特訓(レオン編)
五人は屋敷の裏手にある森の中の、少しひらけた場所に集まっていた。
私は目隠し効果のあるローブを羽織り、内ポケットには白い横笛を入れている。ブレスレットは外して首から下げた鹿革の小さな袋にしまった。
レオンは旅服に簡易の胸当てをつけ、弓を持ち矢籠を背負う。腰ベルトにはしっかりと皮鞘ナイフが装着されている。
マリンはローブを羽織り、自身の身長と同じくらいの長杖を持っている。……マリンが長杖を持つのは初めて見た。それは古びた木製の杖で、先端にはマリンの瞳に似た明るい青緑色に輝く玉が嵌め込まれている。
グレンダはいつもの長杖を持つだけでローブも羽織っていない。ロムスはいつも通りの手ぶらだ。
「……よーし、準備はできたようだな。じゃあルールを説明するぜ」
ロムスが一歩前に出た。
「今回は個人戦だ。まずはレオン。お前は俺とかくれんぼだ。俺が隠れるから、探して射止めろ」
「えっ! 本当に弓で射るの?」
「そうだ。狩りの時のように、獲物を仕留める気で射ろ。俺に当てたら終了。……ただし俺は変身し放題だぜ。見つけるだけでも難しいからな、覚悟しろ」
ロムスはニヤリと笑う。
「あと俺もレオンに対して攻撃をする。これは一発当てたら終了、とはならない。何発でもお前が降参するまで撃つ」
「わ、わかった……」
「婆さん」
「……はいよ」
グレンダが杖で地面をトンと打つ。するとそこから水が湧き出てきた。それはみるみる大きな水たまりになっていく。
「嬢ちゃん達は俺たちの様子をここで見学してな。レオンが終わったら順番に相手するからな」
「「はい」」
「よし、じゃあレオンは目を瞑ってゆっくり十数えろ」
「それじゃあ数えるよ。いーち……にー……」
「……じゃ行ってくるわ」
ニッと笑って森に走って行くロムス。その姿は途中で光に包まれると、蛇の姿になって更に縮んでいき……草むらに消えた。
あんな小さな蛇の姿では探すのだけでも一苦労だろう。そう思いながらレオンを見ると、もうすぐ数え終わるところだ。
「はーち……きゅー……じゅう!」
レオンはパッと目を開くと、腰のベルトをキリッと締めなおす。
「よし、僕も行ってくるね!」
「気をつけて行っておいで」
「頑張ってください~!」
「頑張ってね!」
レオンは女性陣に見送られながら、森に向かって走っていった。
「さて、私らはここで見物させてもらうとしようかね。ほら、あんた達もお座りよ」
グレンダが水たまりの脇に長い布を敷いて座る。私とマリンも並んで座った。
グレンダが水たまりの表面に指でそっと触れる。すると波紋と共に表面が銀色に変わり、まるで鏡のようになった。そのあとすぐに、森を上空から眺める形での画像が映る。
……水たまりをテレビのように使うらしい。
「はぁ……すごい! これはどうやって映しているんですか?」
「これは水と風の精霊に働いてもらってるんだよ。水たまりはもちろん水、そしてこの視界は風精霊たちのものだ」
「なるほど……」
「私も早く風精霊様の御加護を頂きたいです~……」
「まったく……マリンはせっかちなんだよ。風たちは気まぐれでわがままだ。しかしそれを嫌がらず受け入れた上で、気長に付き合ってやらないと気に入って貰えないよ」
「はい~、がんばります~……」
グレンダはうつむくマリンを心配そうに、しかし優しげに見つめている。やっぱりグレンダは優しいな……そう思っていると視界の端、水たまりの中で何かが動いた。
「お、始まったね」
グレンダの声を合図に、皆で水たまりに注目した。
***
森に入ったレオンは、まず大きめの木に登った。葉がよく茂ったその木は自分の紅い姿を隠すのにちょうどいい。
太めの枝の上に立ち、片手で幹に触れる。そのまま集中してロムスの気配を探った。
(大蛇は空を飛ばない。だとしたら……)
大木の幹を通じて地面、そして他の木々と繋がる。その繋がった感覚を薄く広く……薄く広く地面を伝って広げていくイメージ……。
(──いた!)
現在地から南方向、約200m程離れた深い茂みの中。そこに小さな蛇の姿になったロムスを感じた。──今のところそこから動く気配はないようだ。
レオンは木々の枝を飛び渡りながら移動する。軽くしなやかな跳躍と柔らかな着地は、木々の枝葉をほとんど揺らさない。大山猫族の少年はまさに天性の狩人だ。
レオンは目的の茂みを見下ろす位置までたどり着いた。弓に矢を番え、もう一度集中してロムスの位置を探る……が、しかし。
(……あれっ、いない?)
気配は感じる……しかし姿が無い。一度弓を降ろして再度木の幹に触れ索敵しようとした次の瞬間、ドスリと重い衝撃に肩を打たれた。
勢いのある水砲撃を叩きつけられ、思わずバランスを崩して木から落ちてしまう。
──咄嗟に受け身はとったが、それでも相当体を打ちつけてしまった。鈍い痛みに耐えながら身体を起こし、キョロキョロと周囲を見るがやはりロムスの姿はない。
(くそっ……どこだっ?)
