バリトンボイスの指導係
今朝は、王城の裏手にある大きな訓練場にやって来ている。
シンプルな、しかし頑丈そうな作りの鉄門を馬車でくぐり抜け、しばらく進むと石造の大きな建物が見えてきた。その入り口の前で馬車が止まり、降りてみれば剣の打ち合いと思われる金属音がもうここまで聞こえている。
本日は訓練の見物――いや視察のはずだったけど、なぜか急遽、自分も訓練に参加する事になっていた。
そのため上半身はしっかりとした生地のシャツの上から胸当てを装着。下半身はパンツスタイルに革製のロングブーツである。
腰には黒妖精からもらったサコッシュを下げ、万一の為に『魔法の衝撃を和らげる』という、つるりとした白い生地のマントを羽織っている。
――美しいドレスもそれはそれで素敵だと思うけど、こういうスタイルの方が動きやすくて好きだ。
サコッシュは今朝トーヴァが持ってきてくれたけど、見慣れた琥珀色の石がなぜか袋の本体に付いていた。ブレスレットの方を見ると、以前と同じように青紫色の石だけになっている。
「そちらは、陛下が付け替えたそうでございますよ。その袋の中では、時間すら止まってしまうと聞いております。となると、守護を付与してあっても発動できないのでしょう。ご安全の為にも、そちらの方が宜しいかと思いますよ」
トーヴァの説明で納得すると同時に、自分のしでかした大きな間違いに気付いてしまった。
(魔樹が出た時にブレスレットの事を思い出していたら、もっと早く解決していたかもしれない……)
内心で少々凹んでいると、侍女たちが私の前に姿見を置く。そこには編み込まれた髪を肩に垂らし、ローブを纏った私がいた。試しにフードを目深に被ってみればまあそれなりに、前世で読んだお伽話の魔法使いっぽく見えなくもない。
「殿下、とてもよくお似合いですよ」
侍女の一人がそう言って褒めてくれたので、一応笑顔を返す。でもこの格好はあくまでも訓練の為であってコスプレではないし……。そう思うと、せっかく褒められても只々緊張が増してしまう。
迎えに来てくれた騎士は全部で五名。先頭には特に背の高い、褐色の肌をした偉丈夫が見える。体躯も翼も周囲の者達より一回り大きく、きちんと整えられた漆黒の髪を持つその人は、赤みを帯びた茶色い瞳でこちらを見ている。
騎士らが全員私の前で跪き、最高礼の姿勢になるとその大柄な男が口を開いた。
「アレクサンドラ殿下、拝謁が叶いまして大変光栄に存じます。私は騎士団長のスコット・カルリオンと申します。本日は私が責任を持ってご案内致しますので、何なりとお申し付け下さい」
「――は、はい。今日は宜しくお願いします」
「それでは皆にご紹介を致しますので、こちらにどうぞ」
――ここに来る前、トーヴァから聞かされた事がある。
ここは訓練の場であり今回はそれに参加させて貰うという事もあって、過剰なエスコートは一切不要と先に申し伝えてあるそうだ。
これはそういった事に慣れていない、私のための配慮だと思う。おかげでその挨拶以降、カルリオン団長や他の騎士達に過剰な恭しい態度は無くごく普通の対応だ――これはすごく有難い……精神的に。
カルリオン達に付いて行くと鉄格子の門があり、その向こうでは既に多くの騎士達が訓練に励んでいる。
私たちの姿を見た上官らしき人が、大きな声で集合をかけた。総勢四~五十人はいるだろうか。号令に対し瞬時に反応して綺麗に整列するその様は、訓練が行き届いていることを感じさせる。
「アレクサンドラ殿下にぃー、敬礼!」
揃いの軽鎧を身につけた騎士達と、それぞれに長短の杖を携えた魔導士らが、一斉に剣や杖を捧げて敬礼する。一糸乱れぬその美しさと迫力に、一瞬息が止まってしまう程には驚いた。
「降ろせ! ……よし、訓練を続けろ!」
騎士達はサッと解散し、間隔を開けて再び打ち合いを始める。別の場所では魔道士が的に向けて魔法を放ち、更に別の場所では大きなダンベルを繰り返し持ち上げる男たちも見えた。
