天界で再会
瞼越しに光を感じ、ゆっくりを目を開いた。周囲は明るく、柑橘系の爽やかな香りがほんのりと漂っている。
私はベッドに寝かされているようだ。天蓋からは紗のような白く薄い布がたっぷりと垂れ下がっている。
少し首を傾けて周囲を見ると、白い翼を背負ったメイド服姿の女性と目が合った。女性は私に気づくと、慌てた様子で部屋を出て行く。
「殿下がお目覚めになりました!」
扉の向こうから小さく聞こえたその声の後、パタパタと複数人の足音が近づき、微かにドアの開く音が聞こえた。
「――貴女は陛下にすぐご報告を。貴女達は湯浴みの用意をしてちょうだい。そこの貴女、直しておいたお召し物をすぐにお持ちして。あと貴女は……」
周囲の侍女達にテキパキと指示しているのは、背にある白い翼と同じ色の髪をもつ小柄な老女だ。その立ち回りと指示の手際の良さに感心しつつ、上体を起こそうとベッドの中で横を向きながら尋ねた。
「あの、ここは……?」
老女が慌てた様子で駆け寄って来る。
「お嬢様、ここは天界の王城にございます。……急に起きてはなりませんよ。今まで十日ほど寝ていらしたんですからね」
「と、十日!?」
思いがけず大きな声を出してしまうと、周囲の侍女達の動きが止まり視線が一身に集まる。
老女は大きく二回手を鳴らした。
「ほら、貴女達! 早く準備を進めてちょうだい」
侍女達はハッとした表情の後、すぐに元のようにテキパキと動き始めた。……この老女の指揮能力は、なかなかのものらしい。
「色々お尋ねしたい事もあるでしょうけど、後でゆっくりとお話し致しますからね。今は安心して私にお任せくださいな」
老女はそう言うと、とびきり優しい笑顔を見せた。彼女とは今会ったばかりのはずなのに……その優しい青灰の瞳を見ていると、『この人は安心できる』と何故か確信めいた気持ちが生まれるのを感じる。
その後すぐ、三人の侍女に伴われて湯浴みの部屋へ向かった。ぱぱっと手早く服を脱がされて湯船に浸かると、三人は総がかりで魔法を駆使し、浴場を細かい泡でいっぱいにする。
身体を洗う段になり『恥ずかしいから自分でやりたい』と言ったのだけど、断固として聞き入れてもらえず……結局、隅々まで洗って貰う事になった。
(……あれ?)
今まで恥ずかしすぎて気づかなかったけど、改めて自分の身体をよく見たら……えっと、胸が膨らんでいるような……? マリンの双丘……いや双山にはとても叶わないけど、そこそこの膨らみがある。ついでに自身の身体をよく見てみると、以前より諸々、明らかに成長している……。
でもこの疑問について尋ねる時間は、その場では与えられなかった。さっさと湯浴みを終えるとすぐに自室に戻り、着替えと簡単な化粧を施される。
鏡の向こう側では、見慣れない大人の女性がこちらをみていた。やや垂れ気味の優しそうな目、奥にわずかな青緑がゆれる赤紫色の瞳、すっと通った鼻筋に薄桃色のふっくらとした唇……。
子供だった姿が、一気に成長しているのは確かだ。
着せられた淡いブルーのシンプルなドレスは、全体的に露出は控えめだ。パフスリーブの袖はたっぷりと二の腕を包んでいて腕を華奢にみせる。裾は足首までの丈があるけど、靴は太めのヒールで安定性重視……これは侍女達の配慮だろうか。
侍女の一人が先程から私の髪を結ってくれている。いつの間にか腰まで伸びた銀色のストレートヘアはゆったりと結われ、青緑色の石が添えられたバレッタで留められた。地肌が突っ張る感じもしないし、かといってかっちりと安定しているのを感じ、結うのが上手だなと思わず感心する。
少し経つと、部屋全体がふわりと明るくなった。見上げると天井から下がるシャンデリアに灯りが入ったようだ。シンプルだけど上品な形状の照明は、華美過ぎず好感度が高い。
床から天井まで大きく取られた窓からは、夕焼け色の光が差し込んでいた。侍女が私に小さな赤紫の石が付いたイヤリングをつけてくれている横で、先程の老女が告げる。
「これからお夕食です。今日は陛下もご一緒されますよ。ただ、まだ少し時間がありますから、こちらをどうぞ」
老女はそう言いながら、柑橘の輪切りが浮かんだ透明の飲み物を出してくれた。
口にすると……この柑橘はオレンジだろうか? その香り良い水には、僅かに炭酸が含まれている。さっぱりとしてとても美味しい。
水を飲んで、ちょっと落ち着いた。今なら少し話ができるだろうか……そう思い、老女に話しかける。
「あの、ここは天界の王城だと言ってましたよね。という事は『陛下』とはお父さんの事ですか?」
「ああ……そうでございました。記憶をお隠しになられている事、つい失念しておりました……申し訳ございません」
「あっ、いえ! 私こそ何も分からなくて、本当にごめんなさい……」
