天界の街で
朝食後エドアルドは、天界王ウルスリードに呼ばれて執務室に向かっていた。
何の用かは判らぬが、昨日サンディ様に請われた外出許可についての可否をついでに伺おう。そう考えながらノックの後に許可を得て部屋に入ってみると、なぜか既に支度を整えたサンディとレオンが笑顔で待っていた。
「二人を市井見学に連れて行ってくれ。案内ついでに護衛も頼む」
外出許可……一応聞いてはみるが、まず許可など出るまい。そう思っていたエドアルドは、王の口から出た言葉に拍子抜けした。そして王の隣では、王女殿下が満面の笑みである。一体何があったのかは判らないが、とりあえずうまいこと説得したらしい。
聞けばレオンは、サンディの希望で急遽呼ばれたそうだ。「天界などなかなか来る機会もないし、ぜひ見せてあげたい。ついでに私の護衛も兼ねて貰えばいいでしょ」と。
これも王女殿下の作戦勝ちのようだ。
そして今三人は天界城の周囲に大きく広がる城下町の、市場エリアを歩いていた。
サンディは膝下まである銀鼠色のマントを羽織っている。縁に細い銀糸を使って施された、控えめながらも繊細な飾りステッチが美しい。裏側には目隠効果が付与されており、大きめのフードを目深に被っている今は表からその表情が見えづらい。
髪はゆったりと編んで肩から前に垂らしている。今は隠蔽のブレスレットを装着している為にその色は黒く、陽に当たっている箇所は淡い紫色に輝いている。
レオンも同じように裏側に目隠効果が付与されたマントを羽織り、フードを目深にかぶっている。その表側は暗い紅色で、縁には細い金糸を使ったステッチが入っている。腰には細身の長剣を佩いており――これらの装備は、レオンが天界王から祝福を受けた際、一緒に授かった物だそうだ。
エドアルドは訓練時とあまり変わらない、動きやすさ重視の軽装だ。しかし今日纏っている艶のある墨色のマントは格式を感じさせ、白い翼が更に美しく映えている。腰には使い込まれた長剣を佩いており、いかにも護衛役らしい出立ちである。
市場は活気に溢れ、屋台からは食欲をそそる香りがふんだんに流れてくる。
小一時間ほど前に朝食を終えたばかりだというのに、レオンは串刺しの肉を焼いている屋台へ熱い視線を送り続けている。サンディはロール状に巻かれた色とりどりの布が立てかけられている店を見つけると、熱心に眺めていた。
「何かお気に召したものがあれば、後で城に運ばせますよ」
エドアルドが小声でそう告げると、サンディは大袈裟な程に両手を振る。
「いえっ、そういうつもりで見てたんじゃないの! ただ、色合いが素敵だなぁと思っただけで……」
するとサンディの声を聞いたのか、店の奥からふっくらとした体型の中年女性が出てきた。
「おや、翼を持たないお客さんは久しぶりだねえ。精霊国のお方かい?」
「ああ、そうだ」
エドアルドはにこやかに頷いた。
「二人共天界は初めてなんだ。……そうだ。彼女に合いそうなものを、何か見繕ってくれないか?」
「えっ? ちょっと、エド?」
女性は驚いているサンディに遠慮することなく、むんずと腕を掴んだ。
「ええ、ええ、良いですとも! お嬢さん、さあこちらへどうぞ!」
店主だと名乗るその女性は、嬉しそうにサンディを店の奥へと引っ張り込みながらも口は止まらない。
「ほら、フードを外してごらんよ。あらあ、綺麗な黒髪だねー! それにえらいべっぴんさんだよ! こりゃ、どれも似合いそうで困ったねえ!」
女性は困った困ったと言いながら満面の笑みである。そのままサンディを試着室に勢いよく押し込むと、色とりどりの生地が巻かれたロールを何本も抱えながら、エドアルドに大声で告げた。
