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第112話 女体化の兆候(きざし)



 その日の朝はいつも通りに始まった────はずだった。




「おっにっい~! あっさでっすよぉ~!」


 妹である春乃ハルノの声がする。

 今日も今日とて俺を叩き起こすために部屋へ侵入してきたのだろう。


 そしてその声がした時、彼女は既に空中へ跳躍していた。

 聞こえる方向、位置からして間違いあるまい。


 昨晩は遅くまで……いや、明け方近くまで攫われたキンさんを救うべく、邪神ヘルをも絡む大冒険をしてきたのだ。

 故に俺は眠気MAXなので瞼を閉じたままだが、きっと春乃は宙に舞い、美しいフライングボディプレスかフライングエルボードロップの体勢を取っているはずだ。


 フッ。

 毎度毎度やられてばかりの兄だと思うなよ。

 春乃よ、お前もそろそろ厳しい現実を思い知るがいい。

 自爆しろっ!


 俺はタオルケットを頭から被り、ゴロリと寝返りを打った。

 最小限の動きで着弾地点を回避する。


 フハハハ!

 無人のベッドへ虚しく落下せよ!


「おぅふっ!!」

「甘いよお兄! 何年お兄を襲撃してると思ってるの! そのくらい最初から予測済み!」

「……フッ……お前が小学校に上がってからの6年間に及ぶ修練、天晴れである……それでこそ我が妹……ガクッ」

「もー! 死んでる場合じゃないってば! ほんとに起きないと遅刻だよ!」


 なんでかわざわざ股間の上に馬乗りとなった春乃は、バサリとタオルケットを無慈悲に剥ぐ。

 最後の防壁は今、失われてしまったのだ。


 ぐおっ!

 閉じていても朝日で……!

 目が! 目がァァ!


「…………」


 しかし春乃は何故かそれきり押し黙る。

 追撃が来ないことを訝しく思い瞼を開くと、やたらキラキラした瞳で俺を見つめていた。

 よく見れば頬も紅潮しているようだ。

 風邪でも引いたのだろうか。


 朝晩は結構涼しくなってきたもんなぁ。

 昼間はバカみたいに暑いけど。


「あんまり薄着しないほうがいいぞ春乃」

「……………………」

「お、おい……? 大丈夫か?」


 俺に跨ったまま硬直していた春乃だったが、いきなり廊下まで走り出ると────


夏乃ナツノお姉ちゃーーーーん! 秋乃アキノお兄ちゃんがお姉ちゃんになっちゃったーーーー!!」


「バッ!? バカ! なに言ってんだ!?」


 妹のとんでもない叫びに慌てて身を起こす俺。

 わけのわからん妄言で夏姉を呼ばれては困る。

 口を塞いでやろうと春乃へ駆け寄ろうとしたが、時すでにお寿司、いや時すでに遅しであった。


 トタタタタタタ


 おっとりした普段の姉からは想像もできないような素早い足音。

 まるで忍者の如き小刻みな走りで部屋へ飛び込んでくる。

 更にそのままの勢いで俺をベッドへ押し倒し、のしかかってきた。


 い、いやっ!

 やめてぇっ!

 ……じゃなくて。


 そして時間停止再び。

 夏姉は俺の顔を凝視したまま固まってしまったのだ。



「……………あ……あぁ……尊い……」


「なにが!?」

「……かわいい妹が二人に~~! お姉ちゃん、嬉じい゛よ゛~~~!」

「マジ泣き!? 俺は弟だよ弟! 夏姉もトチ狂ってんのか!?」

「今日から秋兄じゃなくて秋姉って呼ぶねー」

「呼ぶな春乃! こら! 写真も撮るな!」


 流石の俺も二人がかりで攻められてはひとたまりもない。

 俺は抱きすくめて手籠めにしようとする姉と妹の魔手を掻い潜りながら逃げ出した。


 その足で歯磨きと洗顔をするべく洗面所へ駆け込む。


 あー、くそ。

 なんちゅう起こし方しやがるんだ。

 春乃め、段々巧妙化してきたぞ。


 まさか夏姉と口裏を合わせてまで俺を驚かすとは……

 まぁ、お陰で完全に目は覚め……


「…………なっ、なんだこりゃああああああああああ!?」


 鏡に映る己の顔!


