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081:庭師・ガラスペン・海洋プラント

「おい、あの子」

「お?」

 機能美溢れると言葉にすれば聞こえはいいが、伽藍洞のような最低限の機能を備えた表の街並みから一つ外れた路地裏を連れ合いが指をさす。そちらに視線を向けると、表通りとは打って変わって旧時代的な雑然とした店構えの通りが続いている。

 そこの入り口のショウウィンドウを覗き込む少女がいた。

 デニム生地のショートパンツからはすらりとした脚を露わにし、上は炎をあしらった刺繍のジャケットを羽織ってはいるが、その下のタンクトップから覗く肩が見えるほどに着崩している。髪の毛はきつめに脱色し、一部に燃えるような赤いメッシュを交えてているものの、頭頂部に濃い地毛が現れている。頭髪の半永久染色も普及している昨今、その分かりやすいプリン頭からは髪色維持に費用を割けない程度の懐具合が見て取れた。

 つまり大分遊んでいる風な格好をしているが、金回りはよろしくない。

 連れ合いと視線を交わし、にやりと意地汚さが伺える笑みを浮かべた。

「よう、そこの姉さん」

「暇なら俺たちと遊ばない? これくらいなら出してやるよ、一人ずつな」

 指を三本立てながら近付き、声をかける。

 一周回って新鮮味すら感じさせるナンパ文句に、少女はショウウィンドウから顔を上げる。


 その瞬間、二人からは影になって見えていなかった顔の反対側――左側の頬に、黒い縦棒がいくつも並ぶ刺青が見えた。


「げ」

「ンだよ、()()()()()かよ」

 それを目にした途端、二人は立ち止まる。

 どころか、あからさまに侮蔑と嫌悪の表情を浮かべながら足元に唾を吐きかけた。

「本土に来てんじゃねえぞ、島生まれ」

「海の底で穴でも掘ってろ」

「お前らの穴を掘るやつは本土にはいな――ぐべっ!?」

「あばっ!?」

 短い悲鳴と共に、どさっと重い音を立てて二人が()()に路上に転がる。

 それを目にしたコード付きの少女は突き出した右の拳を解きながらパチパチと目を瞬かせた。

「あ、ごめん。つい」

「…………」

 倒れ込んだ男の背後にいたのは、伸ばした髪を後ろで結った女性だった。少女よりも頭一つ分背丈は高いものの、化粧をしているが最低限に色を入れているだけで、純朴そうな丸い目元と相まって地味な印象を与える。着ている服も今どき珍しいきっちりとした白いワイシャツにスーツと、性根にこびりついたような真面目さが見て取れた。

 そんな彼女が手にしたハンドバックを大きく振り抜き、その角で男の片割れの後頭部をぶち抜いたようだ。

「えっと、なんか、ごめんなさい!? なんか迷惑そうだったから……でも私、余計なこと……えっと……!?」

 そして自分のしでかしたことが時間差で思考に染み入ったのか、男をぶちのめしたハンドバックをわたわたと振りながら顔を赤らめる。今になって興奮してきたようで肩で息をし始めていた。

「……大丈夫っすよ。ありがとうございます」

「えっと……そ、それでどうしようこの人たち」

「放置でいいんじゃないですか。そのうち治安局が連れてきますよ」

「で、でも私が……ああ、そんな乱雑に!?」

「いいのいいの」

 害意を込めて拳を叩き込まれた方はともかく、背後からの不意打ちを食らった方も完全に目を回しているようで起き上がる気配もない。邪魔なので道の端の方に足蹴で押しのけると女性はさらにあわわと声を上げた。

 未だ混乱から醒められない女性の手に己の手をそっと重ね、少女は苦笑を浮かべる。

「ありがとう。本当に――あんたは頼りになる」

「え……?」

「何でもないっす。それより後ろの、お連れさん?」

 少女が体を傾け、女性のさらに後ろに目を向ける。薄い肉付きと視線の高さが少女とさほど変わらない、中性的とも言いがたい小柄な少年が立っていた。色素の薄い薄灰色の髪に青い瞳の少年は、連れが急にナンパ男をぶちのめしたことに戸惑いつつも興奮気味に拳を握りしめる。

