95.肩の傷
観客席の歓声を背中で聞きながら、闘技場の出口へ向かう。
結界を抜けた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。
「レン!」
通路の先で、リーナが大きく手を振っている。
その隣には、腕を固定したままのルデス王子の姿もあった。
「やっと終わった……!」
駆け寄ってきたリーナに、肩を軽く叩かれる。
「すごかったけど! すごかったけどさ!
最後のあれ、完全に無茶でしょ! 肩またやったでしょ!」
「ちょ、落ち着いて。もう結界の中じゃないから殴らないで」
笑いながら言ったけど、右肩をちょっと動かすだけで意識が持っていかれそうなほど痛い。
リーナはじとっとした目で見上げてきた。
「痛いなら素直に痛いって言いなさいよ。はい、座って」
強引にベンチに押し込まれ、そのまま肩に手を当てられる。
ペンダントがうっすらと青白く光り、じんとした熱が傷に染み込んでくる。
「……ん。だいぶマシになった」
「この傷、いつも治してる傷と違って、本当に全然良くならないわね。」
そう言いながらも、リーナの顔には、どこかホッとした色が浮かんでいた。
「よくやった、レン」
ルデスがゆっくり近づいてくる。
「最後の一撃は見事だった。
身体強化を全開にした相手を、あの条件で倒しきれる者はそう多くない」
「ありがとうございます。……正直、ぎりぎりでしたけど」
「自覚があるなら結構だ」
ルデスはわずかに口元をゆるめる。
「途中までは、いつものお前らしい速さだったが……
最後の方だけ、刃の“乗せ方”が変わっていたような感じだったな」
心臓が、ちょっとだけ跳ねる。
「……分かりました?」
「目の前で見ていればな。
“あの短剣”は、色んな人が使ってきたが、さっきのは何かが違った気がした」
ルデスは、俺の左手に握られた短剣へ視線を落とした。
「何か、掴んだか?」
しばらく迷ってから、言葉を選ぶ。
「……まだ、はっきりとは言えませんけど。
『振り回してるだけじゃダメだ』ってことは分かりました」
「ふむ」
ルデスは意味ありげに目を細めたが、それ以上は踏み込んでこなかった。
「いいだろう。今はそれで十分だ」
そう言って、少しだけ真面目な顔になる。
「大剣術祭は、まだ始まったばかりだ。
予選を抜けても、本戦と特別試合が待っている。
今日の怪我を引きずったまま突っ走れば、どこかで必ず足を取られる」
「……気をつけます」
「気をつけるだけじゃ足りないぞ。
ちゃんと“休む”ことも含めて、戦い方の一部だ
無理ならちゃんと棄権するんだぞ」
ルデスは、わざとらしく肩をすくめて見せる。
「王子としてではなく、同じ剣を振るう者として言う。
今は医務棟に行って、そこから寮に戻れ。あとは寝ろ」
「そこまで言い切ります?」
「言い切る。――リーナ、付き添ってやってくれ」
「もちろん」
リーナが即答する。
「じゃ、レン。立てる?」
「まぁ、なんとか」
ベンチから腰を上げると、右肩がきしっと抗議してきた。
顔に出たのか、リーナがため息をつく。
「はい、やっぱり顔に出てる。
医務棟までくらい、大人しく捕まってなさい」
「お願いします…」
◆◇◆◇◆
医務棟での診察は、思ったより静かに進んだ。
「ふむ……」
白衣を着た治癒士が、右肩にそっと手を当てる。
魔力が流れ込む気配と、一瞬だけじんわりした温かさ。
すぐに手が離れた。
「表面は、よくここまで持ち直したと言うべきだな」
落ち着いた声だった。
この先生は、治癒士でありながら、3年の生物学授業も受け持っていると聞いたことがある。
「ただ――前の傷跡を、綺麗になぞるように衝撃が入っている。
骨と筋肉の“根本”の部分が、一度ひどく壊れて、無理やり繋がっている状態だ」
「つまり、どういう感じですか?」
そう聞くと、先生は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「簡単に言えば、“今は使えるが、完全には元に戻っていない”だ」
