91.ブロック決勝
大剣術祭の一日目は、そのあとも淡々と進んでいった。
俺は、その後の試合も危なげなく勝ち上がり――ブロック代表決定戦まで駒を進めていた。
◆◇◆◇◆
2日目のお昼、観客席は昨日よりかも更に埋まっていた。
「上段ブロック代表決定戦を開始する!」
審判の声と共に、俺は三度目となる闘技場へ歩み出た。
対面に立っているのは、長身の青年だった。
短く整えられた灰色の髪。
片肩だけを守る軽いプレートアーマー。
腰には、片刃の長剣が一本。
「……あいつが相手か」
控え席で見たときから、なんとなく目がいっていた。
無駄な動きが一つもない。
立っているだけで、体の芯に力が通っているのが分かる。
「エルン・カスティア。
魔法剣士。本選常連組だ」
朝、ルデスが簡単に教えてくれた情報が頭をよぎる。
「身体強化を重ねがけして、正面から押し切るタイプらしいよ」
(正面から、か)
俺の攻めとは、だいぶ方向が違う。
エルンは、こちらをじっと見てきた。
「レン・ヴァルドだな」
低い声。
「試合は見させてもらった中々に速いな。
だがそれだけだ、二本剣を持っていてもあまり意味を感じないな」
視線が、一瞬だけ“王の刃”に落ちる。
「お手柔らかに」
そう答えると、エルンはほんのわずかだけ口元をゆるめた。
「手加減できるタイプじゃないんでな。
すぐ決まるなら、それが一番お互いのためだろう」
審判が間に入り、簡単な確認を終える。
「両者、構え!」
レンは二本の短剣を、エルンは長剣を斜めに構え、同時に小さく息を吐いた。
その瞬間――
空気が、わずかに重くなる。
目に見える魔法陣はない。
けれど、筋肉と骨の“密度”が一段階上がったような圧が伝わってきた。
(……あれが身体強化か)
「始めッ!」
合図と同時に、エルンは一歩、前へ。
ただの一歩なのに、地面がわずかに鳴った。
速くはない。
でも、重い。
(まずは様子見)
俺も足を踏み出す。
距離が詰まる。
先に動いたのは、俺だ。
右手の短剣で、エルンの長剣の外側を叩き、左から王の刃を滑り込ませる。
肩、肘、脇腹――一瞬で三ヶ所を狙った、いつものパターン。
――が。
「……っ?」
手応えがおかしい。
切り込んだ感触が、ほとんどない。
服の上から、硬い何かに触れたような抵抗だけがあって、
後ろに“抜けていかない”。
「悪くない速さだ」
目の前で、エルンがぽつりと言った。
「でも――浅い」
長剣が、横から振り抜かれる。
結界が光り、王の刃で受けた衝撃が腕に響いた。
(硬っ……! 今の、ちゃんと筋肉まで届いてなかった)
すぐに距離を取る。
肩口に、うっすら鈍い痛みが走る。
(まともに打ち合うと、こっちの腕が先にやられるな)
そこから、何度か切り結びが続いた。
俺は、いつも通り“当てて離れる”動きを繰り返す。
エルンの死角へ入り、急所を狙い、すぐに抜ける。
でも、そのどれもが――
(通らない、なんか昔を思い出すな…)
確かに当たっている感触はあるのに、
エルンの動きが一度も“止まらない”。
筋肉の表面をなぞっただけみたいな感触ばかりだ。
逆に、エルンの長剣は、振るたびに重さを増している気がした。
「どうした」
低い声が飛んでくる。
「その速さで、その間合いで――
本当に“倒す気”で来てるのか?」
「……もちろん」
短く返しながら、心の中で舌打ちする。
(しっかり、当てに行ってる。
それでも、効いてないってことか)
さっきから、意識して一撃一撃の“切り込み”を深めている。
……つもりだった。
それでも、身体強化込みの防御を抜け切れていない。
エルンの右足が、じわりと踏み込む。
長剣の軌道が変わる。
これまでより、わずかに“低い”位置。
(足狙い――いや、誘いか)
俺はわざと半歩、踏み込みを遅らせた。
その一瞬の“ズレ”で、エルンの斬撃が空を切る。
その隙に、右の短剣で太腿を、左の王の刃で脇腹を狙う。
結界が光る。
が――やっぱり、止まらない。
「悪くない。でも――」
エルンの口元に、わずかな苦笑が浮かんだ。
「本気で来ている割には、まだ迷いがある」
長剣が、上から振り下ろされる。
とっさに交差して受ける。
重い衝撃。
肩の傷が、ギリッと痛んだ。
(……これ以上、じわじわやるのは無理だな)
息を吐く。
(じゃあ――一回だけ、全力でやる)
誰にも聞こえないように、心の中でだけ決める。
肩に痛みが走るが、構わず足元を一歩、踏みしめた。
次の瞬間――自分でも分かるくらい、速度が変わった。
視界の隅の観客席が、少しだけ“伸びる”。
体が軽くなる。
右手の短剣が、エルンの手首を狙って走る。
同時に、左の王の刃を心臓近くへ滑り込ませる。
連撃、角度、タイミング。
全部、今出せる限りを詰め込んだ一手。
そのはず、だった。
――が。
「……やっと、さっきよりはマシになったな」
エルンの声が、すぐ目の前から聞こえた。
右の短剣は、手首に届く直前で“止められて”いた。
筋肉ごと、掴まれているみたいな感触。
左の王の刃は、胸板に当たったところで、やはり“抜けない”。
「ここまで全力で身体強化使ったのは久々だったが、その甲斐あったな」
エルンの全身を、淡い光が包む。
さっきより、一段階、重さが増した。
「少しばかし痛いぞ」
低く呟いたその瞬間――
長剣が、ほとんど“崩れるような”動きで振り上げられた。
(――ヤバ)
肩が、間に合わない。
次の瞬間。
傷を負っていた方の肩に、重い衝撃がまともに叩きつけられた。
結界が眩しく光る。
鈍い音と共に、体が横に吹き飛ぶ。
「っ――ぎ……!」
声にならない空気が喉から漏れた。
視界が、一瞬で白く弾ける。
痛みの波が、頭の奥まで一気に駆け上がった。
地面の感触が、遠くなる。
観客のざわめきも、どこかに消えた。
(……あ)
落ちていく感覚の中で、
どこかで見覚えのある“暗さ”が、視界の端からじわじわと広がってきた。