「きゃあ!? こ、これは違うの!? 私、普段はこんな――」

「か、かっこいい!」

「って、えぇ?」

「かっこよかったです! あの、すごいって思いました。その子が困ってたのは分かってたのに、僕、咄嗟に動けなくて……」

「い、いやあ……私も何が何だか……」

「……クスクスっ」

 憧れのヒーローを目にしたようなキラキラとした瞳に困惑する女性。その光景に少女は肩を竦めながら、何かを思い出すように瞳を伏せる。そして「そう言えば」と悪戯を思いついたようにニイと口元を歪めた。

「デートっすか? 年齢がさらに引き下げられたと言っても、その子は未成年っすよ。まだ手を出しちゃダメっしょ」

「ででで、デートなんてそんな直接的な……じゃなくて、古風な言葉……!? い、いやそれより、だ、だよねまだ未成年よね……!?」

「み、未成年じゃないです! こ、こう見えてちゃんと、えっと、就労可能な、成人男性なので……!」

「就労年齢なんて今どき何にもならないわよ!?」

 青ざめる女性と、慌てふためく少年。二人の出会いがどのような縁であったかまでは興味はないが、線引きはしっかりとしてもらいたい。

「ていうか僕が未成年なら君も未成年じゃないの!? それに……その……一人で、ここにいるのは……」

「ああ、あたしは大丈夫よ」

 少女の左頬のコードに視線を向けつつ、何と言えばいいのか分からず語尾を尻込みさせた少年。それを笑いながら無造作にジャケットのポケットに手を突っ込み、カード状の電子端末を引っ張り出した。

「特例海洋プラント奉仕者(コード付き)証明。これでも本土で単独での自由行動を許されてんの。一応去年まで古武術二十種目ワールド大会の制覇ってんでちょっち有名だったと思うんだけど、もう忘れられちゃったかあ」

「え」

「あ、えぇ!?」

 女性と少年がほぼ同時に気付き、声を上げる。

 髪を染めて印象がだいぶ違うが、近年すっかり衰退してしまった格闘競技業界を圧倒的な武力により話題性、選手水準双方の面から一人で立て直した世界的な格闘家の少女の面影が、確かにそこにあった。



          * * *



 出会ったばかりのはずなのに十年来の旧友のような気軽さで談笑し、また求められたサインに応えた後に少女は二人と別れた。足元に転がっていたナンパ男が邪魔だったので話しながら歩き進め、そのままどこかで茶でも飲みたいところではあったが、残念ながら左頬のコードを見て快く迎え入れてくれる店は非常に少ない。

 名残惜しいとは思いつつ、それでも互いの連絡先などは口にすることもなく、あっさりとした別れだった。

「…………」

 少女は元居た裏路地へと戻り、再びショウウィンドウを覗き込む。

 男たちは目が覚めたのか、治安局に保護されたのか、もうそこにはいなかったので気兼ねなくその時を待つこととした。

 そこに陳列されているのはガラスペンだった。インクで紙に文字を書く文化ももはや風前の灯の近代となっては骨董品もいいところだが、その芸術性を求める者は少ないながらもいるらしく、裏路地に連なる店では未だに扱われることもあるようだ。

 時代は変わっても残るものは残るものだ、などと歳に似合わないことを考えていると、少女の耳にパタパタと急ぐような足音が聞こえてきた。

 少女は顔を上げる。

 足音の主は表通りの歩行者道路を駆けているらしく、少女の位置からは見えない。

 それでもどこか懐かしい、耳に覚えのある足運びからなされる足音に思わず表通りへと歩み出す。

 そして――


「きゃっ……!?」


 も°っ、という柔らかくも超重量を感じさせる衝撃が少女の頸部を圧迫した。

 バランスを崩し、背中から倒れかける。しかし少女は歴戦の足運びで何とか堪えきり、ぶつかってきた人物を両腕で支えた。

「――ッ」

 その重量感に思わず眩暈がする。少女とてそう小柄というわけではなく、むしろ現役選手時代から体型は維持しているため、どちらかと言うとがっしりとしている。それでもなお、二つのふくらみが顔面に押し付けられるだけで首が後ろに押し倒されそうになるレベルで相手が巨大だった。

「でッッッッッ……」

 口から零れかけた言葉をギリギリで飲み込んだ。まだそうと決まっていない、ただ偶然出会い頭にぶつかった相手に、その言葉は流石に失礼過ぎる。

「ご、ごめんなさい……!」

 慌てたように相手が少女に傾けていた重心を立て直す。その声が少女の記憶しているものより大分高い位置から聞こえてきただとか、体格の割に声質も高めだとか――そんなことはどうでもよくなるほど、息遣いがかつての記憶のままだった。

