62.セイルと彼女と…レンついでにルデス王子
迷宮の探索を終えて学園へ戻ると、
午後の光が中庭を包んでいた。
冷たい空気の中に、草木の匂いが混じっている。
久しぶりに、ちゃんと「地上に帰ってきた」と実感した。
報告はいつも通り淡々と進んだ。
ルデス王子が記録用紙をめくりながら短く言う。
「第三層までの経路、安定確認。全員、よくやった。」
リーナさんは机の上に頬杖をつきながら「ふぅ」と息を漏らした。
「初日としては上出来だね。」
ルデス王子が頷く。
「明日以降も訓練を続ける。焦らず慣れていこう。」
その会話の横で、レンくんは相変わらず無口だった。
でも、短剣を拭く仕草がどこか穏やかで、
この班全体に落ち着いた空気が流れていた。
それからの日々は静かに過ぎていった。
授業と訓練。
迷宮を想定した実践演習。
放課後の軽い作戦会議。
そのどれもが、少しずつ“チーム”という形を作っていく。
リーナさんは魔法の精度を上げるため、毎日ペンダントに向かって詠唱の練習をしていた。
ペンダントが青白く光るたびに、空気が柔らかくなる。
それを横で見ているだけで、不思議と心が落ち着いた。
……あの光が、目に残る。
“綺麗だ”という感想を言葉にしたあの日から、
それがなぜ印象に残るのか、うまく言葉にできなくなっていた。
そして一ヶ月後。
学園では、迷宮の第10層までの開放が発表された。
放課後の校舎には、いつもより浮き立った空気が漂っている。
教室を出ようとしたとき、
廊下の向こうから彼女が手を振りながら駆けてきた。
「セイル! 明日、10層解放だよ! 一緒に下調べしよ!」
「下調べですか?」
「図書館。古い資料に、過去の構造とか載ってるって聞いたんだ。」
息を切らせながら笑う彼女。
その勢いに、反射的に「わかった」と言っていた。
そのときは、単純に学術的な興味からの返事だと思っていた。
……少なくとも、言葉にするまでは。
「もちろん、レンも行くよね。」彼女は廊下に向かって声を掛けた。
廊下の隅から声がした。
「うん、いく。」
レンだった。
振り向くと、彼はごく自然な顔で立っていた。
まるで当然のように、そこにいる。
「別にいいでしょ?」と彼女が言う。
「まぁ……はい。」
言葉ではそう答えたけれど、
心の中では少しだけ、釈然としなかった。
(……なんで来るんだよ。)
別に嫌いではない。
むしろ信頼している。
けれど今日だけは、ほんの少しだけ、
“二人で”という空気を壊されたような気がした。
放課後、三人で図書室に入る。
高い天井、埃の匂い、静かな光。
外の喧騒が遠くに感じられる場所。
放課後。
図書館の窓からは夕陽が差し込み、木の机の上に暖かな光が伸びていた。
彼女が大判の地図を広げ、ページの隅を押さえる。
「この部分が第五層からの下り口で、ここが第十層のボス部屋。
一時間ごとに再生成される仕組みになってるみたい。」
「つまり、連続討伐も可能ということか。」
レンが淡々と補足する。
彼女が感心したように頷いた。
「そうそう。討伐タイムを競う訓練もあるみたいだよ。」
「……なるほど。」
俺は地図を覗き込みながら、
彼女の指先が滑るたびにペンダントがかすかに光るのを見ていた。
「リーナさん、10層のボスって何が出るんですか?」
「記録では“石の騎士”。
防御が高くて、魔法反射を使う個体。」
「反射型か。面倒だな。」レンがぼそりと呟く。
「でも、挑戦しがいあるでしょ?」
「……リーナは前向きすぎる。」
「いいことじゃない?」
彼女の笑い声が図書室に響いた。
夕陽がその横顔を照らす。
ペンダントの光が淡くきらめいて、まるで笑顔と混ざり合うようだった。
報告資料をまとめながら、俺はぼんやりと思う。
――訓練用のダンジョン。
敵も再出現する仕組みも、すべて“管理された安全”の中にある。
それでも、なぜか胸の奥にざわめきがあった。
第10層は、ただの模擬戦のはずだ。
明日から頑張ろう。




