078:超遠距離砲撃・噴水・蟻地獄
イタリア、ローマ――トレヴィの泉
「すみませーん、写真お願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろん!」
観光客と思しき若いカップルが地元のボランティアガイドへデジカメを片手に写真撮影のため声をかけた。ガイドも慣れた様子で快く頷き、操作確認をしながら差し出されたカメラを受け取る。
「いきますよー。3、2、1、チーズ!」
パキッ
パシャ!
「ん?」
シャッターが切られる直前、何か硬質なものがひび割れるような音が耳に届く。そしてデジカメの画面には、カップルの背後に映る神々が象られた石像に謎の黒い一本線が奔っていた。
なんだこの線は、とガイドは一度画面から顔を上げるも、カップルの後ろには変わらず水が流れ続ける噴水があるだけだった。謎の線などどこにもない。
「あれ?」
「どうしました?」
首を傾げると、カップルがポーズを中断し声をかける。それにガイドは肩を竦めながら「大丈夫ですよ」と返した。
「ちょっと失敗しちゃったみたいで、あと何枚か撮りますね。ポーズお願いします」
「はーい!」
「3、2、1、チーズ!」
パシャ!
* * *
フランス、イギリス国境――ドーバー海峡
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
全身黒ずくめにサングラス、左頬に十字傷、右目に火傷痕の男が必死の形相で駆けていた。
海上を。
否、よく見ると彼の足元は一歩を踏み出すごとに砂嵐のように荒い画質の太刀が出現しており、それを足場にしているようだ。そして速度もえげつない。これが地上であれば最新式の鉄道くらいならば追い越していたかもしれない。
そんな人外丸出しの速度で、男――瀧宮羽黒はひたすらに逃げ回っていた。
「……ッ!!」
冷やりと背筋が凍る。
ともすれば委縮し立ち止まってしまいたくなるような気配を背後に感じながら、羽黒は大きく足場の太刀を踏みしめ、高く跳んだ。
ちゅどおおおおおおおおおおん!!
間一髪。
コンマ数秒前まで羽黒が立っていた位置に特大の水柱が立ち昇った。
しかしそれで終わりではない。羽黒は空中に足場を出現させ、壁に弾かれるピンポン玉のように縦横無尽に飛び回った。
ちゅどおおおおおおおおおおん!!
ちゅどおおおおおおおおおおん!!
ちゅどおおおおおおおおおおん!!
ちゅどおおおおおおおおおおん!!
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
雨霰と大量の攻撃魔術が降り注ぐ。
そこに籠められているのは火水地風の基本四属性だけでなく光や闇、さらにそれらの混合属性や無属性、さらには斬撃や貫通、打撃といった殺傷能力の高い概念まで付与されている。
掠っただけで存在根源から消し飛びそうなそれらを羽黒はギリギリで躱し続ける。
「クソが!! 周辺被害も考えろ!!」
『観光地に紛れ込んだら逃げられると思ったか?』
「……ッ!?」
一人吐き出した悪態に返事が挟まれる。
振り向くと、遥か後方にゴマ粒のような黒い点が浮遊し、こちらに狙いを定めていた。
『着弾と同時に地形修復と周辺人物の治癒、記憶改竄が発動している。何ら問題ない』
「無駄に器用だな!?」
『貴様が大人しく殺されればいいだけだ』
再び超遠距離砲撃が降り注ぐ。
大量の水柱が昇る中、それらを死角に跳ね回る。とは言えいつまでもこんな不安定な足場で切り抜けられるほど相手は甘くない。そろそろ地上に降り立って何とか撒きたいところだ。
そう考えた矢先、遠くに見える陸地――イギリスの白い崖の上に立つ人物から遠隔伝達の魔術が届いた。
【こちら、世界魔術師連盟本部だ】
「お、この声は……!!」
『……ちっ。厄介なのが出てきたな』
聞こえてきた若い男性の声音に羽黒はぱっと顔を上げ、襲撃者は舌打ちをする。
「助かったぜ! 秋幡の小僧、匿ってく――」
【連盟としては、あんたのイギリス上陸を断固として拒絶する】
「っておォォォォォォいっ!?」
『ほう』
【いや、普通に考えてあんたの自業自得だろう。折檻くらい甘んじて受けろ】
「折檻で済まねえから逃げてんだろうが!?」
【無理やり上陸しようというなら、こちらにも相応の対応をする用意がある】
パチン、と海岸に稲妻のような光が奔る。
するとどこからともなく国境をぐるりと取り囲むように大量の幻獣が出現した。
その数は十や二十では済まない。吹けば飛ぶような木っ端から、神話級の怪物まで、数百数千の幻獣が固有結界を張っていた。しかもそれらは本来互いに打ち消しあうはずが、むしろ綿密に織られた反物のように作用しあって堅牢な城壁のようになっている。
『協力感謝する』
【あー、ちゃんと片付けろよ? すでにユーラシア大陸の地脈滅茶苦茶なんだが】
『……終わったら整える』
「チクショウが!!」
はるばる大陸を横断して逃げ込もうとしたらこの仕打ち。羽黒は悪態を吐きながら海へと飛び込む。
瞬間、長い尾と漆黒の鱗を持つ龍へと姿を変えた。
単純に的がでかくなるためここまで人化状態で逃げてきたが、上陸が望めない以上、逃亡ルートは海中しかない。流石に人間の姿で自由に潜水できるほどまだこの体には慣れていない。
長くしなやかな尾を海蛇のようにくねらせ、深く深く潜り移動する。
太陽の光も届かないような深海を、地上を駆ける速度と変わらない勢いで突き進みあっという間に大西洋へと出た。
さすがのあいつもこんなところまでは来れないだろう。
海中でありながら、ふうと羽黒は深く溜息を吐いた。
そして。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「あ?」
地鳴りのような低い音。
嫌な予感がしてふいと顔を上げると――そこには明らかに自然のものではない巨大な渦潮が発生していた。
「滅茶苦茶か!?」
慌ててその場を離れようと尾をくねらせるも、既に一歩遅かった。
蟻地獄に嵌った蟻のように、もがけばもがくほど渦に搦め捕られ、羽黒はあっという間に海上まで引きずり出された。
「瀧宮流刀剣術改め――我流、対特定古龍種用剣技《破瀧》」
「……っ!!」
咄嗟に羽黒は左腕の手甲器官をかざし、その斬撃を受け止める。
しかし薄墨のような波紋の太刀は一切の抵抗もなく手甲に吸い込まれ、羽黒が身を捩るまで振り抜かれた。
「ぐおっ!?」
尾を鞭のように振るい、距離を開ける。
しかし既に手甲は無残にも半分以上斬り落とされ、あと少し退くのが遅ければ左腕ごと持っていかれていた。
「当たり前みてえに俺の鱗斬り裂きやがって……! ちょっと前まで俺に何度も刀圧し折られてたくせに!」
「師が良かったのでな」
「そりゃどーも!」
何度目か分からない悪態を吐き、羽黒は背を向け再度海中へ飛び込む。今度は深くまで潜らず、浅瀬を進み海面への着弾を想定しながらジグザグに北米大陸を目指し尾をくねらせた。
「逃がすと思うな」
そう呟き、襲撃者――スブラン・ノワールは自覚なく口角を僅かに吊り上げ、羽黒へと攻撃魔術の狙いを定めた。
* * *
「……あーあー。これ本当に片付けてくれるんだろうな?」
幻獣界からの増援を帰還させながら、秋幡紘也は各地から報告が上がる地脈異常に眉間を抑えていた。





