新月の一日
本日、サンディはマリンと共に作業場にいる。ポーション作りに励むマリンと一緒に、薬品調合を教えてもらう為だ。
基材は水の精霊から頂く精製水。そこに浄化の炎と薬草を混ぜ溶かし、溶け切ったら土精霊の力で安定させる。単純に言うとそういう手順だ。
しかし実際にやってみると、言うほど簡単ではない。
朝から挑戦し続け、昼休憩を挟んで再挑戦。今はもう16時を過ぎていた。サンディはようやく『全部混ぜて液体のまま安定させる』ところまで出来るようになった。
「じゃあ、今日はこの辺にしておこうかね」
「はい、お師匠様~」
「ありがとうございました……」
どっと疲れて溜息を吐き、机に突っ伏す。
午前中は、浄化の炎で聖水を完全蒸発させてしまうところからのスタート。その後も薬草を燃やすわ、精製水に土塊をぶっこむわ、とアクシデントの連続である。
一本一本絶妙なバランスをとりつつ、それでいて安定した品質を維持したまま大量生産することの難しさを、心底思い知った一日だった。
「こればっかりは練習して慣れるしか無いですね~、また明日頑張りましょう~」
マリンはサンディの肩を優しく叩くと、夕食の準備をする為にパタパタと部屋を出ていった。
「マリンの言う通り、これは慣れでできる作業だからね。そんなに難しい事じゃないさ。それよりサンディは、これから新しい調合を色々試してごらん。薬草の種類だけでなく、溶け込ませる力の種類や、その割合なんかも変えてみるといい。そうすれば将来、サンディにしか作れないものが、出来るかもしれないねえ」
グレンダはそう言うと――最後は独り言のように呟いていたが――出来損ないの山が入った籠を抱え、部屋を出ていった。
「『私にしか出来ないもの』って……」
ふと思い付き、サンディは左手を広げた。
左手に向けて右手の親指、人差し指、中指を広げ、中心に精製水のボールを出して宙に浮かせる。続けて右人差し指から小さな『浄化の炎』を出し、水球の上にふわりと乗せた。ポーションを作るときは、次に薬草を水に入れるのだが――代わりに『白妖精の粉』をイメージした光の粒を水の中に入れ込んでみる。
水球に乗る浄化の炎を、白金に光る粒に向けてゆっくりと沈めていく。すると白金の粒が先に激しく反応し、炎が煽られて消えそうになってしまう。
(――だめ、消えないで!)
咄嗟に、細く渦巻く風のマドラーを作り、炎の上から刺して沈めていく。すると、浄化の炎は細く燃える竜巻になり、水中に浮く白金の粒を貫いた。
水球は激しく光って安定を欠く。ブルブルと酷く震え、今にも破裂しそうだ。そこへ土魔法をそっと被せて投入し、なだめるように安定化を試みる。
さっきまで作っていたポーションとは全く違う。ひどく荒ぶる水球をなだめるのにとても苦労した結果。
(出来た!)
材料が綺麗に混ざって溶け、掌の上に淡いピンク色の水球がぷわりと浮いている。
これを空いている小瓶に注ぎ込み、すぐに蓋をしっかり締めた。瓶の中では優しいピンク色の液体の中に、キラキラと雲母のような光る粒が舞っている。
「綺麗……」
思わずうっとり眺めていると、階下からマリンの声が聞こえた。
「サンディ、今大丈夫~? ちょっと手伝って貰えますか~?」
「はーい! 今行くー!」
慌てて立ち上がると羽織っていた作業着のポケットに小瓶を放り込み、パタパタとキッチンへ走る。そのまま小瓶の事はすっかり忘れ、夕食の準備に没頭するのだった。
***
ザーシカイム王国王都、西区にある神殿は既に夜半を越え、皆寝静まっている。一時間に一度、警備騎士の見回りが通り過ぎると、石造りの廊下はシンと静まり返る。
今宵は新月。
暗く長い渡り廊下の端、灯りの届かぬ暗がりに黒く小さな水溜りが現れると、波紋を揺らしながら移動を始める。水溜りは警備騎士に気づかれることなく、その足元を難なく通り過ぎると、施錠されているドアの下をぬるりと通り抜けていった。
扉の向こうは下働きの女性たちが休むエリアだ。廊下は間隔を開けて灯りが灯されているが、その光量は絞られておりとても薄暗い。廊下には幾つもの扉があったが、黒い水溜りは迷うことなく、そのうちの一室に滑り込んだ。
部屋に入ると、ベッドには紅色の毛を持つ大山猫の女性が休んでいる。体調が優れないのか、少々呼吸の音が荒い。
掌程の大きさだった黒い水溜りが床に大きく広がると、中から黒づくめの服を着た長身痩躯の男が現れた。
「ほう。これはなかなかいい具合に穢が馴染んでいるようだな。ふふ、今楽にしてやるぞ」
男は女性の顎を掴んで上を向かせる。自然と小さく開いた女性の口の中に、右手の人差指を向けた。長く伸びた爪の先、黒い雫が溜まっていき、ぽたりと一滴、口の中に落ちた次の瞬間。
――ガッ、ガハッ、ゲホゲホッ……!
