074:不運な冒険者・花束・レンタカー
「お、これ美味いな」
「マジ?」
ガラガラと車輪が音を立てる馬車の御者台で、手持無沙汰だったため開封したこの地方の郷土料理だというスナックを一つつまんで羽黒は思わず呟く。それに同じく荷台で暇を持て余し、依頼人の孫娘からもらった名も分からない小さな花の花束を眺めていた康太が手を伸ばした。
スナックを一枚渡してやると、康太は恐る恐る一口齧った。
「お、サックサクじゃん。そんで香辛料たっぷりでスパイシー」
「昔フィリピンで食ったチチャロンに似てるな」
「チチャロン?」
「豚の皮を乾燥させて揚げたスナックだな。揚げるとこんな風に膨らむんだ」
「豚の皮が膨らむの!?」
「これも淡水アザラシの皮を揚げたやつだってよ」
「え、これあのアザラシの皮!? てか芋とか小麦じゃねえの!?」
ほえー、と感心しながら自分から袋に手を突っ込みもう一枚摘まむ。
依頼で訪れた街で食肉目的で肥育されていた淡水棲のアザラシに似た愛くるしい外見の生物を見た時は複雑そうな顔をしていたが、滞在中毎食のようにあらゆる食事に使われていた。最初は避けていたようだが数日で諦めと慣れから口にするようになったが、今となっては随分とお気に召したようだ。羽黒はもう二、三枚口に放ってから袋ごと康太に渡してやった。
「そういや今更だけど、あんたって俺から見ると未来人かつ古代人なんだよな」
「古代人っつーほど歳食ってねえわ」
「何歳?」
「250……あれ、今何歳だ? 流石に300はいってないと思うんだが……」
「時間感覚ガバガバじゃねーか。羽黒さんがまだ人間だった時代って牛も豚も普通に食ってたってマジ?」
「それは食ってたな。なんなら鯨もまだ食えた頃だな」
「すげー」
パリパリとアザラシスナックを頬張りながら康太が感心する。言われて思い返すと、康太が異世界召喚に巻き込まれた年代はそういう話題に一番うるさかった記憶がある。あれから100年が経った時代からこの世界に来た羽黒としては、世論は一周回って人口肉と天然肉が半々程度に出回っている感覚なのだが、確かに康太からすれば古代人だろう。
「ちなみに100年後の未来ってどんな感じ?」
「どんなって言われてもなあ。食糧難だ汚染だ災害だAIだって、かれこれ200年以上騒いでるが、普通に生活できてるよ」
「なんだ、つまんねーの」
肩を竦め、康太は一度腰を浮かして座る位置を調整する。
他にも昼夜の境目がさらに曖昧になり現世に湧き出る妖の数が減ってきたという違いはあるが、これは言っても仕方がないため黙っておく。
「それで?」
「ん?」
整備された街道の分かれ道が近付いてきた。左折せず、道に沿って進めば羽黒たちが拠点にしている街に到着する。
馬車の手綱を繰りながら羽黒は訊ねる。
「本当にいいんだな?」
御者席から手旗を振り、後続に一時停止を伝える。それから手綱と馬車のブレーキを引き、停車させた。
「……うん。やっぱり、怖いよ俺は。自信もない」
康太はスナックの袋を置き、脇に置いていた小さな花束を拾い上げた。
「今のお前さんなら足手まといにはならんさ」
「はは……そう言ってくれるのは嬉しいけどさ。でもやっぱり、万が一を考えたい」
「ああ、怖いってそっちか」
肩を竦め、羽黒は御者席から降りて手綱を康太へ託す。
「おら、事故らせるなよ。この馬車レンタルなんだからな」
「分かってるよ」
苦笑いを浮かべながら康太は荷台から御者席へ移り、出発の手旗を振る。
そして康太の乗る馬車は、後に何百何千と続く避難用馬車を導き、走り出した。
「よし」
馬車の列をしばし眺めた後、羽黒は分かれ道を左に進む。視線の先には、霊峰と呼ばれた歴史を冒涜するかのようにどす黒い暗雲を纏った山々が連なっていた。
少し歩いて森の中に入り、馬車の行列が完全に見えなくなったことを確認すると魂から湧き上がる魔力を変質させる。
ぞるり、と長くしなやかな尾が生え、全身を漆黒の鱗で覆った龍へと変貌した。
『さーて、勇気ある若者のために一肌脱いでやろうかね!』
龍の口を軽薄に歪め、羽黒はとんと小さく地を蹴る。
そして次の瞬間には森の木々を抜け、数百キロの道のりを跳躍し山脈を上空から見下ろす高さまで跳び上がった。
眼下には、山中に突如出現したかのような不自然なほど巨大な「城」が聳えている。漆喰に黒い瓦造りの、羽黒の生まれ故郷で見かけるような構造だった。
『ふっ』
宙を蹴り、城の天守閣目掛けて体ごと突っ込む。
ちゅどおおおおおおおおおおん!!
