王都にて
ロムスの王都訪問回です。
ここはザーシカイム王国。千年以上の平和と繁栄を謳歌する、大陸最大の王国である。
その王都の中心部東側に集まる問屋街では、多くの荷馬車や人々が行き交い賑わっている。
急ぎ足の馬車が多い中、一台の幌付き荷馬車がゆっくりと馬を歩ませていた。周囲の人たちは御者台にいる鳶色の髪を持つ若者に、次々と愛想良く声を掛けている。
「やあロベール! 久しぶりだな!」
「おうシモン、二ヶ月ぶりか? 元気そうだな!」
「こんにちわ。魔女様はお元気かい?」
「ああ元気元気! 今日もこの通りポーション山盛りだぜ!」
「ロベールよぉ、この間頼まれてた東国のもんが少し入ってきてるぜ!」
「お、マジか! 後で絶対寄るから取っといてくれ!」
四方八方からの声かけに全てきちんと答えながら馬車を進ませていき、一際大きな建物の前で馬車を停めた。建物にはシンプルだが重厚な看板が掲げてある。
『ザーシカイム王国王都中央 商業ギルド本部』
待機している馬車番に馬を任せ、ロムスは建物の中に入る。受付に顔を出すと、ロムスの顔を見た受付嬢が「ただいまギルド長を呼んで参りますので、少々お待ちください」と告げて奥に引っ込んだ。
そのまま待つ事、約三十秒。厳つい顔をした背の低い髭面の男が出てきた。年は五十過ぎ頃か。筋肉質の身体を包むシャツは些か窮屈そうだ。
「ロベール、久しぶりだな」
「エンゾの旦那も元気そうで何よりだ。いつもの割れ物だが、裏の倉庫に入れておけばいいな?」
「ああ、それはうちの連中に運ばせよう。空き瓶もあらかた回収してあるからそれも積ませておく。お前にはちょっと別件で書類の処理があってな。ほら、あの……」
「──ああ、そういや今月で精算だったな」
エンゾと二人、二階の打ち合わせ室に入る。茶を運んできた事務員が下がるとエンゾはテーブルの上に書類を十枚ほど広げ、そのうちの一枚をぴしゃりと指で弾いた。
「こりゃ大した一財産だぞ。ロベールもそろそろ行商をやめて大店でも構えたらどうだ? お前さんには商才がある。それに魔女の森との往復は、別に人を雇えばいいだろうに」
「ははっ。前も言ったろう。おれは行商自体が好きなんだ。それに、これは俺じゃなくて魔女の弟子の考案だって」
「それにしたって、魔女の弟子は森から出ないんだろう? それじゃ金の使いようがねえじゃねえか」
「魔女の弟子は一人じゃねえよ。森から出ない弟子もいるが、その弟子は遅かれ早かれいずれ森を出ることになる。その時の為に準備しておいてやりたいんだ。そん時ゃ勿論エンゾにも紹介するし、多分に世話にもなると思う。くれぐれも頼むぜ」
「ああ、その辺は信頼してくれていい。俺の仕事と信頼は絶対だ」
──今から五年前。
魔女の屋敷に戻った時、べらぼうに美味いサンドパンが出てきた。聞けばサンディが考えた『まよソース』というものを使ったという。あんな味は王都のどの店でも食べたことがない。そう思って出発する前にレシピを預かり、それを王都の商業ギルドへ持ち込んだ。幸いエンゾは長い付き合いだ。すぐに話は通った。
まずは瓶詰め調味料の工房関係者をギルドの厨房に集め、エンゾ立ち会いの元で味見をさせた。すると皆がこぞって手を挙げ、あわや販売権争奪の大喧嘩となった。
しかしそこでロムスが『魔女はこれを独占販売したいわけではない』という趣旨を説明し、皆をなんとか落ち着かせたのだ。
パテント登録されたのは基本のレシピだけだ。それは商業ギルドに申請さえすれば、大店だろうが小さな個人経営の工房だろうが良心的な金額で取り扱うことが出来る。
販売個数計算でささやかなロイヤリティを付け、その代わりパッケージには『北の森の魔女特製』という文言を必ず付けることを条件とした。
