075:法律家・清水の舞台・北の大地
「えっと、作戦開始前の確認をしたいんだけど……大丈夫?」
寒冷地帯に位置する山岳地帯。
夏でさえ雪が舞うことすらある永久凍土の北の大地。年間を通して最も劣悪な環境の真冬の岩肌に穿たれた洞窟に二人の男女が身を押し込み、肌を切り裂くような吹雪から身を守っていた。
一人は白い雪中仕様の迷彩服を着こんだ青年。手には白く塗装された大型ライフルを抱えている。
そしてもう一人――冗談抜きに普段の体形の二倍に膨れ上がるほどの防寒着を着込んだ少女はガチガチに歯を震わせながら頷いた。
「だだだだだだだだだぃじょじょじょ……」
「…………」
「うううううううううごけばばば、すこここしは、あったたたたたたった……」
「うん、まあ、じゃあ続けるよ?」
フードの隙間からこぼれる燃えるような赤髪が凍り付いた呼気で白くなっている。今回の仕事の相方である少女――フージュの見るからに大丈夫ではない様子に青年――裕は苦笑を浮かべながら話を続ける。
「ターゲットは魔法士協会幹部〈氷麗の法律家〉の排除及び彼女の管轄する研究施設の破壊。まあ幹部って言っても、ここ数か月の混乱で繰り上がっただけの研究者だ」
裕はちらりと洞窟の外に視線を向ける。
白で塗りつぶされた吹雪の奥にほんのりと灰色の建物の影があった。
二人が潜む洞窟から見て向かい側の切り立つ崖の斜面部分に長い柱を何本も突き立て、その上に土台を設けた研究施設。その周囲だけ雪が避けているかのように岩肌と壁が剥き出しになっており、異質な光景となっている。
「外観だけなら清水の舞台みたいで見ごたえはあるんだけどなあ」
「ききききき……?」
「ああ、僕の国にある古いお寺だよ。超急傾斜地に柱を立ててその上に舞台があるんだ。時間があったら見に行くと良いよ。……まあ僕は色々あって見に行けないんだけど」
こほんと咳払いを一つ挟み、話題を戻す。
「この地域は珍しい天然物の氷属性魔石の産地であると同時に、強烈な氷属性の魔力スポットになっている。そのせいで周囲一帯は魔術の構築が阻害されて使用できず、地形と気候も相まって自然の要塞となっている。ただしあの研究施設内は特殊な魔導具の設置によって普通に使えるらしい。そうじゃなかったらろくに研究もできないだろうしね」
それもあり、二人はこの洞窟まで自力でえっちらおっちら五日ほどかけて山を登る必要があった。途中で何度か軽く死にかけたが、無事に目標地点に到達することができたのは幸いだった。
「わわわ、わたたたた……」
「うん、だからフージュにお願いしたいのはその魔導具の破壊だ。それで研究施設として機能しなくなるから、二つ目の目標は最低限クリアだ。なんなら反対の山を雪崩に見せかけて丸ごと吹っ飛ばしても良い」
「け、けけけけ、ひ、ひと……」
「そう。でも一つ目の目標……アヴォカとその配下の魔法士の排除が今回の作戦の主目的だから、単純な施設の崩壊は避けないといけない。研究施設が地形ごと吹っ飛んだら確認できないからね」
「…………」
こくりと頷くフージュ。
そして何か言いたげに口を二、三度開きかけたが、寒さで舌が回らないのか諦めたようだ。重要なことなら多少無理してでも口にするだろうと、裕も追及はせずにポケットから時計を引っ張り出す。
「そろそろ日の出だ。フージュには負担かけるけど、日没までに山頂経由で施設の裏手に待機をお願い」
「ま、まままかせせ!」
相変わらず歯の根が合わずに単語になっていないが、フージュはぴしりと手を額に掲げて了解のサインを出す。そしてよっこいせとダルマのような防寒着姿を引きずるように、洞窟を後にした。
* * *
