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079:投げキッス・河川敷・クラゲ

ド下ネタ注意。閲覧は自己責任。

 その日集まった白羽と織迦、りあむの3人は運ばれてきた料理と飲み物の入ったグラスを前に、年甲斐もなく浮かれていた。

「それでは、織迦の禁酒明けを祝しまして」

「乾杯!(^^♪」

「ん。乾杯」

 カチンと高い音を立ててぶつかるグラス。しかしそれも扉の外から聞こえてくる音楽ややや外れた歌声にかき消される。広いテーブルに所狭しと並んでいるのは業務用冷凍食品をさらに濃い味付けにアレンジを加えた揚げ物やピザ、パスタなど、いかにも若者向けといった感じのメニューばかりである。織迦の焼酎のロックはともかく、白羽とりあむのグラスに注がれたカクテルは薄すぎて実質ジュースと変わらないほどだ。

 仮にも裏にも表にも広い顔を持つ瀧宮家当主とその友人たちが囲う宴席の光景ではない。

 しかし学生の頃から交友を深めてきた三人にとって、カラオケボックスという区切られた空間というのはそれぞれの肩書を放り捨てて羽目を外すには最適だった。

「長かったようであっという間でしたわねー」

 織迦の妊娠が発覚したのが約2年前。

 そこから出産、卒乳までの期間、当たり前だが織迦は禁酒生活を送っていた。

「ううん、長かった……本当に長かった」

 しかし成人以降の12年――もしかしたらそれ以前から隠れて飲んでいたかもしれないが、ともかく12年間ほぼ毎日のように飲酒していた織迦にとっては永遠にも感じる日々であったらしい。以前は「焼酎は透明だから実質水」と言ってグビグビ煽っていたが、今日はじっくりと口の中で転がすように味わっている。

「よく我慢したねー。偉いぞ織迦たん!ヾ(・ω・`)」

「……お酒が飲めなかったのは大変だったけど、でもやっぱり可愛いから。長かったけど、辛くはなかった」

 言いながら織迦はクラゲのストラップがぶら下がったスマホの待ち受け画面を見せる。

 そこにはぷっくりとした頬と指が可愛らしい赤ん坊が織迦と彼女の夫の勇志に挟まれて眠っていた。

「世界一可愛い」

「もう何度も見ましたわよ」

「ウチのチビたちも世界一可愛いぞ!(●´ω`●)」

 負けじとりあむもジャラジャラと古の女子高生張りにストラップがぶら下がったスマホをゴテゴテに彩った付爪の指で操作し、写真を映し出す。

 そこには三十路を越えてもなお年齢不詳のギャルメイクでバチバチにキメたりあむと、それとは対照的に地味で実年齢よりも老けて見える男、そして上は中学生、下は織迦の子供と変わらないくらいの子供たちが合計7人映っている。ついでにコーギーと柴犬、そして2頭とそっくりな5頭のミックスの子犬が並んでいた。

「……なんか増えてるんだけど」

「柴犬のキャサリン! 炭治郎のお嫁さん!(U・ω・U)」

「なんで和犬が横文字で洋犬が漢字なんですの……そこはカナヲでありなさいな」

 ぐびりと薄いカクテルを喉の奥に流し込みながら白羽が溜息を吐く。

「炭治郎って飼い始めてから結構経つよね」

「うーん、今6歳くらい?(-ω-)」

「去勢してなかったんですの?」

「してなかったんだよね。いつか子犬をチビたちに抱っこさせてあげたくって! 一番上の子は絶賛反抗期中だけど、でもわんこーずのお世話は率先してやってくれるの(*´ω`*)」

「反抗期でも写真一緒に撮ってくれる辺り、ツンデレタイプですわねー」

 言いながら白羽はタッチパネルから次の一杯を注文する。飲み放題とは言えカラオケボックスであるため種類は少ないが、そもそも白羽は酔わない体であるし子供舌のため、甘ければ何でもいいのである。一杯目はカシスオレンジ、二杯目はカルーアミルクを注文することにした。

「ところで妊娠中、何か大変だったことはありました?」

 注文の品が到着するまで、唐揚げに中華っぽいタレがかかった油淋鶏もどきを頬張る。チープな味付けだが、チープな酒とチープな内装にはこれが正解である。

「うーん、特には。つわりとかもあんまり気にならなかったし。旦那もよく助けてくれたし」

「ウチもー(´_ゝ`)」

「知ってる。7人も生んでおいて」

「白羽もですわ。肉体的には本当に意味不明なまでにいつもどおりでしたし、旦那(快斗)はアレですが使用人も気遣ってくれましたし。……ここまで妊娠中の苦労話で盛り上がらないママ友女子会ってどうなんですの?」