「殿下はこういった場所は初めてと聞いております。しばらくはそちらでお掛けになって、皆の様子をご覧になっていて下さい」
カルリオンに訓練場の端に設置された簡易テント下へ案内され、用意されていた折りたたみの椅子に腰掛ける。
改めて周囲を見回してみると、端の方で打ち合いをするレオンの姿が見えた。今のレオンは決して小さくはないけど、周囲の騎士たちは総じて体格が良く、その上翼がある分、とても大きく見える。
レオンは剣の経験が無いと言っていた。でも打ち合いを見ている限り、とてもそうとは思えない。
音もなく予想し難い距離を跳ねるステップと驚くほどしなやかに伸びる腕は、若干の硬さを感じる相手の剣筋を翻弄しているように見える。
「レオン、随分腕を上げたな!」
カルリオン団長が声をかけると、相手の騎士も打ち合いの手を止め、揃って一礼する。
「ありがとうございます、カルリオン様! あの、一つ質問しても宜しいですか?」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「この体勢でのいなしがどうしても上手く行かなくて……」
剣捌きについて身振り付きでレオンが質問すると、カルリオンは丁寧に指導を始めた。自身も剣を抜き、レオンの剣と合わせる。ゆっくりと手首を返しながら実に自然と剣を滑らせ、ふとした拍子に『カン!』と軽く弾けば、レオンの手からあっさりと剣が落ちた。
「すごい! 落とされるのが解ってたのに、全然抵抗出来ませんでした!」
「この角度から叩かれると抵抗は難しい。逆に言えば、この角度だけは絶対取られるな」
「はい!」
――レオンは良い師匠に巡り会えたようだ。カルリオンを見つめる目はキラキラと輝き、その顔にははっきりと、『尊敬』の文字が読み取れる。
「おおっ!」
レオン達の反対方向から、どよめく声が聞こえた。見ると――いや見上げると、魔道士のローブを羽織った二人が激しい空中戦を繰り広げている。翼を巧みに操って空中を飛び回る二人の手からは、絶え間なく閃光が飛び交う。
よく見てみれば、その片方はエドアルドだ。手にはクリスタルを持ち、ひっきりなしに飛んでくる雷撃を巧みに避けてあるいは打ち返しつつ、その合間に青い炎を纏った風刃を放つ。
――その一手一手は激しいけど、手数においてエドアルドの方がやや不利に見えた。
対する相手を見ると、かなりの長身で厳つい体格の男性だ。見た目の若い者が多い中で、その男は一人中年のようで――カルリオン団長より遥か年上に見える。いわゆるガチムチ系の体躯は、魔道士のローブよりも騎士の鎧の方が似合いそうである。
無造作に束ねられた濃紺の髪は肩を越しており、強さを感じる目元には深緑の瞳が睨みをきかせている。ごつい手には銀色の大きな指輪が鈍く光っており、ローブから覗く腕は太く逞しい。しかしその身体捌きは、見た目とは裏腹のしなやかさである。
しばし撃ち合った二人は、その攻撃を止めてお互いの隙を伺っているようだ。よく見ればエドアルドはかなり息が上がっているようだけど、対する中年男は、息が上がるどころか些か退屈そうな表情にも見える。
その時、前方に浮くエドアルドの肩越しに、中年男の視線が私のそれとかち合う。彼がニヤリと笑った気がした次の瞬間、彼の指輪から濃紫の雷撃が閃く。
エドアルドはそこで始めて私の存在に気付いたらしい。チラと振り向くとすぐに青いプラズマを走らせて作ったような防御壁を宙に展開し、その雷撃を正面から受け止めた。
「……くそっ」
エドアルドの苛立ちに、相手の男はフンという素振りで呟く。
「相変わらず、周囲への警戒が甘い……」
男は更に攻撃の威力を追加した。
「……っ!!」
太さと輝きを増した雷撃は、バリバリと耳障りな音を立てながら防御壁との力比べを続けている。空気が割れるような爆音が間近で連続し、耳がおかしくなりそうだ。