半日かけて雪山を移動したフージュは、眼下の灰色の施設に視線を落とす。最初に待機していた反対側の崖からも見えていたが、壁に特殊な魔力防壁を施されているらしく、雪粒一つ付着していない。中はさぞかし快適な温度で保たれているのだろうと、彼女にしては珍しくイラっとした。
「…………」
それに比べ、と反対側の崖に目をやる。
分かってはいたが、相方の裕はどこにも見当たらない。
ただでさえ悪天候で視界が通らない上に地形魔力が乱れている。現状、身体強化もままならず探知能力が下がっているとは言え、過去本気で隠れた裕を見つけられなかったことは一度や二度ではない。
以前の仕事でジャングルの奥地に待機していた彼と合流しようとした時など、汚物と土砂に塗れた状態で隠密行動していたため、うっかり踏んでしまって驚きと悪臭で悲鳴を上げた時もあった。
今回も似たようなことをしているのだろう。実際、別行動する直前に見た彼はとても生気の通っている人間にはとても見えない、凍死体のような体温だった。あの状態でどうやって活動しているのか、フージュは全く理解できなかった。
ともかく、探知できないだけで彼はこちらが動き出すのをじっと待っているはずだ。
「…………」
ポケットから事前に針を合わせた時計を取り出し、時刻を確認する。
定刻まで残り数十秒。
フージュは防寒着越しに大きく息を吸い込み、そしてコロコロと転がるように崖を駆け出した。
バチッ
研究施設の魔力防壁の範囲に触れた瞬間、防寒着が黒く焦げる。侵入者に対するセンサーも兼ねた攻撃結界のようだが、それも織り込み済み。結界が発動するということは、こちらも魔術が使えるということだ。
分厚く着込んだ防寒着が弾け飛ぶ前に自前の障壁を展開し、そのまま転移魔術を発動させ二振りの愛刀を手元に出現させる。そして自由落下の勢いそのままに屋根を切り刻んだ。
立地的にも規模としては小さな施設だった。二、三度振るえば屋根は瓦礫と化し、そのまま吹雪に吹かれてどこかへ飛んでいった。
「な、なんだ!?」
「屋根が!!」
「結界を維持しろ! 凍え死ぬぞ!」
瞬間、研究所内が蜂の巣を突いたような混乱に陥る。
かろうじて施設全体に施された保護魔術により吹雪の侵入は防がれているようだが、それも時間の問題だろう。
「見つけた」
研究所に降り立ち、即座に探知魔術を展開。侵入者など想定していなかったのだろう、ろくな隠蔽はなく、施設全体を覆う術の要が中央の部屋に設置されているのはすぐに発見できた。フージュはそこを目標に定め、道中の壁を斬り崩しながら直進する。
「なん――ッ」
「ぎゃっ!?」
途中で出くわした魔法士たちは刀の峰で叩きのめし戦意を削ぐ。いつもであれば斬り捨てるところだが、それは今回フージュの仕事ではない。
「とうちゃーく」
魔導具が安置された部屋へと続く最後の壁を斬り破り、堂々と侵入する。すると中では数人の魔法士が魔術の発動準備をして待ち構えていた。
その中には、事前に資料で確認した顔色の悪い地味な女がいた。
〈氷麗の法律家〉――今回の標的だった。
「何者……いや、聞くまでもないか。デザストルに与する一派だろう。まさかこんな辺鄙な施設にまで足を運ぶとはご苦労なことだ」
「…………」
「一応、投降勧告くらいはしておいてやろうか?」
無言でフージュは刀を構える。
この期に及んで随分と悠長なものだなと呆れた。これまで一介の研究者でしかなく、幹部の席も繰り上がりに次ぐ繰上りで用意されたに過ぎない。実戦経験など皆無に等しく、それ故に〈災厄〉を、そして〈緋華の舞姫〉という元魔法士を舐め腐っている。
だから――
ぱきん
「え?」
アヴォカの間抜けな声がこぼれる。
――だから、施設の生命線たる魔導具が既に斬られていることに気付かない。
「な、ン……!?」
まず最初に魔法士たちが発動準備していた攻撃魔術が崩壊した。