大山猫の女性は目を見開き、喉をかきむしって咳き込んだ。しかしそれは長く続かず、すぐに静かな寝息を立てて眠り始める。先程までのような荒い呼吸が嘘のように治まり、顔つきも心なしか穏やかになったようだ。
「我が魔樹よ。再び目覚める時まで、今はしっかり育つといい……」
クツクツと声低く笑いながら男は床に沈み、そのまま黒い水溜りは消失した。
***
サンディは自室のベランダで、黒妖精の為に新月の笛を吹いていた。
月の無い夜空には星が溢れ落ちんばかりに瞬いている。
三曲ほど続けて吹くと、笛を降ろして一息つく。
黒妖精はベランダのテーブルに置かれたクッションの上で、ゆったりと寝そべりながら尋ねた。
「愛し子よ、日々励んでおるか」
「はい、今日は一日中、薬品の調合に挑戦していました……あっ」
そこで初めて最後に作った桃色の液体の事を思い出した。慌てて部屋に戻り、作業着のポケットから小瓶を取り出してベランダに戻る。
「今日、これを作ってみたんです」
淡い桃色の液体が入っている小瓶を差し出すと、黒妖精は興味深げに見入っている。
「ふむ。お主、これは何じゃ?」
「え?」
実を言うと、自分でもよくわからない。ただ『浄化の炎』と『白妖精の力』を組み合わせれば、きっと『イイチカラ』に違いないと思ったのけど……。
そのまま伝えると、黒妖精は難しい顔をして小瓶を突いた。
「浄化の炎と白いのを、風で混ぜる、か……よくもまあ成功したもんだの。それにしても、些か劇薬に過ぎる気がするが」
「劇薬……ですか?」
「まあ、一般の人間には使い道がなさそうじゃな」
黒妖精は幾つかの超レアケースを述べた。それは地上で普通の生活をしていたら、まずありえない病気や症状ばかりであった。
やはりこの地上において、白・黒妖精の力は普通ではないのかも知れない。
「はぁー、ではこの薬はお蔵入りですね」
「オクライリ? なんじゃそれは? まあいい。せっかく作ったのだから、御守りとして持っておけばよかろ。ああ、咎人程度なら消滅させる事はできるやも知れぬ。ただ咎人が大人しくそれを飲んでくれれば、じゃがな」
咎人に薬を飲ませるなんて、到底できるとは思えない。意思の疎通すらままならないのに無理ゲーが過ぎる。諦めて小瓶を部屋にしまいに行こうと立ち上がった。
「ああそうじゃ。お主に与えようと思って、持ってきたものがある」
黒妖精が羽を震わせ、紫色に昏く光る粉を撒いた。その粉が細長く伸び、サンディ左肩から腰の周りをくるりと回って消えると、シンプルな黒いサコッシュが肩から斜めにかかっている。
大きさは……ちょうどA4ノートが入るくらいだろうか。マチは無くペタリと身体に沿っている。動きを阻害する心配も無さそうだ。
「わあ、ありがとうございます。シンプルで便利そうです」
「それはな、中身に無を利用しておる」
「えっ、あの無ですか?」
以前ロムスを貫いた恐ろしい力を思い出し、背筋が冷える。黒妖精は頷いて続けた。
「無とは本来便利なものじゃ。攻撃に転じれば恐ろしく厄介じゃが、そうでなければ無限の時間、無限の空間を扱えるぞ。その袋は無を包んだまま封じてある。そこには無限に物が入るし、中にある物はその時間も止まる」
これはゲーム世界のアイテムボックスみたいな物らしい。とても便利でありがたいのだが、サンディには一つ心配事があった。
「あの、ここに手を入れたら喰われたりしませんか?」
黒妖精は目を丸くし、次の瞬間大きく笑った。
「ハハハッ! お主の発想は、時折とんでもない飛び方をするのう! アハハハハ!」
「んもう、そんなに笑わないで下さい! 無を使っているというだけで心配なんですから。あとこれは。妖精や精霊達に害を為したりしないでしょうか?」
「うむ、それらの心配は全く不要じゃ。我が保証する。安心して使うがいい」
笑いを収めると――それでもニコニコしたまま、黒妖精は太鼓判を押してくれた。
早速桃色の液体が入っているボトルをサコッシュに入れてみる。コロンとふっくらした形のボトルをマチの無い袋に入れた筈なのに、そこに膨らみは一切無い。
これはありがたい。割れ物を入れても破損の心配がないというのは素晴らしく便利だ。
「黒妖精様、本当にありがとうございます。大切に使いますね」
「うむうむ。ではもう一曲頼まれてくれるかの」
「はい!」
満天の星空の下、再び澄んだ笛の音が響き始めた。





