偽りの記憶
サンディは被っていたフードを下ろすと、ごくごくと勢いよく水を飲んだ。
「っはあー、おいしい!」
普通の水をいかにも美味しそうに飲むサンディを見て、周囲の者たちは思わず笑顔になった。騎士や魔道士達が遠巻きにひそひそと話す。
「――アレクサンドラ殿下って、なんだか意外と気さくよね」
「――見た目は妃殿下に瓜二つだが……やはりまだまだ可愛らしくていらっしゃる」
「――我々のような身分の低い者に対しても態度が全く変わらない……稀有なお方だ」
皆から密かに注目されているサンディは、肩から前に垂らした自身の髪を見て動きを止めた。
軽くうつむいたその姿勢に『流石に少々疲れたかな?』と思った周囲の者たちは、そのままそっとしておく。
そしてかれこれ五分以上経っただろうか。サンディはその姿勢のまま全く動く気配が無い。流石におかしいと思った魔道士団長は、騎士団長と目を見合わせてうなずき合った。
「――殿下、お疲れではないですか?」
ラフォナスが近寄り、そっと低く優しい声をかけて覗き込んだ。するとサンディの目は開いているのに、その視点は定まらず……ぶつぶつと何かを呟いている。
「ねえカルリオン! ちょっと、これ……!」
ラフォナスが咄嗟に指輪を構え、宙に逃げ距離をとる。異常に気付いたカルリオンも剣を抜いて防御の姿勢をとった。
「皆、殿下から離れろ!!」
カルリオンが大声でそう告げた直後、サンディの身体から全方位に激しい雷撃が放たれた。
――サンディのすぐ側では防御の間に合わなかった数人が倒れている。急な混乱の中カルリオンは宙に離れ、サンディから距離を取りつつ指示を下す。
「総員、防衛体制! 手の空いているものは負傷者を運べ!――ラフォナス、殿下をお止めするぞ!」
騎士や魔導士達の殆どは既に宙に逃れているが、地上にはエドアルドとレオンが残っている。エドアルドは咄嗟に防御壁を繰り出し、飛べないレオンを守ったのだ。
二人はその後すぐ運悪く雷撃を食らって倒れた者を訓練場外に運びだし始めると、他の無事だった数名が負傷者の搬出に手を貸している。
そんな中……サンディがゆらりと立ち上がると、まるで瞬間移動かと思わせる速度で宙に浮くラフォナスの目の前に現れた。
「ちょ……速っ」
その直後、至近での落雷に似た耳が割れんばかりの轟音が響いた。弾かれたラフォナスの大きな身体は訓練場の壁に激突し、ゴシャリと鈍い音を立ててそれを崩す。
(今の攻撃は……先程の訓練時にラフォナスがエドアルドに対して放ったものと同じだ……いや、威力はそれ以上か……?)
――カルリオンは戦慄を覚えつつ、サンディに声をかけた。
「殿下! お鎮まり下さい!!」
その声に反応したサンディは、手に持った笛を剣に変えてカルリオンに襲いかかった。剣を習ったことが無いはずの王女殿下――しかしその剣筋は鋭くしなやかで、カルリオンですら押され気味だ。
(くっ……これは!?)
距離を詰めて当て身で気絶させればいい――最初は簡単にそう考えていた。しかし今のカルリオンにそんな余裕はない。パワーこそ不足しているが、それを補って余りある鋭さとしなやかさのある剣筋……。
(これは……レオンに似ている……?)
王族の女性相手に本気で斬り付けるわけにもいかず、カルリオンは完全に防戦一方である。おまけにその剣には魔法も加わる。しなやかな剣筋から半瞬遅れて到達する青い炎を纏った風刃。これは先程エドアルドが見せた攻撃と酷似していて……。
(今まで見ていただけの魔法を、そのまま使いこなしているというのか――)
美しい赤紫色の瞳は焦点が定まらぬまま、王女はひたすら攻撃を繰り出してくる。しかもそれは徐々に威力が増していく一方だ。
(――やむを得ぬか)
少々傷つけてしまっても、止めるためなら仕方ない。そう判断したカルリオンは、剣身の平を使って王女の肋を狙った。
(――今だ!)
全力で叩き付けようとしたその時、目の前の王女が消えた。
(?!)
