襲撃
「うわぁ、いいなぁ」
「綺麗ですね~」
地上ではレオンとマリンが、自由に飛び回るサンディを羨ましそうに見守っていた。
「あ、屋根に乗ってる~! いいな~私も飛んでみたい~」
「マリン、そう思うなら、お前はもっと風の精霊と対話を重ねて、早く加護を頂けるように励みなさい」
いつの間にかグレンダ背後に立っていることに気付き、マリンは慌てて振り向いた。
「ひっ、お、お師匠さまっ! だって~風の精霊様は言うことがコロコロ変わって、お話が続かないんですよ~」
「それも風の特性だからね。仕方のないことさ。あと、レオン」
「は、はい」
「お前は精霊力を既にある程度持っているらしい。そうでなければ、サンディの翼を察知する事すら出来ないはずだからね。これから学んでいけば、将来魔法を使えるようになれるかもしれないが、興味はあるかい?」
「僕が魔法を? えっと、ぜひお願いします! 教えて下さい!」
レオンは金色の瞳を更にキラキラと輝かせる。
「よろしい。私の指導は厳しいよ。覚悟して付いておいで」
「はい!」
「じゃあレオンは私の弟弟子ですね~」
「マリン、改めて、宜しくおねがいします!」
レオンが深々とお辞儀をすると、マリンは顔を真っ赤にして両手を振った。
「わわ~、やめて下さい~!」
照れまくるマリンに、腕組みをしたグレンダが笑いながら告げた。
「これから姉弟子様にはもっともっとペースを上げて励んで頂いて、どんどん術を会得してもらわないといけないねぇ……そうでないと、優秀な弟弟子にすぐに追いつかれるよ」
「うわ~んっ! 頑張ります~っ!」
賑やかな二人の声に混じり、グレンダにはずっと精霊達の声が聞こえていた。サンディが空を舞っているのを面白がって、精霊たちも一緒に飛んでいるようだ。
しかしさっきから気になっているのは、足元から聞こえる土精霊の低い声だった。
(スグニ)(ハヤク)(カクレロ)(イソイデ)(カクレロ)(デルナ)
明らかな警告。特に「隠れろ」「出るな」は、今まで「隠れていた」サンディに対するものだろうか? そこで屋根に居るサンディに戻るよう声を掛けようとした、その時。
「――おい婆さん、何だあれ」
ロムスが中庭の一角を睨みながら。低い声で呟いた。
今夜は月が明るいにも関わらず、その一角だけ不自然な暗さだ。地面が波紋のようにゆらりと揺れるのを見て、ロムスは即座に白く光り、室内で見せたよりもずっと大きな蛇の姿になる。グレンダも既に長杖を構えていた。
「マリン! レオンを頼むよ!」
「は~い!」
マリンはすでに短杖を構え、レオンの一歩前に出ていた。
地面の波紋の真ん中からぬるりと黒い人影が湧いて出てきた。背には黒い翼が生えており、土色の肌からは表情が伺えない。赤黒く光る双眸だけが爛々と空を――いや、屋根の上にいる少女を睨めつけている。
「サンディ狙いだね」
グレンダが呟いた。
先程の地の精霊の警告「出るな」は、こいつ──黒い翼人に対する警告だったようだ。そう考えながらすぐに詠唱を始める。
「サンディ来るな! そこにいろ!」
ロムスの声が全員の頭の中に聞こえた次の瞬間、黒い翼人から風刃が屋根の方へと放たれた。がしかしその刃は、翼人の目の前に突如そびえ立った岩壁を僅かに削って消えた。
「へっ、その程度か」
大蛇はシャァァァッと威嚇音を放ち、丸太のような尾を振り抜いた。黒い翼人はそれをまともに胴に食らい、先程ロムスが出現させた岩壁へ壊れた人形のように叩きつけられる。
ぐしゃりと嫌な音がして、岩からずり落ちる黒い翼人。終わったか……と思った、その時。
「ウォォ……ォォォォ」
黒い翼人が低い唸り声をあげながら起き上がろうとする。
「ったくしつけえな! 婆さん、今だ!」
ロムスの合図に合わせ、燃え上がる溶岩の礫が豪雨の様な勢いで黒い翼人の上に降り注ぐ。真っ赤に焼けた灼熱の粘体は、黒い翼人を覆って燃え盛っている。
「このままじゃ屋敷まで燃えちまうよ、ロムス!」
「任せなっ」
倒れた翼人を覆う様に燃え盛る溶岩の上に、今度は滝のような水が叩きつけられた。ジュウという水の焼ける音が盛大に響くと、溶岩の表面が黒く固まり、中庭は水蒸気でいっぱいになる。
「すごい……」
レオンは黒い翼人が現れた時から集落を襲撃された時の恐ろしさを思い出し、全く動けない上に身体の震えを抑えられずにいた。しかしロムスとグレンダの凄まじい攻撃魔法を目の当たりにしていつの間にか身体の震えは止まり、ただただその威力の凄さに圧倒され見入っている。
マリンは構えを解く事なく、前を向いたまま声をかけた。
「レオン、大丈夫~?」
「うんありがとう、大丈夫だよ」
「でも、油断しちゃだめだよ~」
「え?」
「あれまだ死んでないから〜」
