グレンダと白妖精
グレンダは自室のソファーに腰をかけ、テーブルに置かれたグラスワインを一口飲んだ。
魔道ランプの光量は絞られている。仄暗い部屋の窓は解放され、夜風にのってサンディの奏でる笛の音が聴こえていた。
優しく軽やかな笛の音は、精霊の加護を受けているグレンダにとっても非常に気持ちよい。ワインの味わいと相まって、グレンダは心地よいほろ酔いに身を預けていた。
二曲奏でた所で、笛の音が止まった……黒妖精と何か話をしているのかもしれない。
サンディが望むなら、少しでも自分の力や正体について解るとよいのだけど……そんな事を考えていると、高く澄んだ鈴のような、しかしやたらと気さくな声が聞こえた。
「グレンダ、ひっさしぶり~♪」
「白妖精様!」
グレンダは慌てて立ち上がった。開け放たれた窓の枠には、新月の闇を背景に淡く白く光る小さな少女――蝶のような四枚の羽を持つ白妖精がちょこんと腰掛けて、ひらひらと手を振っている。
「ゆっくりしている所にお邪魔してごめんなさいねー。今日はちょっと貴女にお願いがあって来たの」
白妖精はふわりと風に舞うように飛ぶと、テーブルの上に置かれた書籍に腰掛けた。『楽にして、座って座って』と合図し、グレンダを再びソファーに座らせる。
瞳孔のない釣り上がった大きな白い目をキラキラさせながら、白妖精は話を切り出した。
「あのね、サンディの事なんだけど。できればこのまましばらく、貴女に預かって欲しいの」
「それは構いませんが……そもそも彼女はどのような者なのか、差し支えなければお聞かせ願えませんか?」
白妖精はうーんと考える仕草をしたが、すぐに笑顔になる。
「まあ黒いのが本人に教えるし、すぐバレるわよね。サンディは天界王の娘。いわゆる王女様よ」
(……)
思い当たる節がありすぎて、グレンダは思わずこめかみに手をやって目を閉じる。
隠蔽されていた時の髪や目の色、笛の尋常でない力や翼の顕現から考えて、高位の翼人だということは見当がついていた。
しかし、よりにもよって王女殿下だとは……。
「今頃黒いのが、サンディに力の使い方を教えているわ。あの子は『精霊王の祝福』を受けているの」
「それは一体どのような力ですか?」
「『精霊王の祝福』は、天界の王族にしか賜ることのない力よ。精霊の全てを屈服し従わせる強い力……ただし、本人の素養がなければ受け取ることすらできないわ」
「そのような恐ろしい――いや強い力を、あの子が……」
白妖精は頷いた。
「そこでお願いなんだけどね。明日以降、彼女に色々な体験をさせて教育して欲しいの」
「色々な、というと?」
あまりに漠然としていてピンとこない。
「この地上の世界で生きていく常識や知識、処世術など、全てね」
グレンダの中で一瞬、嫌な考えが頭をよぎる。一瞬間を置いて、思い切って尋ねてみた。
「天界王は娘を迎えに来る気がない、という事でしょうか?」
「今はその時じゃないの」
「……」
説明を待つ意味で黙っていると、白妖精はポツポツと話し始めた。
「サンディのブレスレットは、彼女の母……天界王妃が授けた物よ。そして今、王妃はとある男に囚われ行方不明で、天界は王妃が欠けた状態。王は一人で世界のバランスを保つために、今は天界から離れられないわ。そして王妃を探す手がかりは、ブレスレットに付けられた青紫の玉……あれだけなの」
――なるほど。要するに今は、王妃を助けに行ける者がサンディしかいないという事か。
「しかし……サンディはまだ、些か幼すぎませんか?」
「ええ、今はまだその時ではない。学ぶべきこと、そして思い出さなければいけない事が多すぎるわ」
「それにしても、教育という意味では、私などより天界の方々の方が最良なのでは?」
「天界や精霊界は、王妃が囚われているらしい地下世界からは遠すぎるの。それにあっちは地上の民の世界を知らない者がほとんどだから、教育という意味では偏りがちね」
「そこで私に白羽の矢が立った、というわけですね。しかし……」
グレンダは顎に手をやって俯いた。
「グレンダ、他に何か問題が?」
「……私にはもう、あまり時間がありませんので」
グレンダは少し寂しげに笑う。
「私は人間の身。今までは自分の持って生まれた百年の他、四大精霊様達にそれぞれ百年のお時間を頂いて、この森の秩序を守って参りました。そんな生活も、今年で四百七十年経っております。そんな今、私共からすれば永遠ともいえる時を生きるあなた方の子供を、十分にお育てする時間が残されているのかと……」
「ふむ……後継はいるの?」
「はい。マリンという者がおります。ドワーフ族ですので、寿命には余裕があるかと。……ただまだ若く、力量も伴いません。昨日もあなた方の声を聞くことはできましたが、視ることは叶いませんでした」
「そっか……そちらも急ぎ育てる必要があるわね」
しばし考えた後、白妖精はすっと本の上に立ち上がった
「では後二十年……いや長いわね。――あと十年だけ貴女を頼らせて。その間だけはサンディを含めて皆をまとめて導いてくれない? それ以降はこちらでなんとかするわ」
「……承知いたしました。私もできる限りの努力をいたしましょう」
「ありがと、感謝するわ。適宜必要な助力は回すようにするわね」
ふわりと飛んだ白妖精は、グレンダの左肩に腰掛けた。するとグレンダは左頬に、ひんやりとした優しい気配を感じる。
「グレンダ、貴女にこれを預けておくわ」
白妖精の手から白金色の光が舞い、グレンダの左手で細長い蔦のように絡む。その光が収まると、中指に大きな月光石があしらわれた指輪が現れた。石の周囲には繊細な細工が施されており、ひと目で匠の品とわかる。
「何か手に負えない事が起きたら、これで私を呼ぶといいわ。それにこれを貴女が使えば、咎人程度なら祓えるはずよ」
黒い翼人を祓えるようになるのはとても助かる。今、サンディ達を守るためにはどうしても必要な力だ。
「確かに、お預かり致します」
グレンダの返事を聞き、白妖精は満足そうに笑んだ。
「じゃあよろしく。今晩はこれで失礼するわね♪」
そう告げると、白妖精は白金色の粉のような光を振りまきつつ、窓から出ていって宙に消えた。
グレンダはここでやっと、サンディの笛が再び奏でられている事に気づいた。額には汗で髪が張り付き、背中には冷えた汗を感じる。
白妖精は気さくに話しかけてはいるが……今まで遭遇した事のない強大な力に対して、身体が本能的な畏怖――あるいは脅威を覚えているのかもしれない。この役目の荷の重さ、そして責任の重さに、白妖精から直接指輪を付けられた左手が少し震えた。
「……ふんっ」
気合を入れ直し、グレンダはグラスに残ったワインを一気に飲み干す。
「私はこの森を守るだけで精一杯の、しがない魔女なんだけどねえ……」
グレンダの愚痴めいた独り言は、新月の闇に吸い込まれていった。
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