着地の瞬間を狙って長い尾を振り回すと、天守閣が丸ごと吹き飛んだ。「城主」まで一掃できたら話は早かったろうが、流石にそう上手くはいかなかった。近衛兵だか四天王だか知らないが、周囲にいた有象無象は消し飛んだようだが、中心にいたソレは障壁すら張らずに不動の姿勢で羽黒の尾を受け切っていた。
「……城の天守閣に直接乗り込むとは、なんと無粋な」
『はっ。こんな西洋風の景観の世界に純和風な城おっ建てるやつほどじゃねえよ」
羽黒は皮肉を口にしながら魔力を元に戻し人化する。そして突如この世界に現れた無法者を改めて観察した。
ソレは赤い甲冑と兜に黒い仮面を身に着けた武者のような姿をしていた。ただし刀は佩いておらず、手にした十字槍の石突を床に突き立てている。
さらに仮面の目や口にあたる部分からは肌は見えず、青白い炎がゆらりと揺れているだけだった。
「勇者、ではなさそうだな。貴様何者か」
「瀧宮羽黒」
「…………。ああ」
槍を持っていない方の手を顎に当てしばし思考し、記憶に在ったのか小さく頷いた。
「魔王連合とかいう軟弱者の集団に媚び諂っていた小蛇か」
「…………」
あまりにもあまりな言葉に、羽黒は思わず肩を竦めた。大層な物言いだが、その実、この鎧武者から発せられる魔力は羽黒をして決して油断できない質と密度であった。
「そういうそちらさんは……確か『万貫の魔王』峯枷崩山殿だったかな」
「ほう。某の名を知るか」
「ああ、群れからもハブられたぼっち……失礼、一匹狼だと有名だぞ」
「…………」
挑発し返すと、鎧武者の槍を握る手に力がこもった。煽られるのには慣れていないようだ。
羽黒は軽薄な笑みを崩さない。この鎧武者は〝貫通〟の概念魔王――魔王連合が新体制を構築する以前から参入している「概斬の魔王」と同等以上と見ていいだろう。相対した者は勇者だろうが守護者だろうが魔王だろうが悉く滅ぼし、孤軍を貫いてきたため全くと言っていいほどの無名だが、それ故に羽黒も名と肩書くらいしか知らない未知数の存在だ。
「よもや他の魔王が侵攻中の世界だとは思わず居城を構えたが、それは確かに某の方が不躾であったやもしれぬ。何せ貴殿の存在が矮小すぎて気付けなんだ」
「はっはー。いやいやそれは少し違うな。俺はこの世界を観光していただけだよ。滅ぼすつもりなんて微塵もない。だからお前さんの愚鈍な探知能力で察知できなくても仕方がないことさ」
「……半端者が」
仮面の孔から漏れ出す炎が揺れる。
そして十字槍の口金――穂の付け根――を握り、腕を大きく振りかぶった。
「貴様が魔王だろうが無垢な旅人だろうが関係ない。某の前に立つ者は悉く討ち滅ぼすのみ!」
短く握られた十字槍が振り下ろされた。
それと同時に手のひらに青白い炎が燈るほどの摩擦を生じながら柄が滑り、膂力と遠心力により世界を割る勢いで羽黒の頭上に迫る。
「――震雷!!」
それはまさに落雷の如き衝撃だった。
振るわれる余波のみで僅かばかり残されていた天守閣の骨組みが消し飛び、天高く聳えていた城が三分の一ほど瓦解した。
しかしその一撃を羽黒はほんの少し体の軸をずらし威力を殺し、真正面から受け止める。
「……ほう」
弾け飛び、ガラガラと崩れていく城の瓦礫を踏みしめながら鎧武者はやや感心したように手にした十字槍を見る。
「これは驚いた。よもや此方の槍の方が先に壊れるとは。随分と頑丈な案山子よ」
槍は柄の途中から破裂したように砕け、穂先は完全に消滅していた。
羽黒は土埃を鬱陶しそうに払いながら軽薄に笑う。
「そっちこそ、随分と脆い魔王武具だったな。これなら『概斬』の方がよっぽど鋭かったぞ」
「ぬかしよる。それに貴様は一つ思い違いをしているぞ」
砕けた槍の柄を投げ捨て、鎧武者は大きく足を踏みしめるように中段で構えた。
「某の本懐は〝貫通〟! 長柄槍は本来貫くための武具ではなく打ち据えるための物! 故に某の魔王武具とは、こちらが本命よ!」
鎧武者の仮面から青白い炎が勢いよく溢れ出る。
そして先程までとは桁違いの密度の魔力が凝縮し始めた。
「我が道を征け、〈震嵐〉!!」
鎧武者の右手に巨大な塔のような大ぶりな騎乗槍が顕現する。それが腕全体を弓矢のように引き絞り、そして弾かれるような勢いで羽黒目掛けて突き出された。
「その格好でランスかよ! どこまでも無粋な奴だな!!」
