強風の誘い
朝食後にレオンとロムス、そしてマリンは外庭に出ていた。ロムスはさっきからレオンの背中に興味津々のようだ。
「なあ、これ何だ? どうやって使うんだ?」
「わっ! これすっごく大事な物なんだから、勝手に触らないでよー」
背負っている燻し銀に鈍く光る棒を突かれて抗議するレオンだったが、それ以上の拒絶はない。ゆるく弧を描き半身をやや超える長さのそれを、背中から降ろしながら説明する。
「これはね、魔弓っていうんだ。天界の騎士団長様と魔道士団長様から頂いたんだよ」
レオンが弓を構えて力を通すと、細く白金に光る弦が現れる。そこに右手を添えると同じ色に光る矢が現れた。そのまま弦を引き絞り、宙に向かって矢を放てばついと真っ直ぐに飛んでいく。
「なるほど! 精霊力を使って弦と矢を出すのか……こりゃ面白いな!」
素直に驚くロムスを見て、レオンはとても嬉しそうだ。
「矢籠を持ち歩く必要も無いし、一見して武器っぽくないのもいいでしょ?」
「ふむ……ちょっと貸してくれねえか、それ」
「うんいいよ。大事なものだから大切に扱ってね」
「おう」
ロムスは庭の外に向けて魔弓を横に構える。
「こんな感じ……か?」
見様見まねで力を入れればすぐに弦が現れたものの、ふるふると震えたり霞んだりしてやや不安定だ。しかし間もなくそれはピンと張られて静かになる。
「僕、それを安定させるのにもっと時間かかったのに……」
レオンが少々悔しそうに呟いた。しかしいつもならここで軽口を叩くはずのロムスが、今は静かに集中していることに気づき黙って見守る。
弦にそっと右手を添えてさらに集中する――ロムスの額から一粒の汗が滑り落ちるのと同時に、弦の上に三本の矢が現れた。
(……えっ、三本!?)
レオンの目が驚きに見開かれる。
いつになく真剣な表情のロムスは、それを宙に向けて引き絞る。無言のまま一気に解放すると、三本の矢はそれぞれの方向に美しい放物線を描いて消えていった。
「すごいや、ロムス!」
「……いや、すげえのはこの弓の方だ。俺じゃねえ」
集中を解けば既に弦は消えている。くるりと一回バトンのように魔弓を回すと、ロムスは大きく息を吐きながらドサリと椅子に腰掛けた。
「――不慣れな俺が使ってもある程度は応えてくれる、いい弓じゃねえか。それに力の通りも悪くねえ」
「これ、僕用に調整してくれてるって言ってたよ」
ロムスは魔弓をまじまじと観察している。
「ああ、そうだろうな……正直俺にはちょっと使いづらい。ものすごく繊細な制御が必要になるから、俺が実戦で使うのは厳しいだろうな」
実戦で使うには、弦や矢を出現させる速度が求められる。それに対応するのが難しいという意味だろうか。
――確かにさっきの様子を見る限り、ロムスが扱うには相当の集中が必要そうだが。
「誰でも扱えるってもんじゃなさそうだな。まあ、その方が安心だ……お、あんがとよ」
ロムスはマリンが差し出した布を受け取ると、魔弓をサラッと拭いてレオンに返す。そのまま顔の汗を拭いながらレオンの肩を叩いた。
「やりようによっちゃ、面白え事が出来そうだな。色々試してみろよ」
「うん、ありがとう!」
その時、急に強い風が吹いた。舞い上がる砂埃に目を細める面々。
「あ、エドだ」
エドアルドがベランダから飛び出して、風に舞う紙を宙で追いかけては掴んでいる。
そのうち捕まえきれなかった一枚の紙がロムスの足元に落ちてきた。何気なく拾って目を走らせると、ロムスの表情が険しくなる。
「――どうしたの、ロムス」
「エドアルドさんの書類ですか~?」
「ダメだ……二人とも、紙が飛んできても絶対に見るな」
「「え……?」」
拾った紙を胸に伏せ、軽くうつむくロムスのその低い声に二人はたじろいだ。
数枚の紙を手にエドアルドが舞い降りてきた。ロムスは自分が拾った紙を渡しながら、顔を耳元に寄せて低く告げる。
「おい何だよこれ……今から部屋行っていいか」
「ああ、構わない。ただあの二人はまだ……」
眉間に皺を寄せつつ、ロムスは小さく息を吐いた。
「――バーカ。頼まれても連れて行かね……いや、行けねえよ」
ロムスが振り向いて、レオンとマリンに声をかけた。
「おい、俺は今からエドと話があるから……」
――ガシャン
その時屋敷の方から、何かの割れる音が聞こえた。
二人は顔を見合わせると、ロムスはすぐに小さく細い蛇へと変化してエドアルドの首に巻き付く。それと同時にエドアルドは地を蹴った。
***
今朝の朝食時、エドアルドの様子がおかしかったことがひどく気になっていた。
私も含めて皆が賑やかに話す中、一人だけ無言な上にひどく顔色が悪い。食べ物には殆ど手を付けず、スープだけ飲むと早々に自室に戻ってしまった。
その上前髪で隠れていてわかりづらかったけど、額がやや赤くなっていて腫れているようだった。ダイニングを出た所で呼び止めて聞いたけど『寝ぼけてぶつけたんです』としか言ってくれない。
「なんかエドアルドさん、様子がおかしかったわねえ」
「うん……」
一緒にキッチンを片付けているテレシアも気付いていたようで、心配そうに呟いた。
(昨日の事、怒ってるのかな……)
私が飲酒の件を内緒にしてと言ったせいで、悩んで眠れなかったとか?
――いや、もしかしたらそれがお父様にバレて、ひどく怒られたとか……?
なんにせよエドアルドのあの様子は普通じゃない。今から部屋に行って様子を見て来ると言うと、テレシアがハーブティを淹れてくれた。
「これ、少し甘いから気分が落ち着くのよ。あと胸がスッとするようにミントも入ってるわ」
「――ありがとう、テレシア」
ティーセットをトレーに乗せて、エドアルドの部屋の前に来た。そしてドアをノックしたけど返事が無い。
――もしかしたら休んでいるのかもしれない。それならそれでいいんだけど、もし倒れたりしてたら……と考えたら余計に心配になった。
念の為もう一度ノックをするけど、やっぱり返事がない。
「エド、居る……? 入りますよー……?」
そっとドアを開けると、部屋中に書類が散らばっている。
(何これ……?)
見れば窓もベランダも全開で、強い風が吹き込んでいる――しかしエドアルド本人の姿は見えない。
とりあえず両手を塞ぐトレーをテーブルに置くために一歩部屋に入ると、また強い風が吹き込んだ。背後でドアが大きな音を立てて閉まると数枚の用紙が舞い上がり、そのうちのやや大きめな一枚が目の前に飛んでくる――それは、紙いっぱいに魔法陣のようなものが描かれていた。
(わっ……!)
バサリと顔に張り付いたそれを振り払おうとしたその瞬間、額をガンと殴られたような衝撃に襲われて、私の視界は暗転した……。