「うーん」

 3人そろって首を傾げたところで扉の向こうからノックの音がする。りあむが元気よく「どうぞー!(≧▽≦)」と声を上げると、隣室の喧騒と共にやる気のなさそうなアルバイトがお盆にカルーアミルクと琥珀色の中身のグラスを持って入ってきた。

「おまっしゃーしたー。カルーアとロックでーす」

「……いつの間に注文したんですの」

「それってウイスキー?(-_-)」

「そう」

「しつれっしゃーしたー」

 それぞれグラスを受け取ってバイトを見送り、グラスに一口つける。

「まあ当たり前だけど安物。業務用ハイボールの原酒に氷入れただけ」

「カラオケの飲み放題に何を期待しているんですの」

「ううん、逆に期待通り。ここで薫り高いハイブランドなんて出てきたらびっくりよ」

「ウチその辺よく分からないなあ(=_=)」

「酒に貴賓はなく、店の雰囲気と肴に合っているかよ」

「真正の酒飲みですわね。羽黒お兄様と話が合いそう」

 とは言え気持ちは分からないでもない。酒の味など甘いかそれ以外かしか分からない白羽であるが、カラオケでお上品なグラスに入った高級ワインなど出てきたら逆にがっかりである。そして羽黒もその類であり、血筋を辿れば白羽の祖父、つまり瀧宮家先々代当主もそんな感じだったように思う。

 幼い頃には既に隠居し、そしてこの世界に戻って来た時には逝去していたため思い出らしい思い出はあまりないが、祖父はステテコにちゃんちゃんこを羽織り、カップ酒にその辺のスーパーで買ったスルメをつまみにテレビを見ながら酒で焼けたひび割れた声で腹を抱えていた印象が強い。昨今は絶滅した昭和の酒飲み親父であった。

「そして酒と店の雰囲気に合った話題というのも、実は重要よ」

「ん?(。´・ω・)」

「実は妊娠中、禁酒以外で一つだけ困ったことがあったの」

「あら、なんですの?」

 妙に神妙な、と言っても織迦は元々表情に乏しいため大体神妙な顔をしているが、ともかく彼女は改めて神妙な顔で告白する。

「性欲がすごかったの」

「…………」

「……それは勇志の、ですの?」

 だとしたら今度から三十路過ぎても童顔で華奢な元後輩を軽蔑しなければならない。

 だが幸いにと言うべきか、織迦は静かに首を横に振った。

「違うわ。当然、私のよ」

「…………」

「なるほど」

 白羽は自分のグラスをテーブルに置き、長い足を優雅に足を組んでソファのひじ掛けに腕と体重を預けた。

「つまり最終話で妊娠する系エロ漫画のヒロインのような状態だったと」

「白羽たん(; ゜Д゜)!?」

「ええ、そういうことよ」

「織迦たん(((; ゜Д゜)))!?」

 突如とんでもない話題を切り出した2人にりあむはぎょっとする。しかし白羽は悠然とした、そして織迦は厳かな表情を崩さない。

「そういうこと、2人はなかったかしら」

「ないよなかったよ!? ていうかどうしたの急に!?」

「残念ながら白羽もそういったことはございませんでしたわ」

 そう一言断りを入れた後、白羽は組んだ足を組み替える。デニムパンツという防御力の高めの装いであるにもかかわらず、その所作は妙な色気があった。

「し、白羽たん……?」

「りあむ。よくお聞きなさい」

「な、何……?」

「私たちは空想と妄想染みた中学生男子のような下ネタで盛り上がりたいの。もちろん実体験でもいい」

「最低だよ!?」

「チープな酒と肴、カラオケボックスという喧騒で周囲を気にしなくてもいい環境。くだらなく下品な話題こそ最適解じゃありませんこと?」

「絶対もっと他にもあるよ!?」

「とは言え」

 織迦はウイスキーの入ったグラスを回し、カランと氷を鳴らす。

「りあむが意外とこういう話題に不慣れなのは知っている」

「お、織迦たん……」

「私たちの中で一番遊んでるみたいな外見してるのに投げキッス一つできない初心で高等部在学中浮いた話が一つもなく、かと思えば卒業後同学年でも最速での結婚、しかも10歳年上、からの7人出産した陽キャに擬態したむっつりスケベということも知っている」

「言い方ぁ!? ていうか織迦たんのこんな長ゼリ初めて聞いたんだけど!?」

「それに関しては白羽、何度旦那を叩っ斬ってやろうかと思いましたわよ」

 今もそうだが当時はよりギャルギャルした外見をしていたりあむであるが、その結婚相手というのが老け顔の10歳年上の男ということもあり絵面が大層えぐかった。瀧宮家傘下の術者であったこともあり、方々から止められなければ白羽は本当に物理的に首を飛ばしていたことだろう。

