97.ABブロック代表決定戦
夜が明けた。
窓の外は、もうすっかり祭りの空気になっている。
旗が揺れ、遠くから人のざわめきが届いてくる。
(……三日目、か)
レンはゆっくりと上体を起こした。
右肩に、鈍い痛みが走る。
動かせないほどじゃないが、何もしなくてもじんじんとうずく。
(昨日の一発、やっぱり効いてるな)
無理やり笑って、制服の上からそっと肩を押さえた。
◆◇◆◇◆
学園の中庭は、昨日以上に人であふれていた。
観客席には一般客も増え、屋台の数も多くなっている。
魔法配信用の柱には、薄い光の幕がまとわりついていた。
「レン!」
人混みの向こうから、リーナが手を振る。
その隣には、まだ腕を吊ったままのルデス王子の姿もあった。
「調子はどうだ?」
近づいてきた王子が、さりげなくレンの肩をちらりと見る。
「まあ、動く分には大丈夫です。多分」
「“多分”をやめてくれ。
こっちは見てるだけで胃が痛くなる」
ルデスが、わざとらしくため息をつく。
「医務棟の先生が言ってたじゃない。
変に無茶しなきゃ、日常生活には支障ないって」
リーナが口を尖らせる。
「それを一番やりそうなのが、レンだから心配なんだ」
王子の言葉に、レンは苦笑いを返すしかなかった。
「で、今日の相手は?」
レンが話題を変えるように尋ねる。
ルデスは、小さく息を吐いてから答えた。
「上段ブロックのB代表。名前は……イオン・グラント」
「グラント?」
リーナが瞬く。
「リアムと同じ……?」
「綴りは同じだが、血筋までは不明だ。
本人は『遠い親戚かも』とだけ言っていたらしい」
ルデスは、少しだけ目を細める。
「剣の腕は確かだ。
予選の映像を何本か見せてもらったが――」
「どうでした?」
「やる気なさそうに見えるくせに、危ない場面が一度もない」
それだけ言って、肩をすくめた。
「受けて、ずらして、いなして。
自分から無理に斬りにはいかないが、気づいたら相手が倒れているタイプだ」
「めんどくさそうなのが来たわね」
リーナが苦い顔をする。
「でも、レンの速さなら――」
「速さだけで何とかなる相手なら、ここまで上がってきてない」
ルデスが静かに遮った。
「……だからこそ、だ」
「だからこそ?」
「変に“見せ場”を作ろうとしなくていい」
ルデスは、真正面からレンを見る。
「最初から全力でいって勝負を決めろ」
「……分かった」
レンは、自然と背筋を伸ばした。
◆◇◆◇◆
ABブロック代表決定戦。
闘技場の石畳の上に立つのは、もう4度目だ。
観客席のざわめき。
魔法結界の低い唸り。
遠くから聞こえる屋台の呼び込みの声。
全部、昨日より少しだけ遠く感じる。
(向こうが、イオン……か)
対面に立つ青年を、レンは観察した。
年は自分たちより少し上に見える。
黒に近い茶髪。
飾り気のない灰色の上着に、腰の片手剣が一本。
鎧も、派手な紋章もない。
ただ、立っている姿勢だけが妙に落ち着いていた。
「レン・ヴァルド、だな?」
イオンが、じっとこちらを見て言う。
「そうだけど」
「予選から全部見てた」
ゆっくりとした口調。
「速いし、手数も多い。
何より、足の運びが綺麗だ。――いい剣だと思う」
「褒められてる……のか?」
「褒めてるよ」
イオンは、ゆるく笑った。
「ついでに言うと、俺はあんまり長引く試合が好きじゃない。
だから、できればさっさと終わらせたい」
「そっちもか。
俺も、肩には優しくしたいんだけど」
レンが軽口を返すと、イオンはほんのわずかだけ視線をそらした。
「……じゃあ、お互い全力でやって、どっちかが寝れば終わり、ってことで」
「それ、結構物騒な締め方じゃない?」
そんな会話を交わしているうちに、審判が間に入る。
「これより、ABブロック代表決定戦を行う!」
張り上げられた声に、観客席がどっと沸いた。
「右側、レン・ヴァルド!
左側、イオン・グラント!」
名前が響く。
レンは、深く息を吸った。
胸の奥で、静かに何かがうずく。
(――ここも、絶対勝つ)
心の中でだけ、はっきりとそう決める。
両手の剣どちらも手入れをし、万全な状態で手の中に収まっている。
「両者、構え!」
審判の声。
レンは、低く腰を落とし、二本の短剣を斜めに構えた。
イオンは、片手剣を抜き、肩の力を抜いたまま正面に立つ。
一見すると隙だらけだが、その足は石畳にきちんと根を張っている。
風が一瞬止まったような静けさ。
「――始め!」
合図と同時に、空気が動いた。
レンが地を蹴る。
視界の端で、イオンの目がわずかに細くなった。
速さを殺さず、一気に間合いを詰める。
右の短剣で、イオンの剣を外側に叩き――
左の黒い短剣を、わき腹めがけて滑り込ませる。
初手から、躊躇はない。
(ここから――崩す)
その瞬間、イオンの体がわずかに傾いた。
ほんの半歩、足の位置を変えただけ。
だが、それだけで剣の角度も、攻撃の通り道も変わる。
カン、と乾いた音。
黒い短剣は、相手の服をかすめただけで弾かれた。
(今のを……)
レンが目を見開くより早く、
イオンの片手剣が、肩口へと軽く触れるように振られ――
結界が一瞬だけ光った。
観客席がざわつく。
(既に見切られている)
肩の痛みが、じんと重くなる。
だが、レンは足を止めない。
(なら、これ以上無いぐらい、全部出していくしかないか)
次の一歩で、さらに地面との距離が縮まる。
イオンの目が、少しだけ楽しそうに細められた。
闘技場の真ん中で、
二人の間合いが、音もなく重なっていく――。