恐らくエドアルドは私がここに居るせいで避けられず、まともに正面から攻撃を受け止めている。しかし今私が避けたところで、ここまで攻撃の威力が増している以上、エドアルドが無事逃げられるとは思えない。かといって、あの男の攻撃を受けるのもいなすのも、今の私には無理だろう――せめて少しでも隙を作れれば……。
「殿下……持ちません……逃げてっ!」
「失礼仕る!」
すかさず飛び込んできたカルリオン団長が、私の腕を掴んだ。宙に逃げる寸前に私は地に願い、エドアルドと中年男の間に細く長い金属のツノを立てる――その直後、防御壁が派手に砕け散った。
スパン! という乾いた破裂音が響き、閃光がエドアルドの姿を隠す。
気付けば騎士達も打ち合いの手を止め、固唾を呑んで二人の様子を見守っている。閃光が落ち着くと、そこには翼の一部を黒く焦がしたエドアルドが倒れていた。
「エド……!」
心臓が縮むかのような感覚に耐えきれず、すぐにエドアルドの側に行こうとすると腕を掴んだままのカルリオン団長が私を制止した。
「殿下、エドアルドは大丈夫ですので――どうぞ落ち着いて下さい」
にっこり微笑む団長を見て我に返った。――そうだ、これは訓練だ。あまりの迫力にすっかり忘れていた……。
ふう、と一息吐くと私が落ち着いたのがわかったのか、ようやく掴んでいた腕を解放して頭を下げた。
「咄嗟のこととはいえ、大変失礼致しました」
「いえ、私なら大丈夫です――むしろ助かりました、ありがとうございます」
それよりもエドアルドの方が心配だ。改めて地上を見ると、本人は既に自力で立ち上がりこちらに向かって会釈をしている。
なるべく落ち着いて、ゆっくりと地上に戻ると、エドアルドは申し訳無さそうに頭を下げた。
「殿下……危ない目に合わせてしまい、大変申し訳ございません」
「ああ、エド……本当に無事でよかったわ」
「――訓練中、背後に貴人を置いたのはこれで二度目よ、エドちゃん。次は本当に容赦しないんだから」
「申し訳有りません……」
隣に立つ対戦相手……厳つい男のバリトンボイスは、妙になまめかしい。彼はローブの裾捌きも美しく私の前で跪くと、騎士の最高礼の姿勢をとった。
「私は王城騎士団 魔道士部隊長のレティシオ・ラフォナスと申します。本日はアレクサンドラ殿下の指導係という栄誉を賜り、心より感謝申し上げますわ」
独特な口調……いわゆる『オネエ言葉』が気になって、重要な言葉を聞き逃すところだった。彼が今日の『指導係』とは……。
ラフォナスは立ち上がると、背後にある私の作った金属棒……避雷針を軽く叩きながら口を尖らせた。
「殿下がこれを作らなければ、今度こそエドちゃんを捕まえられましたのに。――これのせいで、アタシの雷撃がだいぶ地面に食われちゃいましたね」
「あ、あの、訓練の邪魔をしてしまってごめんなさ……」
「いいえ、殿下。本っ……当に助かりました。ありがとうございます」
慌てて謝罪すると、焦げた羽に自ら治癒を施しながら、エドが礼の言葉を被せてきた。
「ラフォナス様の雷撃は、直撃すれば心の臓が止まりますから……」
さらっと怖い事を聞いた気がするけど、当のラフォナスは横でニコニコ笑っている。
「そうよぉ~。アタシ好みのかわいい男の子は、ハートをドキュンと止めちゃうんだからねっ」
いや、それを言うなら射止めるだろう。愛を囁きながら、物理で心臓を止めにくるのはやめて頂きたい……。
「それにしても、久しぶりにエドちゃんと手合わせできて楽しかったわあ。以前よりは技も速度も成長してるけど、周辺環境の観察と配慮はまだまだね――精進なさい」
「はい、ありがとうございました」
深々と頭を下げて礼を言うエドアルドは、ラフォナスにバンと肩を叩かれてよろめいた。
そして、見上げる程の大男は『のっしのっし』としか形容出来ない歩みでこちらに来ると、私の身長に合わせた位置へその大きな手を差し伸べる。
「さあ、アレクサンドラ殿下。特別個人レッスンのお時間ですわ」
バリトンボイスのオネエ様はローブの裾を優雅に翻すと、私の手を取りそのまま宙へとエスコートするのだった。





