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98.ABブロック代表決定戦2

 先に動いたのは、レンだった。


 地を蹴る音が一度だけ鳴る。


 そこから先は、ほとんど音がない。


 視界の端が伸びる感覚。

 一気に懐まで詰めて、右の短剣でイオンの手首をはたき、同時に左を胸元へ滑らせた。


 肩、肋、喉元。

 狙いを変えながら、連続で切り込む。


 いつもなら、相手の動きが一瞬止まるはずの距離。


 ――けれど。


 「……速いな」


 イオンの声は、やっぱり眠そうだった。


 ただ、動きだけがまるで違う。


 大きくは退かない。

 腰を少し引く。

 つま先を半歩だけずらす。

 肩を一寸だけ落とす。


 それだけで、レンの短剣は紙一重で空を切った。


 喉を狙った刃は、髪の毛一本分ずらされた首の横を抜ける。

 心臓を狙った一撃は、胸板ではなく、服の布だけをかすめて終わる。


 当たりそうなのに、当たらない

 それが、余計に気持ち悪い。


 (……全部、見えてる)


 レンは一度だけ地面を蹴り、回り込む。


 死角を作る。

 そこから、さらに踏み込みを重ねる。


 目にも止まらない速度で、短剣が走った。


 右の刃が脇腹へ。

 左の刃が足の腱へ。


 今度こそ、避けきれないはずの角度――


 「惜しい」


 イオンは、やっぱり最小限だけ動いた。


 腰をひねる。

 つま先を内側に向ける。

 上体を、ほんの少しだけ後ろへそらす。


 それだけで、刃はまた“届かない”。

 本当に紙一重で、全部が外れている。


 観客席から、遅れてどよめきが起こった。


 「今の、当たってないのか……?」

 「レンの速さに、目がついていかないんだけど」


 (避けられてる……っていうか、当てさせてもらえてない)


 レンは息を吐き、もう一度踏み込んだ。


 攻める。

 角度を変え、リズムをずらし、わざと急所ではない場所を狙う一撃を混ぜる。


 でも、そのどれもが――


 イオンの、ほんの小さな重心移動と肩の傾きだけで、全部外に流されていく。


 「十分だな」


 ぽつり、とイオンが呟いた。


 「だいたい分かった」


 長剣の先が、初めてはっきりとレンの方を向く。


 今までは、受けるためだけにそこにあったはずの刃が――

 ようやく“こちらを斬るため”の角度に変わった。


 (……こっから本番って顔だな)


 肩の奥がうずく。

 それでも、レンは構えを崩さない。


 「来いよ」


 短く言うと、イオンは面倒くさそうに片眉を上げた。


 「そう言われてもなぁ」


 溜め息混じりに一歩、前へ出る。


 


 空気が、わずかに重くなった。


 魔力の気配はほとんど感じない。

 ただ、“圧”だけが増す。


 「……!」


 レンの背筋が、反射的に強張った。


 さっきまでと、何も変わっていないように見えるのに、

 目の前の“距離”だけが急に縮んだような感覚。


 (やば――)


 考えるより早く、足が勝手に動く。


 右に避ける。

 その動きに合わせて、イオンの長剣が左から襲いかかる。


 低い一撃。


 レンは短剣で受け流しながら、懐へ潜り込もうとした。


 「悪くない」


 イオンの声が近い。


 次の瞬間、視界から長剣が消えた。


 (上か――)


 反射で、両方の短剣を頭上に交差させる。


 ガン、と重い音。


 腕に鈍い衝撃が走る。

 肩の古傷が、焼けるように痛んだ。


 受け止めきれない。

 押し込まれる。


 「ッ……!」


 膝がわずかに沈む。


 その一瞬の“落ち”を、イオンは見逃さなかった。


 長剣が横へ流れ――

 レンの刃をまとめてはじき飛ばす。


 ガラン、と短剣が片方、結界の床を転がった。


 残った一本を握り直すより早く、

 イオンの足がレンの懐へ滑り込む。


 「悪いな」


 短く、それだけ。


 腹に、鋭い衝撃。


 結界が眩しく光り、レンの体が後ろへ吹き飛んだ。


 地面に背中を打ちつけた感覚が、遠くなる。


 


 「そこまで!」


 審判の声が、どこか遠くで響いた。


 「勝者、イオン・グラント!」


 観客席から、大きなどよめきが上がる。


 「レンが……負けた?」

 「今の見えたか? 最後の一撃」


 レンはどうにか上体を起こそうとしたが、腹と肩の痛みで、肘が震えるだけだった。


 (……今、何がどう動いた?)


 攻撃を受けた、という感覚自体が薄い。

 ただ、いつの間にか体勢を崩され、当てられていた。


 「立てないなら、今日はここまでだ」


 頭上から、イオンの声が落ちてくる。


 見上げると、彼はいつもの眠そうな目でこちらを見下ろしていた。


 「速さは本物だよ。

  でも、それだけだ」


 淡々とした口調。


 「剣の重さも、間合いの変え方も、まだまだ甘い。

  ――まあ、この歳ならそんなもんか」


 そこで一度、視線を外す。


 興味を失ったように、肩をすくめた。


 「所詮、こんなもんか」


 ぼそっと、それだけ言い捨てる。


 レンの方をもう見ない。


 イオンは剣を肩に引っかけるように持ち直し、そのまま背を向けて歩き出した。


 観客の歓声も、ざわめきも、

 全部どうでもいいと言わんばかりの足取りで、闘技場から退場していく。


 


 「レン!」


 遅れて、観客席から駆け下りてきたリーナの声が聞こえた。


 すぐ後ろには、腕を吊ったままのルデスの姿もある。


 「大丈夫?」


 リーナが覗き込んでくる。


 「……うん。負けただけ」


 レンは、どうにかそう答えた。


 「まだ、上があるって分かっただけマシかな」


 そう言いながらも、歯を食いしばる。


 イオンの背中は、もう闘技場の出口の向こうに消えていた。

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