苦悩の嵐
屋敷に戻ってすぐ、マリンが簡単な食事を用意してくれた。
でも私は全く食欲がなくて何も喉を通らない。グレンダに促されてスープを一口だけ飲んだけど、それ以上は胸が苦しくて無理だった。
一番最後に入浴を済ませて身繕いをするため自室に戻ると、窓にパチパチッと雨粒の当たる音が聞こえた。いつの間にか、外は嵐になっている。
強風に煽られて千々に乱れ飛び、窓ガラスに跳ね返される雨粒は、まるで無力な今の自分のようで……。
本当はこのままベットに入ってしまいたい。無意識の国に逃げこんで、さっきの悪夢を一時でいいから忘れてしまいたかった。
でも今夜はこのままベットに入ることは許されない。なぜなら『反省会をするから寝る前に全員集合するように』とグレンダに言われているから。
私は暗い気持ちのまま髪を梳き、重い足を引き摺るようにしてリビングへ向かった……。
***
ドアを開けると皆は既に集まっていた。ソファーから少し離れた床には毛布が敷かれており、そこに蛇の姿をしたままのロムスが身体を横たえて休んでいる。
――それを直視できずに目を逸らし、うつむいたまま空いている席――レオンの隣に座った。
目の前のテーブルには幾つかの本が積まれ、そこを椅子代わりにして白、黒妖精が並んで腰掛けている。
「さて、皆集まったわね――ほら、黒いの」
「うるさいぞ白いの……わかっておるわ」
黒妖精は小さく舌打ちした後、私に身体を向けた。
「愛し子よ、今日は恐ろしい思いをさせて悪かった――さぞ肝が冷えたであろう……許せ」
「――えっ?」
なぜ黒妖精が私に謝るのか、理解できない。
「今日は訓練として皆で精霊との対話を試みていたと先程魔女から聞いた。そうであれば自身の持つ全ての加護について試し、そして理解したいと考えるのは当然の事だ」
「でもさっきは怒っていたんじゃ……」
「うむ。精霊の愛し子であるお主が、なぜ我らの仲間である妖精を傷つけたのか……全く理解出来なかった故、正直あの時は激怒していた」
「…………」
「しかし聞けば傷を負った大蛇は自ら望んで的となり、グレンダも皆の安全を第一に考え傍で見守っていた上での事故だというではないか。そうであればその罪は、加護を授けておきながらその力の事をきちんと教えておらなんだ”怠慢”という名の我が罪だ」
ああ、そういう意味の謝罪か……。でもそれはちょっと違うのでは? と思った。
「あの、でも! 教えて貰ってもいない未知の力を安易に試したのは私が悪いんです。黒妖精様は以前『結果が理を外れたら咎人になる』と私に言いました。そうであれば、知りもしないあの力を使った事自体が、私の判断ミスだし罪だと思うんです……」
白妖精が腕組みをしながら応える。
「うーん……。あのね、そういう見方もあると思うしサンディ自身がそう考えて反省するのは間違っていないわ。でも今回は根本的なところが違うの。なんならあのままロムスが消えたとしても、サンディ……貴女は咎人にはならなかったでしょうね。なぜならロムスは自ら望んで的になったのだから」
あのままロムスが消えたとしても――その言葉に背筋がぞわりと冷え……思わず両肘を抱え込み唇を噛む。
「サンディは黒いのを呼んだし、グレンダは私を呼んだわ。そして今ロムスは生きているし、森が汚染されることもなかった。これが結果なのよ」
ふと背中に温みを感じた。見ると隣に座るレオンが心配そうに私を見つめながら背中をさすってくれている。
「……ありがとう、レオン」
レオンは優しく笑んだ。おかげで少しだけ肩の力が抜けた気がする。
「白妖精様の言う通りだよ。サンディは悪くないと僕も思う」
斜め向かいの席では、マリンもウンウンと頷いている。
(……あれ?)
