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073:飛行チャンピオン・パソコン・風船ガム

「今日はここまでねー」

「…………」

「…………」

 ぱんぱんと手を払った梓の言葉に二つの沈黙が続いた。

 黒髪の青年は目の前の光景に頭痛を堪えるように額を指で押さえ、年の割に大柄な少年は――首から上が天井に空いた穴にすっぽりと嵌り、ぷらんと四肢を力なく放り出していた。

「お、おーい……珀疾? 無事かー?」

 そしてもう一人はため息交じりに、新手の首吊り死体と化した少年の足を掴んで何とか引きずり降ろそうと苦心していた。

「……お前ら、毎日こんなことしているのか」

「まさか。普段はもう少し大人しいわよ」

 黒髪の青年――梓より一つ年上のはずがいつの間にか一回り以上若い年頃で老化が止まっていたノワールに、肩を竦めながら首を振る。

「せっかく広い場所使えるなら多少ギアアップしようかなと思ってね」

「確かに訓練場の使用許可は出したが……」


 ばきっ!


「あ、やべっ」

 派手に木材が割れる音と共に、珀疾の足を掴んでいた竜胆が小さく声を上げる。見ると、引っこ抜いた際に周りの天井板が一緒にへし折れたらしかった。

「……施設の破壊まで許可した記憶はない」

「修繕費は珀疾のお小遣いから差し引いてヨシって悠希ちゃんと疾君から許可もらってるわよ」

「…………。そうか」

 何か口を挟むのも面倒になったノワールはため息交じりに頷いた。

 久しぶりに次元の狭間から出てきて当主補佐として溜まった仕事を片付けようとパソコンを開いた瞬間、狙いすましたかのように珀疾の父親から訓練場使用の立ち合いするよう術式が飛んできたのだ。何事かと思って足を運ぶと、見知った顔ぶれが三人雁首揃えて待っていたのだった。

「おい、無事か」

「……かはっ!?」

 魔術を叩き込んで気付けし、ついでに負傷がないか確認する。意味不明なことに、曲芸飛行のチャンピオンも真っ青なきりもみ回転で天井に突き刺さり、首から宙吊りにされたはずなのにどこも傷めている形跡のない珀疾は跳ねるように上半身を起こした。

「え、あれ!? 俺もう負けた!?」

「まだまだ修行が足りぬぞ、珀疾少年」

 梓は謎の口調で笑みを浮かべ、珀疾の額をペチペチと叩いた。

 ノワールから見て一応従甥にあたる珀疾の戦闘能力は、身内贔屓を差し引いても高い。そこそこの魔力量に対し魔術センスはからっきしという欠点はあるものの、有り余る身体強化術の才能と持ち前の近接戦闘スキルの高さから、同年代の術師見習の中では群を抜いている。なんなら一般術師に混ぜても彼を圧倒できる者の方が少ないだろう。

 とは言え、彼はまだまだ成長途中の十三歳の少年である。恵まれた体格はともかく、技術も精神も未熟であるため、「たまたま」「偶然」彼の通う学校に勤めていた梓が日々の鍛錬の面倒を見てくれていたのだった。

 しかし世は七月下旬の夏季休暇真っ盛り。本人は全く気にしなそうだが用もない学校に一日一回の組手のためだけに足を運ぶのも面倒だろうと、どうせなら普段より広く制限のない場所で戦ろうと梓の方から出向いたのだった。

「いや、つえーつえーとは分かってましたけど、ホントつえーっすね梓先生! 今までどんだけ手加減されてたのか改めて痛感っす!」

「素直に負けを認めて相手に敬意を払うのは君のいいところよねー。あ、ガム食べる?」

「いただきます!」

 一撃で伸されたというのに、超大型犬のように全身で敬服を表す珀疾に梓も気を良くし、たまたまポケットに入れっぱなしになっていた駄菓子の風船ガムを一個与える。それを頬張る姿は歳相応に幼く見え、竜胆までもが頬が緩むのを感じた。

 ちなみに珀疾は入学当初、梓を「伊巻先生」と呼称していたが、家や香宮家でそのように呼ぶと父親を始め一部の大人たちから微妙な顔をされることに気付いてからは改めた。どうせ他のクラスメイト達も「梓先生」と呼んでいる。

「ところで、珀疾」

「ふぁい?」

 ぷぃんとガムを膨らませているところにノワールが声をかける。

「先ほどの立ち合い、何故敗れたか分かっているか」

「あ、はい! 殺気の緩急っす」

 先ほど一撃で吹っ飛ばされたのを思い出しながら珀疾が自己解析する。

「立ち合い前に梓先生はわざわざ『いつもより少しだけ本気出す』って教えてくれたのに、構えとか放出魔力とかいつもと変わらない、なんなら抑え気味だったんすけど、それで油断しちまって受け身が間に合わなくなりました。その後は独特の歩法で急接近されて、気付いたら防御できない速度の一撃を叩き込まれました」

「そこまで分かっているならば良い。精進を続けろ」

「うす!」

「ちなみにさっきのは歩法は気配遮断の応用ね。元々は特殊訓練を積んだ暗殺者の技術なんだけど、オンオフのメリハリをつけることで正面から不意打ちすることも可能よ」

「な、なるほど!」

「…………」

 なるほど、とノワールも内心頷く。

 言外に梓が珀疾へ伝えようとしていること――相手の魔力量と体格から、おおよその近接戦闘技術を割り出してしまうという珀疾の悪癖の矯正。確かに珀疾の接近戦における観察眼は九割九分九厘正確ではあるが、それでも残り一厘の例外というのが世の中には意外と多々あるのだ。

 例えば、珀疾の父親のように。

「…………」

 視界の隅で竜胆も苦笑しながら肩を竦めていた。

 どうやらまだ伝わっていないようだ。

「……まあ、精進しろ」

「??? はい!」

 言葉を重ね、ノワールは立ち会いは終わったとして訓練場を後にした。



 数年後、梓とある程度戦えるようになり天狗になった珀疾の鼻っぱしが父親によりぼっきぼきにへし折られることとなるが、それはまた別の話だった。

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