「いえいえ、お嬢様が謝る事など何もありませんよ。ではこれから、少々ご説明いたしましょうね。お水を飲みながらで結構ですから、ゆっくり聞いて下さいませね」
老女はゆっくりと語り始めた。
母である天界王妃マリエレッティが、叔父であるギベオリードという男に攫われた。父である天界王ウルスリードは、今たった一人で天界を支えているため、この地を離れることはできない……その辺りは以前白妖精から聞いていた通りだった。
そして今回私が天界に呼ばれたのは、天界王──お父さんが、私をアヤナに会わせる為に飛ばしたのだという。私がアヤナの地で起きた事を話すと、老女は満面の笑みだ。
「ご無事のご卒業、誠におめでとうございます。あそこは卒業するまでの個人差が大きい所なのですけど、僅か十日での完全卒業は、私の知る限り……一、二を争う最短記録でございます。陛下は卒業まで一ヶ月ほど掛かりましたし、妃殿下も三週間はかかったと聞いておりますよ」
──というか、卒業とはどういう事なのか、まだいまいち理解できていない。
「天界人は、必ず学院に通うのですよ。初等から始まり、最終的には大学院までありますが……まあ、そこまで行くのは研究職を目指す者だけですがね。そして高等学院を卒業すると、大抵の者は仕事に就いたり、希望者は地上に降りて修練の旅をするのです」
そして老女の説明によれば、『アヤナの試練』は初等学院の卒業試験として設定されているという。自身の中に在る精霊力を認識し、契約を結ぶのが目的だそうだ。
「契約、ですか……」
妖精から加護をもらう時は、確か頬に口づけを受けていた。白黒妖精然り、レオンに加護を授けた水・風妖精然り……。
しかし、アヤナについてはそれらしい事をした記憶が無いと伝えると、老女はふふと笑う。
「加護と自身との契約とは違うのですよ。それは言わば……いや、それは追々わかってくることでしょう」
ふと見ると、周囲に控える数人の侍女達が、とても優しい笑みをこちらに向けている。何やら意味深な雰囲気に、これ以上聞くことはやめておいた……。
「あと……あの、この身体なんですけど。その、急に大きくなった気が……」
「それはですね……」
アヤナの試練に合格すると、天界人としてようやく一人前と認められるそうだ。その際今まで生きてきた実年数ではなく、精神の年齢と見た目がリンクするようになるという。
「今のお嬢様は、一見すると人間でいうところの二十歳前後といった所でしょうか。大変お美しくてらっしゃいますよ」
精神年齢が外見とリンクする……考え方によっては結構怖いかも知れない。年月を重ねた年輪ではなく心の年齢が反映されるというのは、見た目だけでは相手の事を何も推察出来ない。今目の前で優しく教えてくれる老女も、もしかしたらすごく若い人かもしれないのだ。
「あ、あの……色々と教えてくださってありがとうございます。あの、ぜひ貴女のお名前を教えて頂けませんか?」
老女は少し目を見開いて目線を下げた後、深く腰を折った。
「……申し遅れました。私の名前はトーヴァと申します。最近までお嬢様の弟君、レナート様の乳母を務めておりまして、現在は侍従長を仰せつかっております」
「そうなんですね。トーヴァさん。これからもどうかお願いします!」
一瞬間が空いた後にトーヴァが顔を上げると、彼女は満面の笑みだった。
「……勿論でございます。あと敬称は必要ございません。これからはどうぞトーヴァと呼んで下さいませね、サンディお嬢様」
「はい、トーヴァ!」
そこにノックの音が響いた。
「お夕食の準備が整いましてございます」
扉の外から、落ち着いた女性の声が聞こえる。
「まあ、もうそんな時間でございますね。さあお嬢様。ご案内致しますのでどうぞこちらへ……」
トーヴァが目配せすると周囲の侍女達がさっと配置についた。部屋を出てフカフカの絨毯が敷かれた廊下を歩くけど、着慣れないドレスの裾さばきに苦労する。気を使ってゆっくり歩いてくれるトーヴァの後に何とか続いていくと、一際大きく重厚な雰囲気の扉が目の前に現れた。
「アレクサンドラ殿下のおなりです」
騎士から突然発せられた凛とした声に、呼ばれた自分自身がビクッとしてしまう。
扉がゆっくりと開かれると、目の前には広々とした空間が広がっており、白いクロスの掛けられた大きなテーブルが鎮座している。
「……!」
「サンディ……?」
大きなテーブルの脇に、見慣れた顔があった。まさかここに居るとは思わなかったその二人……。たった十日程会わなかっただけなのに酷く懐かしい気がして、気がつけば思わず呼びかけていた。
「――レオン! エド!」
そこには、揃って畏まった正装を身に付けたエドアルドとレオンが、目をまん丸にして私を見つめていたのだった。