「お兄さん! ちょっと選ぶのに時間がかかりそうだから、その間そこらで何か食べてるといいよ!」
「ああ、頼んだよ」
エドアルドは、レオンが貼り付いていた屋台で肉の串焼きを購入した。スパイスの効いたそれはなかなか美味い。レオンも満足そうに咀嚼している。
もちろんその間もエドアルドは、サンディの入っていった店の奥が見える位置をキープし続けていた。店内では女性が何往復もして、生地のロールを運んではカーテンの中への出入りを繰り返している。
串肉を食べ終わり、おかわりを要求するレオンをやんわり制止していると、店の女性から声をかけられた。
「お兄さんたち、ちょっと来てくれるかい」
二人で店内に入ると、中は意外と奥行きがある。試着室は採寸室も兼ねており、カーテンの面積から考えると人が三人程度は余裕で入れるくらいの広さはありそうだ。
「とりあえず本人の好みで選んでみたけど、どうだろうね」
店主がカーテンを開けると、薄桃色ベースにふんわりとした水彩画のような色合いの花々が染め付けられた生地を肩にかけられたサンディが立っている。
「この生地はね、昨日入ってきたばかりのオススメ品だよ! ただ、お嬢さんは黒髪に黒目だから……少し弱い気もするんだけどさ。まあでも、本人が好きって言うからねえ」
確かに、今の黒髪に合わせるにはやや弱い気がする。だがブレスレットを取って本来の姿になったら、さぞかし柔らかく映えるはずで。
エドアルドが隣を見ると全く同じ事を考えていたらしいレオンが、何度も頷いている。
「うむ。それはキープしておいてくれ」
「いいのかい? あたしゃこっちの方が似合うと思うけどねぇ……」
店主の女性はそう言うと、深い赤紫色の艶やかな生地を出してサンディの肩にかける。
「どうだい? これなら美しい黒髪にも負けない強さがあるよ?」
もちろんこの女店主は、サンディの本来の姿を知らない。しかし瞳の色と同じそれを選ぶセンスとその偶然に、密かに驚いた。おまけに黒髪の今に合わせると、何とも妖艶な美しさを感じさせる。
「う、うむ。それもよく似合っているな……」
「じゃあこっちはどうだい?」
そう言って店主は次から次へ、色とりどりの生地をサンディの肩にかけていく。
どれも似合うとエドアルドは思ったが、いかんせん女性の……いや、自らの服飾センスの無さを再認識するばかりである。
助けを求めるようにレオンを見てみれば、今度はフルーツをその場でジュースにして販売している屋台に熱視線を送っている。これではアドバイザーとしてはもちろん、護衛としても頼りにならない。
その時、懐にしまっている水晶玉の呼びかけを感じた。店主に少々待つよう合図し、背を向けてそっと取り出すと、そこには燃えるような赤い髪を持つ王の姿が映っている。
「サンディの選んだ薄桃色、そして赤紫。あと青紫の薄物があったな。その三つだ。あとは好きにしろ」
それだけ言うと画像は消えた。
(いやはや、しっかり見ていらっしゃる)
エドアルドは思わず苦笑いした。その後少々悩んだ末に、白地に色とりどりの草花の絵が染め付けられた張りのある生地を追加で選んだ。そしてそれらの仕立てをお任せで頼み、少々色をつけて代金を支払う。
「上がったら王城の騎士団宛で届けてくれ」
伝票に自身のサインを入れながらそう告げると、女性の目がまんまるに開いた。
「あら、騎士団のお客様でしたの! これはこれは、大変光栄でございます! 最短納期でお届けいたしますから、しばらくお待ちくださいね!」
満面の笑みで手を振る女性にあとを任せ、一行は生地店を離れて歩き出した。
レオンは早速、先程熱視線を送っていた屋台で生搾りジュースを買ってもらってご満悦だ。サンディも店員におすすめされた、赤瓜の果肉がたっぷり入った真っ赤なジュースを一口飲んでみる。