「だからりあむが嫌と言うのなら、直接的な表現で盛り上がるのは控えてもいい」

「ねえ一回ウチのディス挟んだ必要あるかな!?」

「その代わり、隠喩を用いて盛り上がる」

「下ネタで盛り上がるのをやめるって選択肢はないの!? あと隠喩予告って隠喩の意味ある!? あ、分かったぞ、今回ウチがとっても大変な目に遭う会だな!?」

 今になってようやく自分の立場を理解したらしいりあむが半泣きで喚き散らす。

 それでも部屋を出て行ったり、カラオケなのだから歌って誤魔化すなりすればいいのにそれはしない辺り、本当に嫌ではないのだろう。そもそも。

「まあどうしても我慢ならないと言うのであれば、普段使っているセーフワードで止めても構いませんわよ?」

「そんなの使ってないよ!?」

「ふむ。つまりセーフワードが何を指す言葉であるかというのは知っていると」

「しまったトラップだ!?」

 りあむはほんのりとそっちのケがある。そして当然ながら、白羽と織迦はその逆だ。

 なお、りあむの夫は極めてノーマルだが、「頑張って」いるらしい。瀧宮術者の酒の席を設けた際、当主兼嫁の親友という立場からアルハラをかましてべろべろに酔わせて聞き出したことがあるのだが、それは流石に黙っておいてやる。そこを責められたら流石に全面降伏するしかない。本人含め同席者全員が飲みすぎて記憶が飛んでいるらしいのが幸いである。

「では言い出しっぺの私から行く」

「もうどうにでもなーれ(;Д;)!」

 やけくそ気味にテーブルの上の料理をめいっぱい口に放り込んだりあむをしり目に、織迦は手にしたグラスをカランと鳴らしながら姿勢を正した。

「うちの庭、放置するとすぐに雑草が生えてきて大変なんだけど」

「へ? 織迦たんち、マンションだよね?」

「ああ、なるほど。確かに織迦の家の庭は目に見える生垣だけでも草木が深いですものね。裏庭ともなると処理が大変でしょう」

「……???」

「ええ、そうなの。剃……刈っても刈っても生えてくるの」

「…………。…………。……!!」

 気付いたらしいりあむが顔を背けた。

「ある時ふとお隣の庭……仮にUさん宅としましょうか。あっちの庭はろくに手入れもしてないのに雑草も少なく、綺麗な芝生が生え揃っているのに気付いたの」

「ふむ、容易に想像できますわね。それで」

(U)くん……さん……」

 微妙な顔を浮かべるりあむは放置し、織迦は続ける。

「なんだか無性に腹が立って、お隣の芝生を除草剤で一本残らず枯らしてみたの」

「何してんの!?」

「生えかけは居心地が悪いみたいで、今もお隣の庭は草一本も生えてないわ」

「いえ本当に何してるんですの織迦」

「立派とは言えないけど綺麗な形の庭木が一本生えてるだけよ」

「やかましい」

 ジャブにしては重すぎる。そして勇志が哀れである。

「うちの庭と隣の庭の視覚的差も大きくて、なんだかいけないことをしている気分にもなる」

「もっと他に罪悪感を抱くべきことがあるはずだよ!?」

 こほんと小さく咳払いを挟む。

 一旦切らなければ芋蔓式にもっとヤバい話が出てきそうだった。それについては――もう少し酒が進んでから改める。

「それでは次鋒、白羽参りますわ」

「どうぞ」

「ふえぇ……本当に続けるの……」

「とは言え、先鋒の織迦の話があまりにも完成されていましたから、それと比べると今一つ劣るかもしれませんが」

「猥談に貴賓なく、話し手の雰囲気に合っていないほど美味しいわ」

「ホントもう最低だよこの2人……」

 ほとんど空になったグラスに残った氷を口に含みながらりあむが溜息を吐く。あまり酒は飲まないたちの彼女だが、飲まないとやっていられないのか注文用のタッチパネルに手を伸ばした。この調子でどんどん酒が回って口が軽くなればなお良いと、白羽は内心深く頷く。

 さて。

「白羽は当主と言えど、前衛を任される術者として体を鍛えていますから、体力にはちょっと自信がございますの」

「ちょっとかなあ……?」

 りあむが口の中で氷を転がしながら微妙な顔をする。

 早朝トレーニングと称し、未だに10キロダッシュを毎朝5本走っていると聞いた時は2人とも普通にドン引きした。当然、時間歪曲の異能はなしである。

「なので足りないんですの」

「な、何が……?」

「1回や2回では」

「何が!?」

「確かにうちの旦那ほどじゃないけど、白羽の旦那さんも貧弱の部類。ただでさえ男は回数に制限があるし」

「そもそもあっちは普通の人間の三十路男ですもの。回数には端から期待できないというか。……なのでいっそ白羽が掘る側に回れないものかと」

「何言ってんの!?」

「ふむ、つまりふ■■り化ね」

「ド直球に言いやがったよこの子!? 隠喩どこ行ったの!?」

「肉体が人造人間(ホムンクルス)で、本人が知らない間に知らない機能が追加で改造(アップデート)されてるんですから、一つくらい希望に沿ったそういうモノも付け加えてもらっても罰は当たりませんわよね?」