叩きつけられたのは自分の方だ――そう悟ったのは、地面に身体を強かに打ち付けた後だった。
「――騎士団長、生きてる?」
「っく……ああ、おかげで助かった」
横には土埃を被ったままのラフォナスが立っている。カルリオンが受け身を取る間もなく地面に叩きつけられる寸前、ラフォナスが魔法で衝撃を弱めてくれた事はすぐにわかった。
――それにしても、王女は強い。このままでは動きを止めることすら難しい。
今も宙に浮く王女は、剣を短杖に変化させている。
「どうすんのよ。アレクサンドラ殿下があんなに強いなんて、聞いてないわよ?」
「俺だって知らん――来るぞ!」
白い短杖が自分たちの方に向いた事に気づいて咄嗟に身構えた。――その瞬間王女と彼らの間に、実体のない四枚の白い翼を持つ長身の男が現れて割り込んだ。
「サンディ、少々お転婆がすぎるぞ」
燃えるような赤い髪を持つその男は王女の放った特大の炎弾を弾き飛ばすと、それは遥か上空に飛んでいって消える。
「陛下!」
「ウルスリード陛下だ!」
騎士団の面々が、驚きと安堵の入り混じった歓声で王を迎えた。
「二人共、下がれ」
カルリオンとラフォナスが即座に宙に離れると、ウルスリードは真紅のガントレットを装着した右手を振り下ろす。
途端にサンディは地面に叩きつけられ、そのまま地に磔られた。
「相変わらず、えげつない重力制御ね……」
ラフォナスが呟くと、カルリオンは心配そうにウルスリードの表情を伺う……が、その場所からはよく見えない。
「うっ……ぐっ……」
ウルスリードは、苦痛に歪む娘の顔を見てかすかに眉を寄せる――が、その圧力を弱める事はない。
(目を覚ませ、サンディ……!)
***
――いやああああああああああっ
自分の口から発せられたその悲鳴は、驚くほど大きかった。
血濡れた両手は震えが止まらない。血の海に浮かぶ肉塊の向こうから黒い装束を纏った長身痩躯の男が現れると、とたんに背筋に悪寒が走って本能的な恐怖感に包まれる。
――あの男を、絶対自分に近づけたくない
私はその手から最大級の雷撃を放つと、男は吹っ飛んで廊下に消えた。
……ホッとしたのも束の間、別の方向から現れたその男がゆっくりと近寄ってくる、
(いやだ……怖い……!)
横笛を変化させた白い剣を使い、全力で男に斬りかかった。……けどその剣筋はあっさりと躱されてしまう。暗褐色の髪を持つその男は、明るい琥珀色の瞳を楽しげに揺らしながらこちらに歩んできた。
――ほら、こっちだ……もっと、全力でかかってこい!
その声を聞くだけで心が恐怖と嫌悪感で溢れてしまい、冷静さが完全に失われる。
「死ねえええええっ!!」
自分でも押さえきれない程の怒りに任せて力を叩きつけると、床にめりこみながらグシャリと潰れていく男。しかしその顔には笑みが浮かんでいる。
――そうだ、その調子だ……ククク……
攻撃すればするほど、その男は潰れた身体のままで愉快そうに近寄ってくる。――気持ち悪い。心底気持ち悪い。自分ではもう押さえきれないこの嫌悪感に翻弄されていると、急に身体が動かなくなった。
(だめ……これじゃあの男が来てしまう――いやだ!)
なんとかこの謎の拘束を解こうとするけど、身体は全く動かない。もうすぐあの男の手が、私に触れてしまう……!
その時、頭の中に聞き慣れた声が響いた。
「みんなを傷つけたらダメだよ!」
(――レオン?)
なぜここでレオンの声が聞こえるのかわからない。いや、これはもしかしたら幻聴……?
「森のみんなが待ってるよ! グレンダも、マリンも、ロムスも!」
脳裏に皆の顔が浮かんだ。精霊の森で過ごした日々。みんなとの楽しい時間……。
「テレシアだって、サンディの事が大好きだよ!!」
その叫ぶようなレオンの呼びかけで、全てを思い出し……そして繋がった。
(私は……アレクサンドラ!!)
***
訓練場の中央で地面に磔られているサンディに向かって、先ほどからレオンが懸命に声をかけている。
レオンがたくさんの名前を挙げたところで、サンディの様子が変わった。それを確認し、ウルスリードは思わず口の端を上げる。
(――気付いたか)
サンディの表情から苦悶が消え、その瞳の焦点が定まった。それを見てすかさず重力制御を解除すると、白き力を振るって何かを切ったようだ。
すぐにサンディの元へ降り、背中に手を添えてそっと身体を起こしてやる。
「――痛むところは無いか?」
「お父様……」
しっかりと目を見てそう呼ばれると、ウルスリードは心臓が大きく跳ね上がるのを自覚した。
記憶を失った愛娘は、今まで透視石越しに自分のことを『お父さん』と呼んでいた。しかも、実際に顔を見たのは今が初めてのはずだ。
しかし、今の呼び方は昔のままで……。
「私、思い出しました……あの日の全てを」
そう言いながら愛娘は、腰に下げた袋から銀色のブレスレットを取り出した。
深い青紫の石が揺れて強く輝くと、真っ二つに切断された黒蝶の死骸に纏わりつく淡い青紫の光を吸収していく。
その様子を見つめる父娘の頭の中に、優しい女性の声がふと小さく響いた。
「迎えに行けなくて、ごめんね……」
「マリエラ!」
「お母様!」
周囲に集まった者達は、抱き合い嗚咽する二人を黙って見守っていた……。
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