続いて施設全体を覆っていた結界が跡形もなく消え去り、吹きっ晒しになった施設にどっと吹雪が舞い込んできた。
「正気か!? 保護魔導具を破壊するなど、貴様も生きてこの雪山から帰れんぞ!?」
「どうして?」
体力維持のため、最低限の単語で問い返す。
「私はこの吹雪でも自力で下山できるよ」
「……ッ!」
「魔術魔法に頼りきりのあなたたちと違ってね。頑張ってね」
できるものなら、という言葉は不要であるため口にはしない。
フージュは踵を返し、堂々と魔法士たちに背を向けて施設を飛び出し転がるように脱出した。
「く、そ……! おい、我々も下山準備だ! ありったけの装備をかき集めろ!」
「は、はい……!」
檄を飛ばすアヴォカ。こうしている間にも耐寒仕様などではない研究衣の隙間からどんどん体力を奪われていく。動けるうちにこんな雪山から――否。
「ど、どうやって……?」
アヴォカはこの研究所の立地を思い出す。
超傾斜地の山肌に無理やり柱を立てて建造された施設だ。出入りは転移魔術しか想定されておらず、飛び出せば崖、見上げても崖しかない。地形効果で魔力が荒れ狂っており、簡易的な魔術の構築すらままならない。
「……くそ、死んでたまるか!! 早く装備を持ってこい!!」
再度檄を飛ばす。しかし部屋の外に防寒装備を取りに行ったはずの部下は帰ってこない。
使えない奴らだとアヴォカは自身の足で向かおうと部屋を出て――がつ、と足元に転がる何かに躓いた。
「な……なんだ……!?」
それは先ほど部屋を出て装備の調達に向かった部下だった。
数分も経っていないというのに、彼の体は吹雪にさらされて既に半ば凍りかけていた。
「ひっ……!」
「あ、〈氷麗の法律家〉様……!」
と、吹雪の奥からかすれた声が聞こえた。
顔を上げると、廊下の角に部下の一人が蹲っていた。
「頭を、頭をおさげください……!」
「何が起きている!?」
「そ、狙撃手がいます……!」
「狙撃だと!?」
「〈氷麗の法律家〉様!」
と、廊下の奥から分厚い耐寒装備を抱えた部下が駆け寄ってきた。
しかし彼は途中で力なく膝から崩れ落ちた。その拍子に抱えていた装備が吹雪にさらわれ、何処かへと飛んでいく。
「貴様――」
――ターン……
「……ッ!?」
聞こえた。
間違いなく、銃声だった。
「ひっ!?」
頭を抱え、廊下の隅で部下と同じく蹲る。
ありえない。この吹雪の中、着弾よりも発砲音が遅れて聞こえる距離からの狙撃など、できるはずがない。
「いや……待て……確か、デザストルの協力者に、どこぞの地方魔術師の出の銃使いがいると言っていたか……!?」
しかし協会からの情報によれば、彼は派手な大火力による一斉掃射が最も危険視されていた。このような埒外な狙撃の腕を持つなど聞いたことがない。
「お、おい、なんとしても協会と連絡を取れ! デザストルの協力者の情報だけでも伝えろ! なんとしてもだ!」
「は……はい!」
隅で頭を抱えていた部下に指示を出す。
アヴォカ自身、もはや冷静な判断ができる余裕はなかった。脱出すら困難なこの状況で出した無茶苦茶な指示に、部下もまた冷静さを失い――無意味に、立ち上がった。
その瞬間、雪が積もり始めた廊下に転がる部下。
――ターン……
そして遅れて聞こえてくる銃声。
「……ッ、くそ、くそ、くそ!! 誰か! 誰かいないのか!!」
吹雪に髪の毛を振り乱しながら、アヴォカは僅かばかり身を起こす。
その瞬間――意識が途切れる。
――ターン……
遅れて届いた銃声を聞く者は誰もいなかった。
* * *
「研究所にいた魔法士十四名、排除完了しました」
『そうか。確認だが、討ち漏らしはいないな?』
「はい。全員に一発ずつぶち込んだので。首実検が必要なら、もう一度登ってきますけど。一方向の風はもう数日続くので、行きはともかく帰りはウイングスーツでショートカットできますし」
