよ。それにそもそも僕の方から実験台に志願したんですよ? それで僕が怒るなんて筋違いもいいところじゃないですか」
「じゃあなんで……」
その瞳の潤みは熱のせいか、それとも別の感情か……。どちらにせよその理由を聞くまで横になる気は無いらしい。この方は一旦こうと決めたらひどく頑固な所がある事はすでに承知している。
「あー……本当に心配をおかけして申し訳ありません。でも怒ってなんかいませんし理由もお話ししますから、とりあえず今は横になって下さいませんか?」
渋々といった体で横になったところへ布団を掛けて、僕はベッドサイドの椅子に腰掛けた。
「今食欲はありますか? テレシア殿が聞いていましたよ」
「あ、えっと……今は食べたくないかも」
「スープだけでもどうですか?」
布団に顔を半分隠しやや目を伏せてイヤイヤと首を小さく横に振るその仕草は、まるで小さな子供のようだ。
「それよりも先に、理由を教えて……」
「いいえ。先にテレシア殿に伝えてこないといけませんので、今はこれで失礼します」
途端に布団から顔を出し、猛抗議される。
「えー、話してくれるって言ったのに!」
「今話すとは一言も言っていませんよ?」
そう言って微笑んでみせたら、口を尖らせた後にぷいと背中を向けられてしまった――ことごとくその仕草が子供っぽい。
……締め付けられるような胸の奥の苦しさを、僕はあえて無視して立ち上がる。
「では、失礼します」
部屋を出て、そっと扉を閉めて。そのドアノブに触れたまま、深く長いため息を吐いた。
まったく……まだ朝だというのに、これは今日何度目のため息だろう。
(さて、どう話せばいいものか……)
僕は頭を掻きながらダイニングに向かった。
***
エドが出ていった後、私はしばらく眠っていたらしい……全身を濡らす汗の不快感で目を覚ました。
ベッドから起き上がると身体は朝よりずっと楽だった。熱が少し下がったのかもしれない。
身体を拭いて着替え終わった後、カーテンを開けると日は既に高い。窓をあけて換気しているとノックの音が聞こえた。
「サンディ様、起きてますか?」
「はい……どうぞ」
エドがドアを開け放つと、窓から入ってくる風が抜けていく。昨晩の雨のせいか、やや湿った匂いがした。
「あれ、もう起きて大丈夫なんですか?」
「ええ、さっき起きて着替えた所なの。だいぶ楽になったみたい」
「そうですか、でもまだ無理してはだめですよ」
エドは手に持っていたトレーを机に置き、水差しを交換してくれる。
「替えのお水持ってきました。あともし食べられるならってテレシア殿から」
エドの手には綺麗にカットされた梨が乗っている。
「わあ、ありがとう!」
ちょうど喉が乾いていたのと、少し食欲が戻ってきた所だった。さすがテレシア、そのタイミングの読みは神がかってる。
瑞々しい果汁に舌鼓をうっていると、エドが声をかけてきた。
「少し顔色が良くなりましたね。――確認させてもらっていいですか?」
「うん」
そっと額に触れたエドの手は暖かかった。
「――うん、やっぱり熱はだいぶ下がったようですね。でも念の為、今日は一日しっかり休んで下さい」
「はーい」
梨を食べ終わってお腹が落ち着くと、さっきの質問を思い出す。
「ねえ、エド……」
「はいはい。僕が何を見たのか、って話ですよね?」
今度ははぐらかされなかった。エドは仕方ないなぁといった風に笑いながら、軽く両手をあげて降参のポーズをしている。
「とりあえず身体が冷えるといけないのでベッドに入って下さい。それからお話しましょう」
私がベッドに入ると肩にカーディガンをかけてくれる。ベット脇の椅子に腰掛けたエドは、ぽつぽつと話し始めた。
「――あの時僕は、密かにお慕いしている方を見たんです」
――チクリ
なぜか少し、胸の奥が痛んだ。
お慕い……要するに、好きな人。
エドにそんな人がいるなんて初めて知った。だってエドは奥手だってトーヴァから聞いていたし……。
「でも僕には今までその自覚が無かったんです。それで、その……少しだけ驚いてしまいまして」
へにゃりと情けなく笑ってみせるエド。私に向けられたその笑顔はすごく優しくて……また胸の奥がチクリとした。
「その人って、どんな人なの?」
「ハハッ――そこ聞きますか?」
「だって気になるもの」
ふむ……と伏し目がちに腕組みするエドの表情は、長い金色のまつ毛が強調されて妙に艶っぽい。
「そうですねぇ……とある国の、とても高貴なお方です。とてもじゃ無いですけど僕なんかの手が届くような方じゃなくて……」
身分違いの恋だろうか? でもエドは天界の高位貴族だ。そんなエドの手が届かないというと……もしかして精霊国あたりの貴人なのかもしれない。
「そうなんだ……。エドはその気持ちをどうするの?」
「どうもこうもありませんよ。叶う見込みが無いんですから、僕の中に封印したまま虹の橋を渡るまでです」
エドは微笑みながらもキッパリと言い切った。
虹の橋…… これはギベオリード叔父様の書庫で読んだことがある。
天界での言い伝えでは、亡くなった人の魂は虹の橋を渡って輪廻の輪に戻るという。つまりこれは前世風に言えば『墓まで持って行く』という意味だろう。
でも……そんなの悲しすぎる……。
「さあもういいでしょう? ああそうだ、他に何か食べたいものとかあればテレシア殿に伝え――」
「いいえ、今は大丈夫よ。それよりエド……」
「ん、何です?」
その願いが叶うわけないと思ってるエドにとっては、はっきり言って余計なお世話かもしれない。それでもエドには幸せになってもらいたくて……精一杯の笑顔で伝えた。
「私……エドの願いが、いつか叶うように祈ってるね」
――チクリ
また胸の奥が痛んだけど、これはエドへの同情心だろうか……。
エドは一瞬目が大きくなったけど、すぐに寂しそうに笑った。
「ええ……ありがとうございます……」
エドのやや潤んだ瞳を見て、私もなぜか目の奥が熱くなる――それでも今日はちゃんとエドと話が出来てよかった。
「じゃあゆっくり休んで下さい。夕食の時間になったらまた来ますから」
……なんだかすごく疲れた気がする。
倒れるように横になると、エドがそっと布団を掛けてくれた。その笑顔はとても優しくて……なぜか胸だけがとても苦しい。
エドが出ていき、ずっと開け放たれたままだったドアが閉められると部屋が急に静かになる。
――チクリ……チクリ……
静かになると、胸の奥のチクチクが余計気になって眠れない。それから私はしばらくベッドの中で寝返りばかり打っていた。