飲食店に対してはこれを使ったオリジナルレシピは『北の森の魔女特製ソース使用』という文言を付ける事を条件に、自由に販売していい事にしてある。
これらは殆どギルドマスターの提案だったが、さすが商売のプロだけあってあっという間に驚くような大金が入ってきた。その上レシピを独占しないという姿勢が『魔女』の評判を底上げする──まさに願ったり叶ったりだ。
そして次に王都を訪れた際、今度は『甘いミルクソース』と『酸っぱ辛いますたあど』を持ち込んだ。これも同じような条件で登録し、今では王都中で購入することができる。
ザーシカイム王国では発明者に対する保護制度が整っている。
なぜなら千年以上も平和が続くと、そういった部分まで整備しなければ民間で無用の争いを生むのだ。
保護期間は武器関連は二年。食品関係のレシピは五年。機械や機構、魔道具関連は十年。大雑把に分けるとこのようになっている。
武器の保護期間が極端に短いのは、軍事関連技術は諸外国との競争もあって元々技術の進化が激しい事が一つ。あとその性格上、一旦世に出るだけで価値が半減するという事情もあって短く設定されているという。
サンディのレシピ三種は、今月でちょうど満期の五年を迎える。
登録初期は本人確認が必要だった為、登録はロベール──街でのロムスの通り名だ──名義だったが、今回満期を迎えるに当たってサンディの名前に書き換えた。
これでこの金は全て名実ともにサンディのものとなる。
「まあ、お前がいいならいいんだけどよ……」
エンゾは茶を一口すすった。
「なあロベールよ。お前はまだ若いから分からんかもしれんが、身体はいつまでも若い訳じゃねえ。行商なんてただでさえリスクが大きい。ましてや北の森の魔女に会うとなれば尚更だ。ちゃんと金貯めて、いつでもリタイヤできるように準備だけはしておくんだぞ」
「ああ、わかってるって」
ロムスも同じく茶をすすりながら返事をする。
ロムスはエンゾが丁稚の頃から知っている。その頃からもう四回は姿と名前を変えただろうか。
エンゾは正直で男気のある良いやつだ。仕事は真面目だし信用もおける。ただ今後も自分の正体を教える事は無いだろう。
長いこと人間とは仲良くやっているが、如何せん彼らの寿命は短い。気がつけばあっという間に歳をとり、次に来た時はもう亡くなっている。
街の人間とはある程度の線を引き、必要以上に仲良くならない。これはロムスの自己防衛でもあった。
エンゾが茶を飲みかける手を止めた。
「ああそうだ。もう聞いたかも知れないが、昨日から、精霊士様が王都に来てるって噂だぜ」
「精霊師ねえ……」
地上人による戦争や内乱、動植物の乱獲や無謀な伐採などで、大量の生命が手折られた場所では精霊力のバランスが大きく崩れる。そんな中、精霊師はそれを修復し、土地を清め癒やして回る旅をするのだという。
彼らのそういった地道な働きによって、世界は調和を保ち天変地異が防がれているのだそうだ。
「いや初耳だな。何処に居るんだ?」
「たぶん神殿じゃねえか? お前さん、この後に行くんだろ? 天界人なんてなかなかお目にかかれるもんじゃねえ。珍しいお姿を拝んでくるといいぞ」
地上界での精霊師はとても尊ばれている。人間が集まる場所へ一度訪れれば、彼らは無条件で最上級のもてなしをされる。それはこの国の何処に行っても例外ではない。
何故なら彼らは地上人が使えない魔法を使う。その力で精霊力の調和を保つだけでなく、人間の怪我や病気を癒やして回るからだ。それにしても……。
(『なかなか拝めない』、ねえ……)
魔女の屋敷に戻るたびに天界人の王族を拝んでいる……なんてことは言えるわけも無く。
「ああ、面白そうだな。見かけたら話しかけてみっか」
