32.武器屋にて、分岐点
ねこのしっぽ亭の夜から一晩が過ぎた。
いつもより遅い朝の光が、レンの頬を照らす。
前日の冒険の疲れが、体の奥にまだ残っていた。
「……今日は休み、か。」
カイの言葉が頭をよぎる。
依頼も訓練もなし。完全なオフ。
外からはミナとゴルドの声がわずかに聞こえる。
どうやら二人はもう街へ出たらしい。
カイは朝からギルドに顔を出すといっていた。
(……一人でじっとしてるのも、性に合わないな。)
レンは軽く伸びをし、腰のショートソードを手に取る。
磨き上げられた刃が光を反射し、微かに自分の顔を映した。
「……そろそろ、新しい武器でも見てみるか。」
彼は支度を整え、静かな通りへ出た。
街は休日らしく活気づいている。
商人の声、焼き立てパンの匂い、笑い合う人々のざわめき――。
そんな中で、ふと目に留まる。
以前、リーナと市場に行く途中で見かけた石造りの武器屋。
重厚な外観と、他の店とは違う静けさが印象に残っていた。
(あの時は素通りしたけど……今日は時間もあるしな。)
そうつぶやいて、レンはゆっくりと扉を押した。
⸻
石の店で出会った女
軋む扉を押し開けると、金属と油の匂いが混ざった空気が流れ出る。
カウンターの奥では年老いた店主が布で剣を磨きながら顔を上げた。
「おや、若いのに珍しいな。剣でも探してるのかい?」
「はい、少し見させてください。」
レンは軽く頭を下げ、並ぶ武器の列に目を走らせる。
その奥で、ひとりの女が背を向けて立っていた。
黒い外套に包まれた細身の体。
淡い栗色の髪が光を受けて揺れ、指先で短剣の刃をなぞっている。
やがて女は視線だけをこちらに向け、静かに言った。
「……アンタ、珍しいスキルを持ってるね。」
唐突な言葉に、レンは眉をひそめる。
「……どうして分かるんですか?」
「なんでって、そりゃ鑑定持ちだからね。」
女は淡々と答え、レンの腰に下げられた剣をちらりと見た。
その目は、何かを読み取るように鋭い。
「……まさかとは思うけど、まだ“鑑定”してもらったことないんじゃないの?」
「……え?」
レンは息を呑む。図星だった。
女は軽く肩をすくめて、手に持っていた短剣を掲げる。
「まぁ、だいたい察したよ。――ちょうどいい。ひとつ仕事を手伝ってもらおうか。」
「仕事……?」
「簡単とは言えないけどね。終わったら、金貨五枚分の“フルスキャン”をタダでやってやる。」
レンは警戒を隠さず言葉を返す。
「……怪しすぎますね。」
女は口の端をゆるく上げる。
「信じるかは自由。」
そして一歩、近づき――レンの手を見つめた。
「ついでにもう一つ、当ててみようか。」
その声は妙に静かで、耳に残る。
「……相当、剣の練習をしてるね。
でも――上手くスキルが発動しない。そんなところだろ?」
レンの呼吸が止まった。
「……な、なんでそれを……」
女は小さく鼻で笑う。
「ふっ……そんな顔するな。あんたの手が全部、教えてくれるんだよ。」
年老いた店主がその様子をちらりと見ていたが、何も言わなかった。
女は短剣を片手に、軽く振り返る。
「これ、もらっていくよ。」
「へい、毎度。」
店主が小さく答える間に、彼女は短剣を腰に差し、軽く指を鳴らす。
――次の瞬間、短剣が淡い光に包まれ、姿を消した。
(……今の、収納?)
レンの心に、微かな警戒と同時に、強烈な違和感が走る。
女は振り返りもせず、軽やかに言った。
「決まりだね。ついておいで。」
その背中に導かれるように、レンは無意識に一歩を踏み出していた。




