92.無意識の中で
――静かだ。
気がつくと、俺は真っ黒な空間の中に立っていた。
どこまでも続く闇。
上下も、距離感も分からない。
けれど、不思議と怖くはない。
(……ここ、前にも)
十四層で、暴走した時。
意識の奥で、一瞬だけ覗いた“感触”に似ている。
「やっと、来たか。レン・ヴァルド」
声がした。
低く、よく通る声。
正面に、“何か”が立っている。
輪郭は、人の形をしているようでいて、
よく見ると、身体の線が全部“刃”でできているみたいだった。
その右手には、見慣れた短剣が一振り。
漆黒に近い銀――“王の刃”。
「……お前は」
思わず、口をついて出る。
「王の刃、か?」
「そう呼ぶなら、それでいい」
“それ”は、肩をすくめるように輪郭を揺らした。
「本当の名前はあるが、今は知らなくていい。
ここを出たらどうせ忘れるだろうしな」
冗談めかした口調のくせに、目だけが鋭い。
「さっきの一撃で意識飛んだみたいだな」
「まず、最初に言っておく」
“王の刃”は、じっと俺を見た。
「俺は、お前を気に入っている」
「……は?」
変な声が出た。
「特に足だ、今まで迷宮で見てきたどの人間より速い。
普通の奴なら、あの動きはまず無理だろう」
「それに――」
王の刃は、わずかに目を細めた。
「十四層で魔力が暴れたとき、覚えているか?」
(あの、頭の中がぐちゃぐちゃになったときか)
「お前の中で、暴走した魔力が暴れていた。
その波にぶつかった衝撃で、俺の意識は“目を覚ました”」
「……あの時から起きてたのか」
「ああ。ずっと見ていた」
あっさり言われる。
「俺が魔力を吸ってたとはいえ、半分以上飲まれかけていたのに、
『ここから先は踏み込んじゃいけない』と、ちゃんと無意識の内に制御出来かけていた」
王の刃は、少しだけ口元をゆがめた。
「強くなりたいという欲があるくせに、怖さも知ってる。
そのくせ、自分の意識を強く持てる。
――そういう奴は、今まで一人もいなかった」
黒い空間に、声だけが響く。
黙って自分の右肩に触れる。
ここでは痛みはない。
ただ、じんわりと熱い何かが残っている感覚だけがあった。
セイルの顔が、ふっと浮かぶ。
(無意識に制御しようとしていたのは、セイルのおかげだろう。
あの時流れ込んだ意思に、“仲間を守る”って気持ちが、確かにあった)
「お前に今聞きたい事は一つだよ、レン・ヴァルド」
“王の刃”は、一歩だけこちらへ近づく。
刃でできた輪郭が、かすかに光を帯びた。
「このまま、“人のまま”戦って負けるか。
それとも――俺の力を、ちょいとばかり使うか」
黒い空間に、その声だけが落ちていく。
「さっきまでのお前は、俺を“持っていた”だけだ。
振り回していただけだ。
だから、ちょっと鋭い短剣ってだけで、硬い肉一つまともに切れなかった」
「……」
言い返せない。
さっきのエルンとのやり取りが、頭の中で何度も繰り返される。
当てているのに、通らない一撃。
「俺は武器だ。
お前がはっきり決めなければ、
いくら規格外の魔力を吸い込んで、俺の人格が目覚めても意味がない」
“王の刃”の声は、淡々としていた。
責めるようでも、責めていないようでもない。
「さて――レン。
お前は、どうしたい?」
黒い空間の中で、ただ一つの問いだけが浮かび上がる。
俺は、短く息を吸った。