ふと違和感を覚えて尋ねた。
「レオンは妖精達の声が聞こえているの?」
するとレオンは満面の笑みで頷く。
「同じ場所で話をするのに、私達のことが視えなかったり聴こえなかったりする子が交じると話しづらいでしょ。だから一時的に私がマリンとレオンに力を与えたのよ。――ちなみにその力は一ヶ月程度は持つと思うわ。その間に少しでも精霊たちとの対話を進めて、加護を求めなさいね」
「「はい(~)」」
「それにしても……グレンダにそれ預けておいて本っ……当に良かったわ。これからも何かあったらすぐ呼ぶのよ」
「はい、有難うございます」
そういえば私が笛を吹いて願ったのは黒妖精だけだったのに、なぜか白妖精も現れた。あの時は必死だったから不思議にも思わなかったけど……。
見ればグレンダの左手に大きな白い石の付いた指輪が光っていた。なるほど、あれで白妖精を呼んだらしい。
「っていうか……黒いの、今回は一つ貸しだからねっ!? この間の新月の晩『愛し子に力の使い方を教える』って言ってたのに、一体何してたのよ!?」
「……煩いな。ちゃんと力の使い方は教えたぞ。……『命じろ』とな」
「はぁ? そこ? ……ハァ。アンタの力は危ういんだから、ちゃんと教えてあげなきゃダメじゃない!」
「お主こそ『私は今度の満月の晩にでも教えるわー』なんて呑気な事を言っておった癖に。お主がさっさと教えていれば、そもそもロムスだってここまでのダメージにならずに済んだだろうが」
「ぐぬっ……」
なんだか雰囲気が微妙に痴話喧嘩っぽいけど、終わりそうにないので口を挟んでみた。
「あの、それを今教えて貰うことはできませんか?」
「「もちろんいいぞ(わよ)」」
その後全員でレクチャーを受けた。簡単に言うと白妖精の力は清浄や調和であり、黒妖精の力は無や混沌だそうだ。どちらも『調和を保つ』ことを目的とした力だが、その効果はとても強いという。
いわゆる四大精霊は地上の自然現象全てを司る。しかし生物の意思や精神、持って生まれた生命力などには関与しない。
しかし白黒の力は違う。有形無形関係なく全てに作用するという。
「今回大蛇が食らったのは『無』の力だ。これは妖精や精霊にとって致命傷になる。『無』は全てを無限に飲み込む。物質は勿論、精霊力も例外ではない。だからあの力は『闇に連なる者』にしか使ってはならぬのだ」
「俺の作った防御を全て貫通したのはそういう理由なんだな……」
ロムスが思念で弱々しく呟いた。
「『無』の前では四大精霊の力すら無限に飲まれるからの。それに地上で『無』を放ったら、必ず浄化が必要だ。浄化しない限り『無』は消えず、永遠にその場にある有象無象を喰らい続ける」
これはなんて恐ろしい力だろう……。
「あの……どうしてそんな恐ろしい力を私に授けたんですか?」
「それは……いずれ必要になるからだ」
「つまり、『闇に連なる者』にいずれ相対する、という事?」
「恐らく、な」
黒妖精は微妙に言葉を濁し、それ以上は語ってくれない。続いて白妖精が語り始めた。
「私の力は『無』を浄化できるわ。……まあ浄化というとなんだかキレイなイメージだけど、正確には『調和を乱す事象を消滅させる』っていうわりと乱暴な力よ。これは精霊力に限らず、生物の精神にも関与するの。妬み嫉み僻み、それに害意や悪意の類も『調和を乱す』とみなされれば消滅させられるわ」
「すごい! その力があったら、この世の中はいい人だらけになるね!」
心底嬉しそうな笑顔で言ったレオンを見て、白妖精はふふっと笑う。
「レオン、あなたは本当に優しい子ね。……でもね、残念ながらそうはならないわ。なぜなら調和を乱さない程度のそれは消せないの。あと逆にそれを消したら何も残らないって者もいるわ」
レオンは鈍く光る金色の目をまん丸にした。
「えっ……じゃあそういう人は、消えちゃうの?」
「アハハッ! いいえ、消えたりはしないわ。でも精神は消えちゃうから、きっとまともでは居られないでしょうね♪」
白妖精はサラッと怖い事を言っている気がするけど、その自覚があるのだろうか……。
「ところでロムスよ。今回は少々調子に乗りすぎたようだの」
「……ああ、本気で死ぬかと思った。正直今も全然力が入らねえ……」
「……であろうな。お主、あれだけ力を食われたなら、恐らく1ヶ月程度はまともに動けんぞ」
「えっ、そりゃ困る! 一ヶ月も間が空いたら婆さんの薬を待っている連中が危ない……何とかならねえか?」
「ふむ……」
白妖精が立ち上がり、人差し指を立てて笑った。
「それなら一日一回、毎日サンディに笛を吹いて貰うといいわ。……サンディ、四大精霊達に願ってロムスの回復を手伝ってもらうのよ。そうすれば少しは回復が早まると思うわ」
「は、はい! 勿論やります! あの、一日一回でいいんですか? ずっと吹いてたらもっと早く治ったりしませんか?」
やれやれと呆れたように笑いながら、白妖精がついと飛んで私の肩に乗る。
「サンディ、ちょっと落ち着きなさい。――あのね、そんなに急かした所でロムスの身体が受け付けてくれないわ。今ロムスの身体は自己回復力がほぼ無い上に、極端に精霊力が失われている状態。だからまずは回復力を取り戻してそれから徐々に精霊力で埋めていくイメージよ」
「はい、わかりました……」
要するに弱った身体を治さないと、どんなに精霊力を入れても消化不良になるということらしい。
「はぁー……」
深くため息をつき、ロムスの方を向く。
「ロムス、本当にごめんなさい。私、心を込めて笛を吹くから……」
「ああ助かる。それと……頼むからもう謝るな。これは俺の自業自得だ。サンディは何も悪くない」
「でも……」
「でもじゃない。……今後またこの事を謝ったら、尻尾でデコピンだからな」
ロムスのあの太い尻尾でデコピンされたらさぞ痛いだろう。……というか、私なんて軽く吹っ飛ぶに決まってる。
ちょっとだけその絵面を想像して、思わずクスッと笑ってしまった。
「……そう、サンディは笑ってろ。その方が俺たちも嬉しい」
周りを見ると、皆優しい笑顔で頷いている。
ああ。私はあんな酷い事をしてしまったのに、まだ此処に居ていいんだ……許してくれるんだ。
そう思ったら申し訳ないと思いつつも本当に嬉しくて、目の奥が熱くなる。
「みんな、ありがとう……」
涙が溢れそうになるのを必死に我慢して、やっと出した声は少しだけ震えた。
窓ガラスにはバチバチと大粒の雨が当たっている。時折空が光ると、少し後に轟音が響いた。夜半の嵐は益々激しさを増していたが私の心の嵐は一足先に過ぎ去り、その空は幸福に澄み渡っていくようだった。