そんなバカな。水蒸気で視界が悪い中で目を凝らすと、冷えて固まった溶岩の山が僅かにミシ、ミシ、と動いている。
「動きは止められるが、やっぱり四大精霊の力じゃ止めは刺せねえな」
「そもそも四大精霊との契約がある結界をあっさり突破されたんだ。わたしらの力で消滅させるのは無理だろうよ」
「仕方ない。もう一回くらい焼いて固めて、このままほっとくか?」
「やめとくれ。こんな気色悪いモノを、うちの中庭で飼うつもりはないよ」
はてさて、どうしたものか。ため息をつきながら考え込む、グレンダとロムスだった。
***
「サンディ、来るな! そこにいろ!」
その声を聞いて、そのまま屋根で待っていた私は、凄まじい攻撃の一部始終を屋根から見ていた。ロムスもグレンダも尋常ではない強さだけど、完全に止めは刺せないみたい。とりあえず相手の動きを止め、その後どうするか考えているようだ。
(私に出来ること……あっ)
私は、上着の懐から白い横笛を出した。
(もう一度、助けを呼んでみよう)
横笛を構え、目を瞑って祈る。
(精霊さん、お願いします。あの黒い翼人を、もう二度と屋敷に入れないで……)
振動を必要としない、澄んだ高い音色が周囲に広がっていく。しかし、以前レオンを助けてもらった時に比べて、周囲の精霊たちの反応が薄い。
(どうしよう、やっぱり難しいのかな……)
お願いすることしか出来ない自分に、どこか無力感を感じて焦ってまう自分がいる。それでも今の身体はよく動くし、その上不思議な力を持っているわけで。今、これを活かさない選択肢など、ありえないだろう。
(今世の私は、きっと誰かの役に立てるんだ……!)
私はただただ、真摯に祈りながら笛を奏で続けた。
「あいつを殺したいの?」
突然、耳元に声が聞こえた。高く可愛らしい声と『殺したい』という単語のギャップに驚き、思わず演奏が止まる。
「ああん、その笛の音、とっても好きなんだから吹いててよー!」
声がした左側を見ると、全身が白く光る二十センチ程の小さな少女がふわりと浮いている。釣り上がった大きな目に黒目は無く、蝶のような形をした半透明の羽は、白金色の粉のような光を纏っていた。
以前グレンダは四大精霊について教えてくれたけど、白い妖精については聞いた事がない。
「えっと、あなたは誰?」
「私は白妖精よ」
見たまんますぎじゃない? とちょっぴり突っ込みたくなる。
「殺すってどういう事?」
「言葉の通りよ。またその笛の音を聞かせてくれるなら、黒く汚い羽を持つアイツを消してあげるわ♪」
黒い翼人は、元は天界に居た咎人だとグレンダから教わった。だとすれば、重く黒い翼になった時点で罪を背負い、今は生きてその姿を晒している時間が償いそのものであるはず。
(だとすると……)
「あの黒い翼人を殺す権利は、私には無いと思う」
「ええー!?」
白妖精は大げさな程に驚く顔をした。
「だってあいつは、あなたを殺そうと狙っているのよ?」
「そうみたい。でも『私が殺す』のは違うと思うの……」
「ふむ、存外愛し子は愚昧ではないようだな。白いのと違って」
今度は右側から声がした。見ると白妖精と同じくらいの身長の、濃い紫色の少年が浮いている。蜻蛉のような細長い羽を持ち、白目の無い漆黒の瞳は、月光をも吸収するかのような闇だ。
「あー、うるさいのが来た」
「うるさいとは失敬な。お前が理を無視して、愛し子を唆そうとするのを黙って見ていられなかっただけだ」
「本当にやるとは言ってないでしょっ!」
グレンダからは、濃紫の精霊についてもやっぱり教わっていない。試しに同じ質問をしてみる。
「貴方は、誰?」
「我は黒妖精だ」
やっぱりか。というか、紫じゃなくて黒なんだ。
「と、とにかく、あの黒い翼人には帰ってもらいたいの。そしてお屋敷、いいえ、この森に二度と入ってきて欲しくない。私のお願いはそれだけ」
「ふむ。それなら容易い事だ。我があやつを居るべき場所に帰らせよう」
「じゃあ私が二度と入ってこれないように結界を張ってあげるね♪」
「本当に? ありがとう!」
「「その代わり月に一度、『満月』『新月』の晩に、その笛を聞かせ『なさい』『るのだ』」」
二人の声は綺麗に被った。仲がいいのか悪いのか、よくわからない。
「んもう! 真似しないでよ黒いのっ!」
「お前こそ我のマネをするな白いの」
「わかりました! わかりましたから、喧嘩しないで! 笛も約束するから! とにかくすぐに、あの翼人を追い払って!」
「よろしい。お主はそのまま笛を吹き続けるが良い」
「じゃあちょっと行ってくるわね~♪」
私が笛を構えて演奏を再開すると、二人はそれぞれ白金と濃紫の光を振りまきながら、地上に向かって滑るように飛んでいった。





