表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

106/107

106.ダンジョン箱1F~

 翌日、午前。


 寮の部屋のテーブルの上に、あの木箱が置かれていた。


 俺とルデスは、向かい合って座っている。


 「……逃げるなら今のうちだぞ、レン」


 軽く笑いながら言うくせに、ルデスの目は真剣だ。


 「まさか、逃げるわけないよ」


 そう返したところで、コンコンとドアが叩かれた。


 「リーナだ。入れ」


 ルデスが声をかけると、ドアが開く。


 「お待たせ。――って、もう二人とも覚悟決めてる顔してるじゃない」


 リーナが部屋に入ってきて、すぐに箱に視線を落とす。


 「何度見ても、その箱、落ち着かないオーラ出てるわね」


 「同感」


 俺は苦笑しつつ、椅子を勧めた。


 リーナが腰を下ろし、三人で箱を囲む形になる。


 


 「手順を確認する」


 ルデスが、落ち着いた声で言った。


 「三人で手を繋いで箱を開ける。

  何が起きても、最初の瞬間は絶対に手を離さない」


 「了解」


 「わかった」


 「中に入ったら、まず体の状態と魔力の流れを確認。

  一階層だけ様子を見て、出入口を探す。

  ……見つからなかった場合は、その時点で一度集まって方針を決める」


 「うん」


 リーナが、こくりと頷く。


 「じゃあ、行こっか」



 俺が真ん中に立ち、右にルデス、左にリーナ。


 右手にルデスの手のひら。



 「レン。起動頼む」


 「……行くよ」


 空いている片手で、そっと蓋へ指を置く。


 ひやりと冷たい木の感触。


 息を一つ整え――ゆっくり押し上げた。


 


 視界が、白く弾ける。


 足元の感覚がふっと消え、何か柔らかいものに包まれるような――


 

◆◇◆◇◆


 「……っ」


 次の瞬間、靴裏に固い感触が戻った。


 灰色の床石。

 規則的に並んだ魔導灯。

 湿り気のある空気。


 さっきまでの寮の部屋は、跡形もない。


 「転移、成功だな」


 右手には、まだルデスの手の感触。



 「とりあえず、手は離してよさそうね」


 リーナが周囲をぐるりと見回しながら言う。


 「変な魔力の流れは……今のところ感じない」


 ルデスも周囲を確認し、ようやく指をほどいた。


 俺も、二人の手を離す。


 


 「で、レン。肩は?」


 真っ先にリーナが聞いてくる。


 「ん――」


 その場で、腕をゆっくり回してみた。


 ぐるり、ぐるり。


 途中で引っかかる感覚が、どこにもない。


 痛みも、重さも、妙な違和感も――何一つ。


 「……何これ、軽」


 思わず、本音が口から出た。


 「外だと、そこまで回せないのよね?」


 「うん。

  途中で変な感じの重さがあった」


 もう一度、早めの速度で肩を回す。


 本当に、健康体そのものだった。


 「説明通り、ここの中では“怪我なし”の状態ってわけか」


 ルデスも、自分の吊っていた方の腕を大きく動かしてみる。


 「……ふむ。俺の腕も、今は問題ないな。

  これはこれで反則じみているが」


 リーナは、二人の周囲をじっと見てから頷いた。


 「魔力の流れも、変な乱れはない。

  今のところは、受けた説明と一致してる感じね」


 俺たちが立っているのは、どうやら「一階層」の通路らしい。


 壁は単調な石造り。

 両側に、ところどころ小部屋につながる扉。

 足音がよく響く、静かな空間だ。


 「じゃあ、一階層の探索開始しよう」


 「そうだな。

  まずはこの階の構造と、敵の強さを確認する」


 ルデスが剣の柄に手をかける。


 俺も、腰にある二本の短剣を軽く抜いた。


 リーナは、ペンダントにそっと指を当て、魔力の流れを整える。


 


 それからしばらく、

 俺たちはダンジョン一階層を歩き回った。


 結果から言うと――


 「……拍子抜けするくらい、楽勝だね」


 リーナが、肩の力を抜いて言う。


 最初に出てきたのは、小さなスライムの群れ。

 次に出会ったのは、訓練用迷宮にも出るような弱い狼。

 その後も、ごく普通のゴブリンや、小型のトカゲのような魔物ばかり。


 数はそこそこいるが、どれも一撃か二撃で沈んだ。


 「少なくとも、一階層の敵の強さは『初級』だな」


 ルデスが、倒れた魔物の体を一瞥してまとめる。


 「足並みを揃えていれば、危険な相手ではない」


 俺自身の体の切れも、外とは段違いだった。


 走っても、跳んでも、肩に一切ブレーキがかからない。

 短剣も、久しぶりに“何の遠慮もなく”振り切れる。


 (……これだけ動けると、逆に怖いな)


 嬉しい反面、どこかでそんなことも思う。


 「レン、変な無茶だけはしないでよ?」


 隣を歩きながら、リーナがじとっと睨んできた。


 「顔が『ちょっと楽しそう』になってる」


 「なってない……と思う」


 触れられて、初めて気付くくらいには、確かに体が軽かった。


 


