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33.秘密の部屋と依頼

 女は店主へ軽く会釈すると、何も言わずにカウンター奥へ進んだ。

 店主は顔を上げもせず、黙々と古びた剣を磨き続けている。

 その静けさの中、女はレンに小さく手招きした。


 「――こっちへ。」


 奥の木製の扉を開けると、小さな部屋があった。

 そこは倉庫のようで、壁には古い武具が並び、床には厚い絨毯が敷かれている。

 長年の埃と金属の匂いが、静かに空気に溶けていた。


 女は部屋の中央でしゃがみ込み、絨毯の端を指先でつまんだ。

 「声を出さないで。」


 布をめくると、床の下から鉄の取っ手が現れる。

 女はそれを持ち上げ、重い音を立てて隠し蓋を開けた。

 ――ギギィ、と鈍い音。

 そこから、冷たく湿った空気がゆっくりと立ちのぼる。


 レンは思わず息を呑む。

 「……ここ、は?」

 「あとで話すわ。ついてきて。」


 女は淡々とそう言うと、手元のランタンを取り出し、蓋の縁に吊るされた梯子を確認した。

 そして、迷いのない足取りでその中へ降りていく。


 「さあ、降りなさい。」


 促され、レンも梯子を降りる。

 数段下りるごとに、店の物音は遠ざかり、代わりに石壁に反響する小さな水滴の音が耳に届いた。

 最後の段を踏みしめると、そこには狭い通路と薄暗い明かりがあった。


 女は手にしたランタンで足元を照らす。

 壁は古びた石造りで、ところどころに湿気を帯び、長い年月を感じさせた。

 慣れた足取りで進む彼女の背中を見ながら、レンは無意識に身を強張らせる。


 「……こっち。」


 通路の奥には、わずかに広い空間があり、机と木箱がいくつか置かれていた。

 中央のランプが揺れ、淡い光が部屋全体を照らしている。


 女は机の上に手を置き、ようやく振り返った。

 その表情には警戒も油断もなく、ただ静かな確信だけがあった。


 「ここなら、誰にも聞かれない。――話をしよう。」


 レンは喉を鳴らし、無言で頷いた。

 地下の空気が少し重くなる。

 次に告げられる言葉が、ただの“仕事”ではないことを、直感で悟った。



 「この中には食料が入ってる。“陽だまりの家”っていう孤児院に届けてほしい。

 届け先では、あんたの名前で寄付したことにしておいて。――そのほうが向こうも素直に受け取るから。」


 「……俺の、名前で?」

 「あぁ。気にするな。どうせ私は顔を出せないから。」


 女は淡々と告げながら、袋を差し出した。

 レンが受け取ると、彼女はもう一つ、小さな銀の鍵を指で弾くようにして投げ渡す。

 「あとこれ。……荷物を渡したら、少し院の中を見てきてほしい。

 別に怪しいことをしろって言ってるわけじゃない。気になった場所があれば――この鍵を試して。」


 「……どういう意味です?」

 「さあね。確かめてみれば分かるさ。」


 そう言うと、女はわずかに微笑んだ。

 その笑みはどこか、試すようでもあり、哀しげでもあった。


 「……ひとつ注意。あそこは院長が警戒心の強い人間だ。武器は持っていくな。」

 「でも、もし何かあったら――」

 「それならこれを使いな。」


 女が掌をかざすと、空気がふっと揺らぎ、何もなかった空間から短剣が現れた。

 銀の刃が淡く光を反射し、装飾のない鞘がしっくりと手になじむ。


 「……収納魔法?」

「そう。腰に下げときな。」


 レンはしばらく黙って短剣を見つめ、それから静かに頷いた。

 「分かりました。……必ず届けます。」


 「いい返事。出発は――今すぐだ。」


 「今、ですか?」

 「陽だまりの家は坂の上、歩いて十五分。お昼前には着くはずだ。

 昼食の時間前なら、院長も機嫌がいいだろうし、子どもたちも外にいる。」


 女の口調は穏やかだが、有無を言わせぬ圧があった。

 レンは頷き、袋を背負う。


 「……分かりました。」

 「行ってこい、レン。終わったら、またここへ戻りな。開く場所が見つかっても絶対中に入らないで戻ってくるんだよ」


 階段を上がる足音が遠ざかる。

 女は静かに溜息を吐いた。


 「……さて。あの子が“鍵”に辿り着けるか、見ものだね。」


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