「神殿の連中が勿体ぶって話をさせない、っていう可能性もあるがな。まあお声だけでも聞ければ上等だろ」
そんなありがたいもんかねぇと罰当たりな事を思いつつ、ロムスは茶を飲み干した。
「ああ、そうだな。じゃあそろそろ行くぜ。茶、ごちそうさん」
ロムスが封筒に入った書類一式を受け取ると、エンゾはそれとは別にベストの内ポケットから一枚のカードを出した。
「おう、これも持っていけ」
薄い金属製で鈍く銀色に光っている。縁に彫金細工の施された美しいカードだ。
「これがサンディ殿の身分証になる。こっちに来る時は必ず持ってくるように言っといてくれ」
『ザーシカイム王国 商業ギルド 王都中央店発行 身分証明証 サンディ 肩書:北の森の魔女【弟子】』
きちんと刻まれたそれは、王国内の何処に行っても信用の証となる。
「エンゾ、色々ありがとうな」
「おう、気をつけてな。弟子殿にも宜しく伝えてくれ」
「ああわかった」
建物を出ると、荷物の積み下ろしは既にギルドの若い衆が終わらせていた。
「みんなありがとうな。助かった」
「ロベールさん、次は神殿行きですか?」
商業ギルドの若い衆をまとめているリーダー、アシュリーが声をかけてきた。
歳は二十歳過ぎ位で、やや長めの黒い髪をこざっぱりとまとめている。日に焼けた肌と堀の深い顔立ちに、涼やかな薄灰の瞳を持つなかなかの男前だ。
彼は以前からギルドで働いていたが、動きがよく機転も利くという事で最近リーダーに抜擢された若者である。
「ああ、ちょっと一件立ち寄ってからだがな。どうかしたか?」
「ええ。ロベールさんは、精霊師様が神殿に立ち寄られているという噂はお聞きになりましたか?」
「ああ知っている、というかさっき聞いた。せっかくだから森に戻る前に、野次馬がてら寄り道しておこうと思ってな」
そこまで言うと、アシュリーがそばに来て耳打ちをした。
「なんでもその精霊師様は、神殿に住まう大山猫族の女性がお目当てで通っているという噂ですよ」
「へえ、なかなか面白い噂だな」
「天界人様は女の好みも色々なんですかね。俺にはよくわかりませんけど」
ロムスはアシュリーの肩をバンと叩き、片手に大銀貨1枚を握らせる。
「まあ皆で冷たいもんでも飲んでくれよ。荷物運び、ありがとうな!」
「あ、ありがとうございます! 今晩はギルドの若い連中だけで、中央区のグリルハウスで飲むんですよ。よかったらロベールさんもご一緒に如何ですか? 旅のお話も聞きたいですし」
「ああー、ちょっとまだ今晩の予定は立たないんだ。約束は出来ないが行けそうだったら行くぜ。二十時までに行けなかったら諦めてくれ」
「ええ、分かりました。お忙しいでしょうから無理にとは言いませんので」
ロムスは馬車に乗り込み、西区方面へ馬を向ける。西区は神殿の他、王立図書館や初等~高等学院、研究施設などの公共施設が多く集まるエリアだ。
途中先程声をかけられた東国の物品を扱う業者の元へ立ち寄り、幾つかの品物を購入するとそのまま神殿へと向かう。
(異種族好きの精霊師様ねえ。とんだ変わり者なのか?)
この王国内では人間同士であれば同性婚も認められており、それも特段珍しい話ではない。
しかし種族違いとなると話は別だ。特に獣人族全般においては自身と同じ種族同士でしか結婚はしないし、子を作れない組み合わせの番もありえない。
そういった観点から、人間の一部には獣人全般を『下等』呼ばわりする者達もいる。
それは決して多数派ではないが、世界の調和を保つ事が目的で地上を旅する精霊師が異種族に入れ込むという事自体が格好のスキャンダルネタである。
アシュリーが知っているということは、この噂は既に王都中に出回っているのだろう。
さぞや精霊師殿は居心地が悪かろうと思いつつも、俄然興味が湧いてくる野次馬ロムスであった。