「あ、これとっても美味しい」
見た目はトマトジュースのように真っ赤なのだが、味と香りは濃厚な完熟メロンのようだ。それでも後味はさっぱりとしている。
「それはよかったです。赤瓜はお肌にいいとされていて、女性に人気らしいですよ。真っ赤な花が咲くのですが、それもまた美しくて……って、あそこに赤瓜の苗が売られていますね」
エドアルドの指差す方向を見ると、花屋の屋台が出ている。色とりどりの切り花だけでなく、苗木や鉢植えの類も扱っているようだ。
サンディが近寄って花を眺めていると、屋台の裏からから活発そうな少女が出てきた。年は十五歳くらいだろうか。肩まで伸びた明るい青色の癖っ毛を揺らし、クルクルとよく動く深い緑色の瞳は、表情豊かにこちらを見ている。
「いらっしゃいませ! わあ、翼の無い人って初めて見ました! もしかして、精霊国の方ですか?」
エドアルドは、先ほどの生地店の店主を相手にした時と同じように、微笑んでそれを肯定した。
「ああ、そうなんだ。この方は天界の花をあまり知らないから、色々と見せてやってくれないか」
「ええ、よろこんで!」
サンディはエルーダと名乗った花屋の娘に、切り花のコーナーへと案内される。天界の花はどれも美しいが、とても大きくて香りが強いものが多い。それらは形も多彩で、地上や前世も含めてサンディの記憶には無い花ばかりである。
サンディが花を見せて貰っているのを見守るエドアルドに、飲み終わったジュースのゴミを捨てて戻ってきたレオンが話しかけた。
「あのさ、僕さっきから気になってる事があるんだけど」
「なんだ?」
「僕たち、今まで一度も地上人か? って聞かれてないよね? 天界では、翼が無い人はイコール精霊国人、って認識なの?」
「ああ、それは……」
エドアルドはすぐに答えることができなかった。それは天界の汚点のようなものだから。
どう説明したものかと悩んでいると、突然目の前でレオンが弾き飛ばされ、切り花を飾ってあるコーナーに叩きつけられた。ガシャンという大きな音を立て、美しい花々が千切れ飛ぶ。
「レオン!」
すぐにサンディが駆けつけ、レオンが起き上がるのを助けていると、五人の大柄な男達が目の前に現れた。
「へえ、翼のない女もいるぜ」
「こいつら、もしかして、地上人じゃねえのか?」
男の一人が、飛ばされた勢いでフードの外れたレオンを指差す。
「こいつなんて獣人だぜ」
「うっわ、マジもんの地上人か? やべえな」
レオンが立ち上がったのを確認すると、エドアルドがその前に立って剣を抜いた。サンディは後方で、花屋の娘エルーダを庇うように立っている。
「お前たち、それ以上この方達に近寄る事は許さん」
エドアルドの警告にも関わらず、ひときわ大きな翼をもつ男たちはニヤニヤと笑いながら剣を抜き、距離を詰めてくる。
「お前、俺たちのシマで剣を振り回すつもりかよ」
「――レオン、行けるか?」
「――もちろん」
エドアルドの低い声に、レオンが剣を抜きながら答えた。サンディもマントの下で、腰の袋からそっと笛を取り出す。
「なあ、兄貴ぃ。地上人ってよぉ、近寄っただけで病気になるっていうぜ?」
「そりゃ魔界に近いところで暮らしてるんだからな。病原菌みたいなもんだろ」
「さっさと駆除しないと危ないよなぁ」
先程彼らの口から『地上人』という言葉が聞こえてすぐ、レオンの視界の中で数人の天界人がその場を離れ、他の者もやや距離をとった様に見えた。面倒事を避ける為だけにしては少々大げさだ……そう感じていたが、レオンはその理由を今、ぼんやりと理解した。
(地上人は、魔物の隣人、か……)
レオンは怒る気にもなれず、只々残念な気分であった。





