魔樹
レオンとテレシアが退出した後、リビングではまだ話が続いていた。
「婆さん、これからあの二人をどうするんだ?」
「どうするも何も、そんなのあの子達次第だろうよ。此処に居たいというなら居ればいいし、他所に行くというなら止めはしないよ」
グレンダは当たり前のように答え、グラスワインに口を付ける。
「そうですね。これも精霊王のお導きでしょう。彼らがどんな道を選択するにせよ、私も微力ながらご協力致しますよ」
エドアルドは微笑みながら胸に手を当てた。
ふむ、と考える様子のロムスだったが、その眉間に一瞬シワが寄ったのをサンディは見逃さなかった。
「ロムス、どうしたの?」
「……ん、何だ?」
「なんか今、ちょっとしんどそうだったから」
ロムスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにやれやれという顔をして笑った。
「サンディに隠し事はできねえな。実はな、王都を出た辺りからずっと頭痛が続いているんだ」
「大丈夫? 風邪でもひいたのかしら?」
(えっ?)
エドアルドは思わずサンディを見た。
「サンディ~、妖精様は風邪を引いたりしませんよ~」
「へえー、そうなんだー」
マリンにそう教えてもらって素直に納得するサンディを見て、エドアルドの表情が些か曇ったが誰も気づいてはいない。
「そういえばロムス。結界をくぐる時に何かあったかい? 何やらいつもと違う違和感があったんだが」
グレンダが尋ねると、ロムスがハッとした様子で呟いた。
「あの静電気……」
「静電気?」
ロムスは結界の境目、向かい合う大樹の前を通った時の出来事を話した。
特に結界に拒否されたりするような事は無かったが、テレシアだけが強い静電気を帯び、弾ける音が御者台の二人にまで聞こえた事を。
それを聞いて、エドアルドも「そういえば……」と話しだす。
テレシアはここ数日の間、神殿では呼吸をするのも辛そうだったが、自分が毎日治癒魔法を掛け続ける事によってなんとか凌いでいた。しかしいざ森に出発する朝になると、急に体調が回復していたのだ。
「ロムスと出会ったあの日までは、確かにテレシア殿の容態は芳しくなかったんだ。それにテレシア殿にはレオン君の話はあえてしていなかった。あの時点ではまだ、ぬか喜びになる可能性がゼロでは無かったからね」
「なのに、翌朝はあの調子か……」
ロムスは馬車で迎えに行った朝のことを思い出していた。
テレシアは長杖を頼りに立っていたもののそれは視力が無いせいであり、体調が悪いとか立っていられないとか、そういう類の支えではなかった。
馬車に乗る際にはもちろん補助はしたが、自分の足でしっかりと段差を登っていた。
あれはとてもエドアルドが言うような『衰弱している状態』とは思えない。
もしかしてレオンの事を先に聞かされていたら、気持ちの問題で回復が早まったとしてもまあわからないでもない。しかしそれも無いとなると、一体どういう事なのか。
「でも万が一テレシアさんに何かあったとしても~、白妖精様の結界を破って入れる、なんて事があるのでしょうか~?」
「たぶんそれは無いと思う。というより、そう思いたいね」
グレンダは自分の左手に在る月光石の指輪をそっと撫でた。
「ええとマリン殿、すみません。今『白妖精様の結界』とおっしゃいましたか?」
「ええ、それが何か~?」
エドアルドが詳細を尋ねると、この森が白妖精の結界によって守られているという事をグレンダから説明され、預けられているという指輪を見せられた。
(白妖精といえば、精霊王の側近中の側近じゃないか。そのような方に守られているとは、この魔女殿は一体……)
エドアルドはすっかり勘違いをしていた。守られているのはグレンダではないのだが、この時点ではそれを知る由もない。
「と、とにかく。皆でそれとなく、目を離さないように見守っていた方が良さそうですね。体調の事も含めて、レオン君と二人だけの時に何かあったら大変でしょうから」
エドアルドの言う『何か』に引っかかるものを感じたが、サンディは黙っていた。
レオンとテレシアには、今まで離れていた時間を取り戻す為にも、二人だけの時間をなるべく作ってあげたいものだが……。
「あーダメだ。どうも集中できねえな。今日はもう休ませてもらうぜ」
ロムスが苦々しい顔をして立ち上がる。
「そんなに悪いのかい? よければ本当に施術するけど……」