「……よっす。久しぶり」

「うん! 久しぶり……えっと、どう呼べばいいかな。ニュースで名前はよく耳にしたけど」

 見上げた先の顔つきは、やはり記憶に残るそれとはやや異なってはいたものの、しかしトレードマークのように愛用していた厚いレンズの古めかしい眼鏡はそのままだった。

「あー、実は今の名前も結構気に入ってんだけど。うん、やっぱ前の方で呼んで欲しいかな」

「そっか。……それじゃあ改めて、久しぶり。――梓ちゃん」

 かつて瀧宮梓、あるいは伊巻梓と呼ばれていた少女の浮かべた微笑みに、冥王直轄特命死神〝閻魔の目〟こと真奈は高鳴る鼓動を抑えるように胸元に手のひらを押しつけた。



          * * *



 そこから少し歩き、真奈に案内された飲食店の扉を二人でくぐった。

 人工樹木を中心に本物の低木を植え付けた中庭が印象的な喫茶店で、店主が庭師としてその手入れをしているらしい。飲食物を扱う店であるためか、枯れ葉一枚落ちていなかった。

 真奈の紹介ということもあり、梓の左頬のコードを見ても店員は顔色一つ変えずに席まで案内する。よくできた接客だこと、と梓はかつて選手として赴いた遠征先で起きた騒動を思い返しながら肩を竦めた。

「それにしてもバチバチだねえ……」

「似合う?」

「似合うけども……」

 席に腰かけ、上着を脱ぎながら真奈が苦笑を浮かべた。梓の視線は上着を脱いだことでより凶暴性を露わにした二つの膨らみに固定されたが、真奈は生前と同じくらいの薄さに脱色した髪色と派手なメッシュ、そしてそれ以上に派手な刺繍のジャケットに向けられている。

「今世じゃ前ほど魔力が多くなくてなかなか髪色が戻らなくてさあ。視界に黒髪がちらつくのに慣れなくて染めてんの。んでどうせならってことで、ほら、昔白羽ちゃんがメッシュ入れてたじゃん? 実はあれいいなあって思ってたの。その時にはあたし学園に就職か院に進学かって忙しかったから」

「……そのジャケットは?」

「海洋プラントのストリートで頂点(テッペン)張ってた時の思い出の品」

「いきなり不穏な単語が出てきたなあ……」

「まあそっちは追々いつか話すとして、思いのほか時間がかかっちゃったわ」

 メニューを開くと、かつてはどこの喫茶店でも見かけた定番の軽食と飲み物が丁寧な手書きの文字で並んでいた。値段に関しては生前の物価から考えると仰天するような価格帯だが、昨今のこの国の食糧事情を考えればこんなものだろう。

 その中からカフェオレとサンドイッチを注文し、梓は頬杖をつく。

「あたしがあたしであることを記憶しながら転生する許可を冥府から捥ぎ取った代償が、かつて生まれ育ち、最終的に骨を埋めた二つの街との縁と記憶の消滅だったわけじゃん。あたしはあたしだけど、どこで生まれたのか何も思い出せないって曖昧なところからスタートして、まあまあ何とかこうして真奈ちゃんのところに辿り着くことができたわ」

「ごめんね……本当はわたしから迎えに行きたかったんだけど」

「大丈夫よ。冥府的にも黒寄りのグレーなことを押し通したあたしのために閻魔様の直属が動くわけにもいかんでしょうに。……ていうか真奈ちゃん、あたしより後に転生したはずじゃないの? 本当にあたしより年下?」

「……チョット、裏技ヲ……」

「あ、これ深く聞いていいやつ?」

「梓ちゃん相手なら術式レベルで詳しく開示さえしなければ、隠さなきゃいけないことでもないんだけど……その、えと……」

 運ばれてきたカフェオレの入ったコーヒーカップを体格相応に大きな手のひらで包み込むように持ち上げ、真奈は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら俯いた。