「すっごい楽しかったよ! 魔法も使わずに空飛んでる感じがして、またやりたい!」
麓の山小屋で暖をとりながら魔石を介して報告する裕の横から、フージュが雪焼けと興奮で顔を赤くしながら笑みを浮かべた。それを魔石の向こう側で聞いていた〈災厄〉は『いらん』と切り捨てる。
『風向きが一定だろうとそんな雪山を吹雪の中飛んで帰ってくるお前らはどういう体構造してるんだ』
「慣れれば楽しいものですよ」
『慣れる前に常人は死ぬ』
ともかく。
『お前がその目と指で全員始末して、確認できているならそれでいい。俺は俺で行動に入る』
「あ……」
「了解です。通信終了」
宣言すると、魔石にぴしりとひびが入る。そこに込められていた術式ごと使い物にならなくなり、ただの石ころと化したのを確認すると「さて」と裕は軽く伸びをした。
「もう三十分休憩挟んで体温戻したら下山しようか。フージュ、悪いんだけど片付け先に始めててくれない?」
「いいよー。……ねえ、少し聞いていい?」
「ん?」
撤退作業を始めながら、フージュは作戦前に気になったことを思い出し、改めて尋ねる。
「ホナミは人を殺すことに、どうやって折り合いをつけてるの?」
「……あー」
直球での質問に、裕は暖炉の燃えカスを火掻き棒で混ぜながら頷いた。
「まず前提として、殺しは生きる上での最終選択肢だとは思ってるよ。話し合いで済むならそれに越したことはない」
「でも今回の場合、話し合いの余地もなかったよね」
「うん。だから僕はもうとっくに最終選択肢の向こう側にいるんだ。その分、向こうが最終選択を迫ってきても僕は恨みはしないつもりでいる。……そうだね、フージュは僕の生まれた街について聞いたことある?」
「えっと、確か、魔物が人として暮らしてるんだっけ?」
「そんな感じ。皆気が良いやつらでさ、僕ら人間も分け隔てなく楽しく暮らしてる。けど、例外もたまにいるんだよ」
「悪意を持って襲ってくる魔物が?」
「それだけなら気は楽なんだけど。――昨日まで友人だったやつが暴走して、悪意ある怪物に成っちゃう時が」
「え……」
「幸いなことに僕らの世代になってからは一人もいないけど、でも昔、親世代でそういう事件があったらしい。歴史を紐解けば、そういう話だったんだろうなって事例は何個も出てくる」
だから、と裕は続ける。
「だから僕らは術式を制御するすべを身に着けるとき、徹底的に教え込まれるんだ。昨日までの友人が誰かを傷つける前に、きちんと人として終わらせてあげるよう、躊躇しないようにって」
「人として、終わらせる……」
「これは友人の父親の言葉だけど――『千人を救うために一人を殺せ』――答えになってるか分からないけど、それが僕の中の殺しに対する根底で、折り合いかな」
「…………」
「けどまあ、褒められた行為じゃないのは確かだからさ。幸運なことに僕の術者としての家系は僕で最後なんだ。将来的に子供が生まれたとしても、その子に術式を継がせるつもりはない。その点に関しては、安心かな。まあ万が一自分からこっちの道に進もうとしたら、嫌な顔しつつその子にも同じことを教えると思うけど」
「ねえ」
ふと、問いを重ねる。
「もしも、ホナミの大切な人が暴走して、人を傷つけそうになったら、その人を……その」
「……そうだね。ギリギリまで解決の糸口を探そうとするだろうけど……本当にどうしようもなかったら、ちゃんと、人として終わらせるだろうね。でももし――」
裕の言葉に、わずかな冷気が混じる。
その異質な気配に思わずフージュは作業の手を止め、二歩三歩と距離をあけた。
「もしもその暴走が誰かの悪意によるものだったなら、僕は一人のために千人を殺すよ」





