96.裏で動いている影
その夜。
王都から少し離れた、教団の地下拠点。
石造りの広間の中央には、七つ分の椅子が並んでいる。
そのうち一つ――「第六」の席だけが、ぽっかりと空いていた。
「……戻ってこなかったか、“音を刻む者”は」
低い声が、薄暗い部屋に落ちる。
フードを目深にかぶった男が、足を組んだまま退屈そうに椅子に座っていた。
――第一席。
「勇者に胸を抜かれて、鈴ごと砕けたわ」
第七席、“夢を縫う者”が肩をすくめる。
白い指先には、乾いた血がこびりついた糸が数本絡んでいた。
「まあ、あの程度なら仕方ないでしょうね。
音だけで遊びすぎてたもの」
「損失を軽く言うな」
別の席から、苛立った声が飛ぶ。
「俺達の足が一本、確実に折られたんだぞ」
「足なら、まだ残ってるじゃない」
夢を縫う女は、くすりと笑う。
「それに、まるきり手ぶらで逃げてきたわけじゃないわ」
彼女は自分の指先を見下ろした。
その指には、まだ一本だけ、赤黒い糸が残っている。
「十四層でね。面白い子を見つけたのよ」
「……あの短剣の少年か」
第一席が、ようやくわずかに視線を上げた。
「速さだけなら、勇者に匹敵するやつ」
「そう。それと、“中身”が良かった」
夢を縫う女の口元が、楽しそうにゆがむ。
「だから、肩に一本だけ道を縫っておいたわ。
今すぐ引っ張る気はないけど……いつでも“触れる”ように」
「また面倒なものを残してきたな」
誰かがぼそりとこぼす。
「勇者一行も、王子も、あの少年も、まとめてこちらを警戒し始めている。
これ以上目立てば今後動きにくくなる」
「だからこそよ」
夢を縫う女は、椅子の背にもたれた。
「最近はちょっと騒ぎすぎたわね。
第六も落とされたし、私も少し糸を張り替える時間が欲しい」
細い指が、空中で何本かの糸の形をなぞる。
「私はしばらくは表には出ないわ」
重い溜め息と共に、別の席から声が漏れる。
そのやりとりを、第一席はぼんやりと聞き流していた。
やる気なさそうに見えるが、目だけは笑っていない。
「……で?」
ふいに、彼が口を開く。
「勇者。王子。短剣の子。
お前の目から見て、どれくらいだった?」
「勇者は、正面から見てもやっぱり“勇者”だったわね。
王子も、あの年齢にしてはよくやる方」
夢を縫う女は、少しだけ肩をすくめた。
「でも、一番気に入ったのは――やっぱり、あの短剣の子ね」
「レン・ヴァルド、だったか」
第一席は、面倒くさそうにその名を繰り返す。
「速いだけじゃなくて、最後まで“自分のまま”踏ん張ってた。
ああいうの、嫌いじゃないわ」
「……ふうん」
第一席は、小さくあくびをする。
「じゃあ、明日、ちょっと見てくるか」
「見てくる?」
周りの視線が、一斉に彼に向いた。
夢を縫う女も、目を細める。
「あなた、動く気になったの?」
「動くってほどじゃない」
第一席は、立ち上がりながら軽く手を振った。
「たまたま“剣の祭り”があるだろ。
上段ブロックのB代表に勝ち上がっただけさ」
「……は?」
夢を縫う女が瞬きをする。
「ちょっと待って。いつの間に出てたの?」
第一席は、フードを外しながら肩をすくめる。
「剣は普通のやつを使うさ。
名前も適当だし、顔もバレてないし大丈夫さ」
「何のために?」
「退屈しのぎ」
あまりにもあっさりした答えだった。
「勇者の国の学園が、どんな剣を育ててるのか。
あの短剣の子が、どれくらいまで“自力で”届くのか。
……ちょっと興味が出ただけだ」
第一席は、つまらなそうに笑う。
「安心しろ。王都をひっくり返すのは、まだ先だ。
明日はただ、退屈しのぎをしに行くだけ」
夢を縫う女は、しばし黙って彼を眺め――やがて、肩を落とした。
「あなたが本気を出さないなら、まあいいけど」
「出さないさ」
第一席は、まるで当然だと言わんばかりに言い切る。
「ここで暴れたら、面白い遊び場が一つ減るだけだからな」
「……レンの肩の細工、弄った方がいい?」
夢を縫う女が、最後にそう尋ねた。
「当分は放置でいい」
第一席は即答する。
「バレれば、勇者と王子が一緒に狩りに来る。
今はまだ、その時じゃない」
夢を縫う女も、小さく頷いた。
「まあそうね、私は次どうするか考えてとこうかなー」
「好きにしろ」
第一席は、背を向ける。
「明日、上段ブロックのB代表として――
レン・ヴァルドの前に立つのは、ただの一人の剣士だ」
そこで一度だけ足を止めた。
「俺が見たいのは、レンと第2王子それと勇者がどこまで届くかだけだ」
薄暗い広間から、足音が遠ざかっていく。