 まるで、付け睫毛まつげかマスカラかってくらいにバッサバサ!


 更にはアイライナーでも引いたみたいにお目めパッチリ!


 そして唇がルージュも塗っていないのに有り得ないほどピンク色でプルップル!


 誰!?

 俺!?

 いや、まごうことなき俺なんだけれども!


 待て!

 これは孔明の罠だ!

 『死せる孔明、生ける仲達を走らす』、だ!


 俺は蛇口を全開にし、男であることを誇示するためにもバッシャバッシャと豪快に顔を洗う。

 石鹸だけでなく、夏姉のメイク落としも総動員して幾度となく洗った。


 この顔は、姉と妹による共謀のイタズラだと考えたからだ。

 だがしかし……


「……ちっとも落ちないじゃん……安物使ってんのか夏姉……?」


 姉のクレンジングを疑うあたり、どうやら俺は目の前の現実を受け入れられずにいるようだ。

 鏡の中の俺はびしょ濡れであるにもかかわらず、星屑を纏った花々でも背負っているかのようにキラーンキラーンと輝いて見えた。


 少女漫画かっ!


 すかさず背後を振り返るが、もちろん花も後光もない。

 ザルに入った薔薇の花びらを撒き散らす夏姉も、スポットライトを当てる春乃もいなかったのだ。


 ……マジでアホ姉妹のドッキリ大作戦じゃねぇってことかよ……

 ……じゃあ、どうしてこうなった?


 確かに幾人かから女ヅラだとか言われたことがある。

 思い出したくもないが、妙な手紙を男からもらったこともある。

 俺に根付く名前のコンプレックスも、このどっちつかずな見た目に起因している部分は大いにあると思う。


 しかも今や、ゲーム内ですら幼女にさせられて……


 …………幼女……!?

 もしやそのせいかぁぁあああ!?


 【OSO】は脳波を操作に用いたゲームである。

 脳へ直接情報(データ)を送り込み、五感どころか痛みまでもがリアルに感じられるシステムなのだ。

 そんな変態開発者揃いであるならば、チョチョイと脳を刺激して女性ホルモンを強制的に大量分泌させるくらいは余裕でやってのけるだろう。


 つまり、分身アバターである金髪碧眼幼女の肉体と、現実における野郎むさい俺のボディは直結していると考えてもいい。

 ましてや長期間女子の姿で過ごせば、脳内における男女の境界も相当あやふやなものになっているはず。

 俺にしても時々、『あれ? 俺、今どっちだ? 幼女だっけ? 男だっけ?』などと悩むことがままあるほどに馴染んできたのだ。


 そう言った様々な要因や影響が俺の身体に表れ始めたのかもしれない。



 ────長いこと幼女になりすぎたか────!!



 ガックリと、そしてグッタリと肩を落とす。

 まだ寝起きだと言うのに、数日間徹夜したかのような倦怠感が全身を襲う。

 出来れば学校など休んでしまいたいところだが────


「秋乃くーん! もう朝ご飯を食べる時間ないよー! まだ準備してるのー?」


 ────ズル休みなんてしようものなら、夏姉が黙っちゃいない。

 大音量で『秋乃くんが不良になっちゃったよ~~~!』と号泣するに決まっている。


 それに、あいつ(・・・)も俺が来るのを首を長くして待っているだろう。


 くそっ。

 運営だの開発者だのを疑ってもしょうがねぇ。

 この先どうなるかなんてわかんねぇし、取り敢えず周りはなんとか誤魔化すしかねぇな。

 顔だけならどうにかなるだろ。


 ……ごそごそもぞもぞ。


 うん!

 まだちゃんとアレ(・・)ついてる(・・・・)

 ……ちっちゃくなったりしないだろうな……?


 俺は急いで部屋に戻り、制服に着替えを済ませ、鞄とパーカーを引っ掴む。

 一番の心配ごとをどうしようかと悩みながら、『夏姉ごめん! 朝メシ抜きで行くよ! いってきます!』と告げて玄関を飛び出した。


 いつもの待ち合わせ場所へ────



 ヒナ!

 頼むから俺を見てもドン引きしないでくれよ!




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