「アップデートする錬金術師が被害者っていう最大の問題を忘れてない!?」

 普段はフリーダムな言動で振り回す側のりあむが徹頭徹尾ツッコミに回るという珍しい光景に、2人はさらにギアを上げていった。

「ですが仮に願望が叶ったとして、一つ懸念がありますの」

「ほほう。具体的には?」

「ソレが白羽に備わった場合、愛玩動(ペッ)……じゃなかった。友人の魔王に手を出してしまいそうで」

「なるほど、それは由々しき問題ね。不倫はよくないわ」

「今最古クラスの概念魔王を愛玩動物(ペット)って言いかけなかった!? あの魔王さんの扱い、いつの間にかそんなことになってるの!?」

「開き直ってみるとあんな都合のいい魔王()、なかなか手放せませんわよ」

「白羽たんの口からそんなクズ発言聞きたくなかったよ!?」

 まあ流石に冗談である。冗談である。大切なことのため繰り返す。

 その時、コンコンと扉を叩く音がした。

「あ、はーい」

「おまっしゃーしたー。マンゴーヨーグルトハイでーす」

「「…………」」

「しつれっしゃしたー」

 飲むヨーグルトにマンゴー酎ハイを浮かべた二層のカクテルを受け取るりあむ。それを白羽と織迦は無言でまじまじと見つめた。

「……え、何?」

「りあむ、この話の流れでそれを注文するのは狙ってますわよね?」

「これは私たちは侮っていたかもしれない」

「ぶふっ!? ちが、これ好きでノンアルでもいつも頼んでるじゃん!?」

「「好きでいつも飲んでいる」」

「普通の会話のはずなのにこんな悪意に満ちてることある!? ていうかこれもはやウチに対するセクハラなのでは!? 同性の友達でもセクハラは成立するんだよ!?」

「バレましたわ」

「ここがラインね」

 スンと表情を澄ませながら料理をつまみ、酒で口を潤す白羽と織迦。

 それを顔を真っ赤にさせながらふくれっ面でりあむは睨みつけた。

「では一旦この辺りで切り替えて、りあむには普通の話題を振りましょうか」

「既に嫌な予感しかしない……」

「そうね。それでは『理想のデート』なんてどうかしら」

「あれ、思ったより普通の話題だ!?」

 とは言え織迦曰く「陽キャに擬態したむっつり」であるりあむにとって、口が滑らかになるトークテーマというわけではない。しかし先程までの話題に比べたら圧倒的に普通で喋りやすい内容だった。

「えっと……そ、そうだなあ……(*ノωノ)」

 気を取り直していつもの口調を取り戻しつつ、付け爪で彩った指を口元に沿えて考える。自覚はないが酒が回り始めているらしく、振られた話に思ったよりも前向きに思考が進んでいた。

「あー、この前、二番目の子が居間で学園恋愛モノのアニメ見てたんだけどにぇ(*'ω'*)」

 そのワンシーンで、河川敷を背景に女の子が自転車の荷台に腰かけ、男の子がハンドルを押して歩いていた。りあむが学生の頃には既に二人乗りは厳しく禁止されて久しかったが、夫が学生の頃はまだギリギリ見かけることがあったという。

「ウチが旦那ちゃんと同じ歳だったら、そういうデートとかもできたのかにゃあって、思ったり思わなかったり? 放課後に河川敷で2人で……(*''ω''*)」

「河川敷」

「ふむ」

「…………」

 何故か単語を復唱した白羽と頷いた織迦に嫌な予感がした。

「そんな開けた場所で、というのはなかなかレベルが高いですわね」

「聞くところによると周囲の視線を気にしながらというのが醍醐味らしい」

「りあむ、虫刺されには気を付けるんですのよ」

「特におっきい虫には注意して」

「ねえ何の話してる!?」

「「河川敷デートの話」」

「絶対他にも含んでる!!」


 そんな感じでたっぷり3時間、禁酒明けの女子会という名目の猥談で友人を弄り倒す会は続いたのだった。

 そして――


「お”え”っ」


 結局カラオケボックスでありながらほとんど歌わなかったにも関わらず、りあむの喉は枯れた。

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