流石に無策で受け止めるには危険と判断し、全身の龍鱗を活性化させながら一歩二歩と距離をとり、そして魂の奥底に眠る一振りの刃を呼び起こす。
「――解き放て、龍刀〈氺尽〉」
* * *
「だぁっらっしゃあ!!」
落ち武者の怨霊のような人型魔物を斬り捨て、康太は同時に四方に魔術を放ち近寄ってきていた首無しの四つ足魔獣を焼き尽くす。
「次ッ!!」
革鎧のポーチから小さなポーションの瓶を取り出し中身を一口で飲み干し、再び剣を振るう。
羽黒と別れてから既に10日が経っていた。
100年前の魔王襲撃の経験はエルフを中心とした長命種族に色濃く残されており、魔王城が出現した地域周辺の住民の避難は滞りなく行われた。魔王軍が湧き出るまでの間に主要な防衛拠点の整備も進み、迎撃態勢も整った。
そして周辺で最も避難民が集まっていた街目掛けて魔王軍が進軍を始めると、康太は先陣を切って防衛と撃退にあたっていた。
本当ならば、勇者である自分が魔王城に向かうべきだったのだろう。
しかし康太は、勇者として世界を救うのではなく、不運な冒険者として街を守ることを決断した。
召喚時に組み込まれていた「魔王討伐による送還」という手順を蹴ってまで――守りたいものを守ることに決めた。
「次ッ!!」
再びポーションをがぶ飲みし、剣を振るう。
魔王軍が街の防衛設備圏内に侵入してから既に7日は経過している。その間、康太は休みなく昼夜を通して戦い続けていた。雑兵は城壁の上から魔道具による面攻撃により押し返せている。しかし遠距離からの魔術による射撃が軍備の標準装備のこの時代において、雑兵はともかく、五月雨式に投入される幹部や部隊長クラスの強大な魔物に対し汎用型魔導具の効果は薄かった。
だが康太は――康太だけは、召喚時に授かった剣術と勇者のスキルにより彼らを討ち滅ぼすことができた。
「……次ッ!!」
終わりの見えない防衛線。ポーションによる回復とドーピングにもそろそろ限界が見え始めていた。
それでも康太は気合で剣を振るい、一歩も引くことなく魔王軍に立ち向かう。
自分を信じ、単身で魔王城へと向かった冒険者の先輩で、師匠で、兄貴分で――友人の羽黒が戻ってくるまで、戦い続ける。
それからどれほど経っただろう。
時間の感覚も、疲労も、全て分からなくなった頃。
目の前で死力を振り絞って大太刀を振り上げた落ち武者が、力なく膝から崩れ落ち――そしてそのまま風に吹かれた砂のように消えていった。
「……え?」
呆気にとられながらも、ここ数日で体に染みついた動きは止まらず、次の魔物に対するべく標的を探す。
しかし、街の正面の平原に魔物の姿はない。
先程まで目の前にいた大群はまるで白昼夢であったかのように、一匹残らず消え失せていた。
『『『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』』』
そして一瞬遅れ、街の城壁の上から鬨の声が上がった。
振り向くと、兵士や冒険者たちが魔道具を空高く放り上げ、近くにいた者たちと肩を抱き合って笑みを浮かべていた。
「…………。は、はは……」
もう一度、平原を振り返る。
無数の魔物の死骸が、先ほどの落ち武者のようにさらさらと砂になって崩れていくのが見えた。
魔王軍――魔王の眷属の末端が一匹残らず消滅した。
それはつまり、主たる魔王の討伐が為されたことを意味する。
「コータさん!!」
後ろから声がした。
向き直ると、冒険者ギルドの受付嬢がタオルと救急用品が入った籠を片手に走り寄っていた。そして康太が五体満足で茫然としているのを確認すると、魔物の返り血やら体液やらで全身べとべとになっているにも関わらず、彼女は躊躇いもせずに抱き着いた。
「ひぇ!? ヴィ、ヴィヴィアンさん!? なんで、後方に避難、てかめっちゃ汚い、今、俺……!?」
「知りません!!」
テンパって滅茶苦茶になった文法を押しのけるように、受付嬢の抱擁は力を増す。そして耳元に、普段は気丈な彼女から僅かばかりの鼻を啜る湿った音が聞こえてきて、康太はおずおずとその背に手を回した。
「あの、えっと……その、い、依頼……魔王軍からの防衛……完了です」
「……クスッ。ええ、はい。依頼の完了、お疲れ様でした!」
羽黒と康太が出会い四年と少し――羽黒が生まれ故郷へ帰る、半年ほど前の事だった。