「いや、一晩寝れば治るだろ。じゃ、お先」
それだけ言うと、ロムスは部屋を出て行ってしまった。
ロムスがあんなにしんどそう……というより、イライラしているの久しぶりに見たかもしれない。昔、無を当ててしまった後の、身体が自分の思うようにならなかった時期の態度に少し似ている。
「明日、ロムスの為に笛を吹こうかしら」
「ああサンディ、それはいいね。ぜひそうしてやっておくれ。ロムスがあんなにイラついているのは、無を受けた時以来だね」
グレンダも全く同じ事を感じていたらしい。そこへエドアルドが真剣な顔をしてグレンダに尋ねた。
「無とはまさか、黒き力の事ですか?」
「黒き力とやらは知らないが、無とは黒妖精様の持つ力の事ですよ」
グレンダがそう答えると、エドアルドは流石にもう信じられないという顔で捲し立てた。
「黒妖精ですって!? 精霊王直属の、側近中の側近ではないですか! 先程の白妖精といい、彼らは私たち天界人でも滅多に会うことはないのですよ? どうしてロムスはそんな物騒な力を受けてしまったのですか? 何か途方もない、罰を受けるような事でもしでかしたのでしょうか?」
そこまで一気にいい切って初めて、エドアルドは周りの空気の変化に気づいた。
サンディはバツが悪そうに俯いており、マリンはその背中に手を添えている。グレンダはワインの入ったグラスを持ったまま、エドアルドをじっと見つめていた。
「あ、えっと……何か悪いことをお聞きしたでしょうか」
その後エドアルドはグレンダの説明によって、『事故』の顛末を知ることになった。
それを聞いたエドアルドは、そもそもサンディが白妖精と黒妖精の加護を持っていることに驚愕した。しかしそれ以外はなるほどと納得した。
あの黒き力の恐ろしさは自分も目にしたことがある。四大精霊とは全く異なる性質を持ち、その原則を軽く超越して襲いかかる力。
ロムスは妖精の身体でアレを食らい、よく回復……いや、生き残ったものだと思った。
そしてこの晩はここでお開きとなる。
明日は一日、レオン達を遠巻きに見守りながら様子をみようという事で話がまとまると、皆それぞれの自室に引き上げたのだった。
***
「ねえロムス! 今日は大樹の下で笛を吹くから、よかったら来て!」
翌日の朝食後、サンディにそう声をかけられたロムスは、密かに心を踊らせていた。
サンディの笛を聴くのはとても安らぐ時間だ。特に今は体調が芳しくないという事もあり、回復も兼ねて是非ともお願いしたい。
「おっ、じゃあ久しぶりに付き合うか」
カッコつけてそう承諾してみせたが、内心ウキウキしながら折りたたみ椅子を持ち出す。以前も使った、寝そべる事のできるデッキチェアだ。
外庭の大樹の下に来てみたが、まだサンディは来ていない。
ガーデンテーブルセットの横にデッキチェアをいそいそとセッティングし、早速寝そべって伸びた。
今朝も天気は快晴だ。葉擦れの音がさざ波のように繰り返され、小鳥たちの鳴き声が軽やかに弾んでいる。この場所は相変わらず精霊たちの密度が濃い。結局一晩寝ても治らなかった頭痛が、少しだけ軽くなった気がする。
「ロムスお待たせ! 早かったねー」
サンディが真っ直ぐに伸びる銀色の髪を陽に輝かせながら走って来た。深い赤紫色の瞳は、時折青緑の輝きをチラつかせながら真っ直ぐにロムスを見つめる。
サンディは椅子に腰掛けると、肩から下げた黒くて薄っぺらいポシェット? のようなものに手を突っ込む。するとぺたんこに見えた袋から、いつもの白い横笛が出てきた。
「なんだ? その袋、何も入っていないように見えるぞ」
「うん、これ黒妖精様から貰ったの。中に無を使っていて――ってあ! 大丈夫だから! これは精霊や妖精に害はないって言ってたからっ!!」
無と聞いてちょっと目が大きくなったロムスに、サンディは必死に説明した。
「へぇ、無ってのはそういう使い方をするもんなのか」
「うん、私も初めて知ったわ。でもこれで折れたり壊れたりする心配なく、色々持ち歩けるのよ。ブレスレットもこの中に入れたの」
「そうか……いいもん貰ったな。大切にしろよ」
「うん!」
サンディはすぐに笛を奏で始めた。澄んだ音色が森の隅々まで広がっていく。ロムスの視界に映る精霊の粒が、キラキラと集まって眩しい。
ロムスは目を瞑り、笛の音に身を委ねつつ考えていた。
(黒妖精は将来サンディが旅立つ事を見越して、あの黒い袋を贈ったのか……?)
