65.勇者来訪
講堂の空気が重い。
天井の魔導灯が静かに揺れ、
生徒たちのざわめきが、まるで海の底のように遠くに響いていた。
壇上に立つルデス王子が、一歩前に出る。
「――第十一層から第十四層を、明日より正式に開放する」
その言葉が放たれた瞬間、
周囲の空気がきゅっと引き締まった。
「そして、今回の探索には特別協力者を迎える」
その一言に、会場のあちこちで息が止まる音がした。
扉が開く。
差し込む光の中、四人の影がゆっくりと姿を現した。
金の髪がまぶしく輝き、
歩くたびに光の粒が舞うようだった。
「……勇者、リアム・グラント」
誰かがそう呟くと同時に、講堂がざわめく。
その名を聞いた瞬間、
俺の隣に立っていたレンが、ほんのわずかに肩を震わせた。
わずか一瞬、呼吸が止まったように見えた。
(今……反応したよな?)
けれど、すぐに何事もなかったように前を向く。
ルデス王子の声が続く。
「聖女イリス・メルディア、大賢者オルフェン、騎士セリカ・ロウラン、そして勇者、リアム・グラント
彼ら四名が、我々の迷宮調査に協力してくれる」
壇上に並ぶ四人の姿。
聖女は柔らかく微笑み、
大賢者は静かに杖を支え、
騎士は胸に手を当て、凛と頭を下げた。
そして勇者リアムは、まっすぐにこちらを見ていた。
(……いや、違う。
俺じゃない。――レンを見ている。)
なぜかそう感じた。
根拠もないのに、確信のように。
ルデス王子が話を続ける。
「第十四層では異常な魔力波が観測されている。
勇者パーティには、その原因の特定を依頼する」
その言葉に、会場が再びざわつく。
俺は手を上げて尋ねた。
「俺たちも同じ層に入るんですか?」
「君たちは上層の調査班だ。
彼らとは別行動になるが、必要があれば連携してもらう」
(同じ迷宮、同じ時間……。
何か起こりそうだな。)
ルデス王子は全員を見回し、
「勇者パーティが来たからといって、安心するな。
彼らが動くということは、それだけ危険も増しているということだ」
その声に、会場のざわめきが静まった。
集会が終わり、生徒たちは出口へと向かう。
彼女が俺の隣で小声を落とした。
「ねぇ……やっぱり本物の勇者ってすごいね。
見てるだけで、空気が違う。」
「……ああ。なんというか、“人間じゃない”みたいでしたね」
「セイル、そんなこと言わないの。褒め言葉でしょ?」
「……まあ、そうですね」
ふと、彼女のペンダントが光を反射した。
その輝きが勇者の剣の光と重なって見えた。
同じ“光”なのに、何かが違う。
暖かいはずなのに、どこか遠い。
(……眩しすぎて、見ていられない。)
レンは、何も言わなかった。
講堂を出るときも、誰とも目を合わせず、
まるで何かを思い出すように遠くを見ていた。
彼女が首をかしげる。
「レン、どうしたんだろ。勇者が来たの、そんなに珍しいのかな。」
「……さあ。でも、あいつのあの顔、初めて見ましたね」
「うん。なんか、懐かしそうな……悲しそうな……そんな顔だった」
その言葉が、妙に胸に残った。
俺は廊下の窓から外を見た。
夕陽が差し込み、壁に長い影を落とす。
――ただの光。
けれど、見る人によっては違う意味を持つ光。
そのときの俺には、それが何を照らしているのか、まだ分からなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
――金の髪。
あの日と、同じ色だった。
壇上に立つリアム・グラント。
“勇者”と呼ばれるその姿は、俺の記憶にある少年とは違っていた。
鋭さと優しさを併せ持った眼差し。
けれど、それがどこか遠くに感じた。
(……やっぱり、覚えてないか。)
リアムの視線が、一瞬こちらをかすめた。
けれど、それだけ。
懐かしさも、驚きも、何もなかった。
隣でリーナが小声で「すごいね」と言う。
セイルは腕を組んだまま、無表情に壇上を見ていた。
俺だけが、時間を失ったみたいに動けなかった。
講堂を出て、冷たい廊下の風に触れたとき、
ようやく息ができた。
心臓が痛いほど鳴っていた。
(リアムが勇者。
そして俺は、“ただの生徒”。)
誰も気づかないように、右手で短剣の柄を握りしめた。
柄の感触が、ほんの少しだけ現実に戻してくれる。
(約束、まだ果たせてないのにな。)
◆◇◆◇◆◇◆
王都の学園に足を踏み入れるのは、初めてだった。
壇上に立つと、百を超える視線が一斉に注がれる。
それだけで、背筋が伸びる。
だが、一番奥の列――そこに見慣れた色があった。
茶色の髪、淡い瞳。
ほんの一瞬、“誰か”と重なった。
(……似てる、な。
でも、まさか……あいつがここにいるわけが――)
そう思って視線をそらした。
心臓が一拍、遅れて脈打つ。
(レン・ヴァルド。
……いや、そんなはずない。)
壇上では、ルデス王子が淡々と話を続けていた。
自分の役割は“勇者”。
余計な感情を見せるわけにはいかない。
けれど、その名を心の奥でそっと呼ぶ。
(もし、あの時のままなら――
お前、今どこで何してる?)
ほんの一瞬の思考。
それを振り払うように、リアムは剣の柄に軽く手を添えた。
“勇者”としての顔を取り戻すために。