「日常生活は問題ない。剣も振れるだろう。
だが、同じ場所に大きな負荷を何度もかければ、そのうち限界が来る」
リーナが心配そうにのぞき込む。
「傷跡は……残りますか?」
「普通の治療では、まず消えんだろうな」
先生は、そこで一度だけ俺の肩から手を離し、少し真面目な顔になった。
「ただ、“絶対に治らない”とまでは言わん」
「え?」
思わず顔を上げる。
「昔話のような話だがな」
先生は、少しだけ苦笑した。
「四竜のいずれかの血、もしくはリヴァイアサンの血から作られる最高級の霊薬――
俗に“エリクサー”と呼ばれるものなら、こういった深い損傷も“なかったこと”にできるとされている」
「……四竜?」
リーナが小さく聞き返す。
「授業でも少し触れたが、王国の記録に残っている“最後の竜との戦い”は、およそ百七十年前だ。
そういえば、それ以外にも割と最近、小さな村で大災害が起こった時に竜を見たって聞いた気がするな
本当かどうかまでは分からないが…
まあ、どちらにせよエリクサーは、今はほとんど伝説の中の品だ」
「ってことは……」
俺が言葉を続ける。
「理屈の上では治る可能性はあるけど、現実的にはまず手に入らない、ってことですよね」
「そういうことだ」
先生はあっさり認めた。
「だから、今ここで出来る最善は、“これ以上悪くしないこと”だ。
無理に全部きれいにしようとして、表面だけ治して中身がボロボロになっては意味がない」
「……そうですか」
肩を軽く動かしてみる。
痛みはある。
でも、動かせないほどではない。
(“いつか”どうにかできる余地があるなら――そいずれ…)
「大剣術祭への参加自体は、このまま続行して構わない」
先生が告げる。
「ただし、治癒士として言うなら、これ以上の無茶は本気でおすすめしない。
せめて戦い方を工夫しろ。同じ場所にだけ負担を集めるな」
「戦い方、ですね」
心当たりがないわけでもないので、曖昧に頷いておく。
「痛み止めと冷却用の薬草パックを出しておこう。
今夜は冷やして、明日の朝に軽く動かす。これを数日は続けること」
「ありがとうございます」
礼を言うと、先生は軽く頷き、カルテに何かを書き込んだ。
「それと、リーナさんだったけか」
突然名前を呼ばれ、リーナがびくっと肩を揺らす。
「彼が馬鹿をしそうなら、遠慮なく止めろ。
君のペンダントは優秀だが、万能ではないから次肩を怪我したら治る保証は無い」
「……分かりました。全力で止めます」
リーナがきっぱりと言い切る。
先生は満足そうに小さく笑った。
「では、今日はこれでいい。
剣を振るのは明日以降にしろ。今はとにかく休め」
「はい」
医務棟を出ると、夕方の光が中庭を照らしていた。
大剣術祭の仮設スタンドはそのまま残され、
スタッフたちが片付けと、明日以降の準備を同時に進めている。
観客の姿はだいぶ減り、代わりに学生たちのざわめきがあちこちから聞こえてきた。
「短剣2本の奴、見たか?」
「最後の一撃、結界ごと割れるかと思ったんだけど」
「いやいや、あんなやつが学園にはいるのかよ」
そんな声が、風に乗ってかすかに耳に入る。
(四竜の血か、リヴァイアサンの血、エリクサー……ね)
さっき先生が言っていた言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
現実味はない。
でも、“絶対に治らない”と言われるよりは、ずっとマシだ。
「レン、大丈夫?」
隣で、リーナがそっと覗き込んでくる。
「顔、ちょっと難しいこと考えてる顔してるけど」
「いや……ちょっと、でっかい宿題を出された気分なだけ」
苦笑いしながら答える。
「肩の方は?」
「痛いけど、さっきよりはだいぶマシ。
とりあえず今日はもう剣は触らない」
「それならよろしい」
リーナが、ほっとしたように息をつく。
「じゃ、寮まで送る。先生にも“無茶させるな”って言われたしね」
「頼りにしてます、お世話係さん」
「はいはい。ちゃんと連れて行ってあげるわよ」
そんなやりとりをしながら、俺たちは寮へと歩き出した。