実は王都にも、これと似たようなアイテムはある。冒険者達は皆こぞって欲しがるが、とても高級で貴重なアイテムだ。しかしどれも『普通よりは多少多く入る』という程度であって、容量無限なんて聞いた事がない。ましてや時間経過まで止めるなど、まさに神の御技だろう。
(ああ、いかん、また考え事だ。今は笛の音を聞くことに集中しろ、俺……)
一曲を吹き終えると、サンディが声をあげた。
「あっ、レオンとテレシアさんだ!」
見るとレオンがテレシアの手を引いて、屋敷の方から歩いてくるところだった。
「やあ、今日は笛の日?」
「ええ、ロムスの休憩を兼ねてね」
「今の笛の音は?」
「これはサンディが吹いているんだ。精霊達はこの笛の音が大好きなんだよ」
テレシアにレオンが笛の事を教えている。
「そうですか。本当に美しい音色ですね。よろしければここで少し聞かせて頂いても?」
「ええ、勿論ですよ、テレシアさん。こちらの椅子を使ってくださいね」
余っている椅子を二つ寄せて、レオンとテレシアに腰掛けてもらうと、サンディは再び笛を奏で始めた。
──ズキン
(……?)
またあの頭痛だ。ロムスはここで確信した。
(テレシアが近くに来ると頭痛が酷くなるな)
ふと視線を感じると、屋敷の入り口で精霊師エドアルドがこちらを見守っていた。ロムスが目で合図を送ると、小さく頷いて少しずつ接近してくる。
「本当に素敵な音色ねえ」
「サンディの笛の音を聞いていれば、母さんも体調が良くなるかもしれないね」
母子の小声の会話が微笑ましい。
「ええ、本当に……体調が良くなってきているわ……ここに居ればもっと……モット……モット――」
「――母さん?」
最後の方、テレシアの声は既に人の声ではなくなっている。ロムスは既に起き上がり、大蛇の姿に変わっていた。
「サンディ! レオン! テレシアから離れろ!」
サンディは即座に大樹の枝へと飛んで逃げた。その間にもテレシアの身体はメキメキという音をたてて、大きな黒い木の姿になっていく。
「えっ、母さん、何で……?」
「レオン! すぐに離れるんだ!!」
屋敷の屋根に届かんばかりの高さにまで成長したテレシアの黒い木は、枝を鞭のように振り回して攻撃してくる。ロムスを狙って何回か地面を抉った後、すぐそばにいるレオンに向かって枝が伸びた。
「嘘だろ母さん……」
しなる枝がレオンを捕まえる直前、エドアルドが宙から舞い降りてレオンを攫う。そのまま屋敷の前に降ろすと、そこには長杖を持つマリンが待っていた。
「レオン君をお願いします!」
「は~い!」
すぐにエドアルドは飛び去り、黒い木の上空で止まる。見れば既にグレンダも長杖を持って構えており、全員が臨戦体制だった。
「モット……モットチカラヲ ヨコセエエエエ!!」
その時ロムスは、信じられない光景を目にしていた。テレシアの木が大きく口を開けると、そこに光の粒……精霊達がすごい勢いで吸い込まれていくのだ。
「あいつ、大量の精霊を吸い込んでいるぞ!!」
黒い木はさらに大きくなり続ける。最初はテレシアが木に変化したような形だったが、今ではテレシアの姿は既に木の一部となり、幹の一部にひっそりとその面影が張り付いているのみだ。
テレシアが変化した黒い木は、丸太のように太い枝をドスドスと地面に突き刺した。
「───チカラヲ、ヨコセエエエエ!!」
地面に刺さる太い枝が、黒い光を放つ。すると、目の前にある大樹……精霊の集まる木がみるみる枯れていく。大樹と入れ替わるようにテレシアの黒い木は大きくなり、天辺は屋敷の屋根をとうに超え、大樹と変わらない大きさにまでなった。
太い枝が振り回されると黒い粉が舞い、その粉を浴びた木々や草花はあっという間に枯れてしまう。
エドアルドは、ようやく理解した。
「これは魔樹です!」
思念で放たれたエドアルドの断言だったが、皆その聞き慣れぬ名前に反応できずにいる。
「こいつは精霊力はもちろん、生き物全てを喰らいます。皆さん気をつけて!」
それを聞き、全員が改めて構え直すのだった。