 一階層をくまなく回ったが――


 「……戻るための“扉”とか、“魔法陣”とかは、見当たらなかったね」


 リーナが、最後の通路を覗き込みながら言う。


 「階段は?」


 ルデスの問いに、俺は頷いた。


 「一ヶ所だけ、あった。

  上へ上がる階段」


 そこに、簡素な石の立て札があった。


 《2F》


 ただそれだけ。


 「じゃあ、“上に進む”方向の出口しか用意されていない、か」


 ルデスは顎に手を当てる。


 「この手の構造のダンジョンなら、十階層ごとに一つ区切りがあるのが普通だ。

  おそらく、“十階層のボスを倒す”のが、最初の戻り道だろうな」


 「……一階層で帰れる仕様だったら、最高だったんだけど」


 「そんな甘い話なら、あの店主ももう少し嬉しそうにしていただろう」


 ルデスの言葉に、苦笑するしかない。


 「行くか」


 俺たちは階段を上がった。


◆◇◆◇◆


 二階層、三階層――


 構造は一階とそう変わらない。


 出てくる魔物の種類が少しずつ増え、

 数も、動きも、わずかにだけど“濃く”なっていく。


 「それなりに、ちゃんと“鍛える”ための作りになってるな」


 ルデスが、剣を払って一体の狼を倒しながら呟く。


 「無意味に理不尽な感じじゃなくて良かった」


 「レンが本気出すまでもない程度には、ね」


 リーナが笑う。


 確かに、今のところ苦戦というほどの場面は一つもなかった。


 肩は軽い。

 足も、視界も、集中も、全部よく回る。


 王の刃を振るっても、

 あの重さに振り回される感じはなく、ただ素直に“斬れる”。


 俺が前に出て、ルデスが横を固め、リーナが後ろから魔法と補助。


 その形を崩さずに、

 ただ淡々と、目の前の敵を片付け続けるだけだ。


 


 五階層に入る頃には、魔物の顔ぶれがまた変わっていた。


 硬い甲殻を持つ昆虫型。

 火を吐く小さなトカゲ。

 集団でかかってくるゴブリンの亜種。


 「ふうん。ここからはさっきより少しだけ強そうね」


 リーナが、軽く汗を拭いながら言う。


 「でも、まだ押し切れるわね」


 「ああ」


 俺も息は上がっていない。


 肩も問題ない。

 むしろ、ここまで何戦か重ねたことで、動きがどんどん馴染んでいく。


 「外でこれだけ連戦したら、肩の方が先に悲鳴上げてただろうな」


 小さく呟くと、ルデスが頷いた。


 「だからこそ、この箱は“訓練場”として価値がある。

  経験だけが残る、なんて素晴らしいアイテムなんだろう」


 「聞けば聞くほど、怖い道具でもあるけどね」


 リーナの一言に、反論はできない。


 


 それでも――足取りは止まらない。


 六階層。

 七階層。

 八階層。


 敵の数は増え、質もじわじわ上がっていくけれど、

 戦いの流れ自体は、終始こちらが握ったままだった。


 「ここまでで、まともに傷を負ったのは……」


 ルデスが、さっと視線を走らせる。


 「リーナの袖が一回裂かれたのと、

  レンの頬がちょっとかすったくらいか」


 「ちゃんと避けたもん。

  服だけならセーフ」


 リーナが胸を張る。


 「そっちはどう?」


 「ちょっとかすっただけだよ。

  痛いけど、気になるほどじゃない」


 頬に触れると、薄く血の線が残っていた。


 (……この程度の傷でも、外に戻れば“消える”のか)


 ふと、そんなことを考える。


 


 九階層に入ると、少しだけ空気が変わった。


 通路がわずかに広くなり、

 魔物の配置も、人間の“動きを試す”ような形になっている。


 前衛を引き離そうとする動き。

 後衛狙いの回り込み。

 小さな罠を絡めた、連携じみた動き。


 「……やっぱりあんまり強くないな」


 ルデスが、最後の一体を斬り伏せながら言う。


 「普通のダンジョンなら、

  おそらく十階層にボスがいる。

  そこで最初の区切り、そして“戻り道”だろう」


 「だったら、そのボスを倒せば、外に帰れる可能性が高いってことだよね」


 リーナが、ほっとしたように息を吐く。


 「一回くらいは、戻り方も確認しておきたいし」


 「その前に、まずは十階層を見ないとな」


 俺たちは、九階層の最奥――


 天井が少し高くなった広間の、奥の壁の前に立った。


 そこには、他の階層の階段とは違うものがあった。


 大きな両開きの扉。

 表面には、簡素だが分かりやすい紋章が刻まれている。


 《10F 門》


 「……分かりやすいな」


 ルデスが、苦笑混じりに呟いた。


 「この先が十階層。

  そして、おそらく最初のボス部屋だ」


 俺は、肩を一度、ぐるりと回してみる。


 違和感はない。

 力もちゃんと入る。


 中に入ってからずっと続いている感覚――違和感のない肩。


 (やれるだけやってみよう)


 そう決めて、扉の前に立ち位置を整える。


 「準備は?」


 ルデスの問いに、


 「いつでも」

 「合わせるよ」


 俺とリーナの声が重なった。


 石の扉に、ゆっくりと手がかかる。


 十階層――最初のボス戦が、その向こうで待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