「上だよ上」
パッと立ち上がって空をみると、エメラルドグリーンに光る小さな蛇がとぐろを巻いたまま宙に浮いていた。
「えっ……飛んでる!」
「……風魔法の応用だ。蛇だから飛ばないと思うのは、ちっとばかり短絡的だな」
赤い舌をチロチロと出しながら、ロムスは頭に直接話しかけてくる。
「さあ、いくぜ!」
ロムスは宙に浮いたまま再び水砲撃を撃ってきた。大きめの水鉄砲のような攻撃だが、その勢いはかなり強い。レオンがかろうじて避けると、当たった地面がドッチボール程の大きさに抉れる。
雨のように降り注ぐ水砲撃を避けるのに精一杯で、レオンはロムスを狙う事ができずにいた。しかも森に逃げ込もうとすると、行き先を妨害するように飛んでくる。
いいかげんに息が上がりそれでも必死に避け続けるレオンだったが、とうとう水砲撃で抉れた穴に足を取られてしまった。
(……あっ)
地面に倒れ込んだレオンの身体に、容赦なく水砲撃が連続して打ち付けられた。
レオンが倒れたまま動けずにいるとロムスが地上に降りてくる。少し離れた場所で人の姿に戻りながら問いかけた。
「どうする、降参か?」
「いや……だ……」
レオンはなんとか立ち上がると、地面に落ちた弓を再び手に取った。水砲撃に殴られた全身の痛みはもちろん酷い。しかしレオンの中では、全身がずぶ濡れになった不快感の方がもっと上だった。
(くそっ、ロムスめ……絶対に一矢報いてやる……)
水嫌いなレオンにとって、ロムスが水攻撃ばかりしてくるのは嫌がらせとしか思えなかった。『底意地の悪いロムス』に対してレオンは本気になって怒っているが、実の所は……。
(訓練とはいえ、森の木々を傷つけると婆さんが怒るからなぁ……)
攻撃が水砲撃一択なのはそういう理由なのだが、レオンはそれを知る由もない。
(とにかくここじゃ少し開けてるから僕が不利だ。場所を変えないと……)
レオンは後方に跳躍する。すかさず水砲撃が飛んでくるが、かろうじて避けながら何度か後方へと跳ぶ。そして藪の中に飛び込むと身を低くして森の奥へ走った。
(──場所変えか。いいぜ、付き合ってやる)
ロムスは歩いてレオンの後を追うと、木立が多いエリアに入った。
するとすぐ、斜め上左手からヒュンと風切り音を立てて矢が飛んできた。さりげなく軽く体を傾け、ロムスは最低限の動きでそれを避ける。
「そこか」
高い木の中央部に向けて水砲撃を連続して放つ。しかし既にそこにレオンの気配はない。
今度は右手方向から連続して二回、軽い矢が鳶色の髪を掠める。際どい所で、しかし確実に矢を避けると、ロムスは再び水砲撃を大量に打ち込んだ。
──ガサガサッ
今度は右後方の深い茂みが揺れ、素早くロムスの真後ろを目掛けて移動していく。
「そこだ!」
茂みの揺れから進路を読み、その先に連続で重い水砲撃を打ち込んだ。
「プギィー!!」
ロムスが茂みから飛び出すと同時に倒れる猪を目撃した瞬間、首筋にチリリと嫌な気配を感じた。咄嗟に背後を守るように岩壁を建てると、カツンと硬い音が岩に当たる。
(陽動か……やるじゃねえか)
思わずニヤリと口角が上がる。
「もう同じ手はもう使えないぜ……どうする?」
そう告げながら自ら建てた岩壁の背後に回ろうとしたその時。壁の頂上に知った気配を察知して見上げると、鈍く光る金色の瞳が既に狙いを定めていた。
レオンの放った重い矢は、ロムスの頬を掠めた。厚紙で皮膚を切った時のような鋭い痛みが走り、その後にじわりと血が滲むのを感じる。
「やっぱり、ロムスを射抜くなんてできないよ……」
……紅色の優しい大山猫の少年は、岩壁の上でへにゃりと情けない顔で笑っていた。
レオンは確実にロムスを射止められるタイミングで岩壁の上に居た。しかしロムスのオリーブグリーンの瞳と視線が合った時、半瞬ほど躊躇した。
その矢の照準は急所を外す方向へとごく僅かに狂い、そしてまたロムスも本能的に攻撃を避けようと反応した。
もしレオンがそのまま射ていれば、ロムスの首元から肩口辺りを重い矢が貫いていただろう。しかしそれはお互いの躊躇と防衛反応の偶然によって、頬の薄皮一枚のみを傷つけるに留まったのだ。
「……チッ。レオンはこれで訓練終了」
舌打ちするその態度とは裏腹に、ロムスは嬉しそうにニヤついている。
「射抜けなくてもこの俺に弓だけで傷を付けたんだ……上出来だ」
「ありがとう、ロムス」
「ちなみにだけどな……」
ロムスはそのまま光に包まれて大蛇に変化してすぐに人の姿に戻る。すると頬の傷は完全に消えていた。
「地上にある普通の武器で俺を殺すことは出来ない。……だから『殺す気で来い』と言ったんだがなあ」
レオンは目と口をまん丸にした後、ダン! と足元の岩を強く踏んだ。
「……くそっ! 遠慮なく頭を狙ってぶち抜いてやればよかった!!」
可愛い顔してなんとも物騒なセリフを叩きつけるずぶ濡れのレオンに、ロムスはケラケラと笑うばかりだった。