「例の転生失敗の原因究明のために、あの街で冥府が管理してる死神用の義体(ホムンクルス)に受肉したんだけど……」

「ああ、あったわねそんな施設。なつかしー」

「でね、急いでたから自分で作成したんだけど……錬金術は専門じゃないから……設定が甘くて……」

「ふむふむ?」

「ちょ、ちょっと……生前より……ふ、ふとっ…………太っちゃって……」

「…………」

 ズズズ、と梓がカフェオレを啜る音がやけに響く。

 そしてカチャリとソーサーに戻し、梓は何とも言えない表情を浮かべて真奈に向き直った。

「身長何センチ?」

「ひゃ……178……」

「ダウト。もっとある」

「うぅ……180センチ……」

「まだ鯖読んでる」

「…………189です……」

「思ったより読んでたなあ……てか兄貴よりデカいんじゃない?」

「……うん。もみじさんのつむじが上から見えます……」

「でッッッッッッッッ」

「ぁう……きゅ、9歳で生前の身長に追いついた時点で『あれ?』って思ったんだけど……もう手遅れで……にょきにょき伸びるし、成長期は食べても食べてもお腹が減るし……」

「気付くの遅かったわねー」

「け、健康的な標準体重……の、上限……くらいは維持してるんだよ!? でも骨格がこうだと、お肉もかなり厚くなっちゃって……」

「あたしは好きだけどね。さっきももっちりしてたし」

「ふしゅ……」

 頭から湯気が立つのではないかというほど赤面する真奈に梓はコホンと咳を一つ挟む。さすがに可愛そうになってきた。自分自身は生前より身長が伸びて実は結構喜んでいたところだが、伸びすぎるのも困りものなのだろう。

「まあともかく。冥府の転生デバフのせいで差別階級の海洋プラントに生まれちゃってそこそこ大変だったけど、あたしとしては逆に動きやすかったけどね。ストリートファイトから格闘技、武道業界への文字通りの殴り込み。楽しかったわー」

「本当に楽しそうだったね……海洋プラント奉仕者(コード付き)の星とか……あと、生まれる時代を間違えた呂布とか、色々言われてたけど……」

「おかげで世界魔術師連盟に見つけてもらえたから全然オッケーよ。大魔術師の彼に辿り着くのにちょっと手間取ったけど、おかげでこうして真奈ちゃんに会えた。もう一度、縁を結び直すことができた」

「…………」

 静かに微笑み、拳を握る梓に真奈は困ったように眉の端を落とした。

「でも……それでゴールじゃないんだよね」

「まーね。目指すは今生でもハッピーエンド。ああ、それ関連なんだけど」

 思い出したように顔を上げると、言いたいことが伝わったのか真奈もまた何とも言えない表情を浮かべていた。

「あの子、あの街に転生したってマジ?」

「……うん。わたしも最初に会った時びっくりした。三度見くらいしちゃったもん」

「自力で?」

「どうだろう……実物はあっちの街に奉じられてるはずだけど、なんせあの魔石の所有者だから……」

「うーん、微妙なラインね」

「わたしや梓ちゃんと違って明確にそうだって記憶が残ってたり、後から取り戻したわけじゃないみたいだけど、周囲が面白半分ではやし立ててるから時間の問題かな……」

「主犯は?」

「鍋島先生を筆頭に、ドビーさんとかホムラ様とか……」

「もう誰にも止めらんねえやつじゃん」

 天井を仰ぎながら思わず腕を組んで唸り声を上げる。生前の生まれ故郷のあの街については全ての記憶を取り戻したわけではないが、相変わらずお気楽なようだ。というかどちらかと言うと世界側の枠組みのに収まるべき土地神まで煽っているのは果たして如何なものなのか。

「き、きっと彼を放っておけないって言うのもあると思うんだよ……!」

「それフォローになってる?」

 ともかく。

 梓は腕を解き、ニィ、と口の端を持ち上げながら真奈に向き直った。

「まあいいや。あの二人があの街にいるなら、あたしとしてはこれ以上のことはないわ。あっちの街に戻る足掛かりにして、冥府に突撃かましたるわ」

「また攻め入るんだ……フレア様、頭を抱えそうだなあ……」

「こんなのを採用した自己責任ってことで」

「採用せざるを得ない状況を作っておいて……」

「今世でもそうさせてやるわ。――待ってな竜胆くん、また掻っ攫ってあげるんだから!」


 生前の記憶を持ったまま生まれ変わった第一目標を改めて口にし、梓は好戦的にクスクスと笑うのだった。

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