067:配信者・ステージ衣装・青い鳥
画面に映し出される少女のように細く小さな手と指が滑らかに針と糸を操り、小さな小さなスカートを縫い上げていく。チェック模様に控えめなフリルがあしらわれたそれはアイドルのステージ衣装を模しており、既に完成しているシャツやブラウス、シュシュ、青い鳥の羽があしらわれたリボンなどの小物と合わせて完成間近だった。
「――でね、次のお洋服何にしようかちょっと悩んでて」
器用に針と糸を操りながら視線の端で別の画面に映し出したコメント欄に目を通す。
[ワンピース!]
[がらっと雰囲気かえて革ジャンとか?]
[水着(定期)] [浴衣とかいかがですか!]
「出た水着」
お約束のようにいつもの視聴者がいつものコメントを発し、思わず苦笑する。
「この話すると毎回言われるけど、テディベアに水着ってニッチすぎない?」
[出たwwww]
[水着www]
[草][浴衣いいね]
[もこもこにマイクロビキニ着せるのがロマンなんだろ]
[草][ニッチがすぎる]
[実現するまであきらめない]
「はいはい、いつかねいつかー」
生返事をしながら、テディベアの衣装作成を動画配信していた吉川勇志は一度針と糸を針山に置く。配信ツールを見れば、気付けば既に2時間も作業をしていた。時刻としては22時を回ってしまった。完成は目の前だが流石に小休止を挟もうとウンと背伸びをする。
「ちょっと休憩しようかな。お水飲んでくるね」
[てらー] [おつです]
[てらー][てら]
[おつ]
[お水代〈500円〉]
[お水っていうのかわいい]
[リアタイ初見です!と思ったら休憩いってらっしゃいー]
[てらー]
「あ、初見さんいらっしゃーい。あとお水代ありがとうございます。それじゃあ行ってきまーす。5分くらいで戻るからねー」
[ごゆっくりー] [ゆっくりでええんやで]
[てらー]
画面を駆け抜けるコメント欄を目で追いながら勇志はマイクをオフになったのを確認し、席を立つ。
ふうと一息つきながら作業部屋を出て洗面所に向かい、まずは手を洗う。配信用の手元を照らすライトに照らされるとほんのり暑く、じっとりと汗ばんできていた。
その後軽くうがいをしてお喋りでいがいがしてきた喉をいたわり、ダイニングへと足を運ぶ。
「……あ、お疲れ様」
「ちょっと休憩ー」
ソファーに腰かけて本を読んでいた織迦が顔を上げる。さも今気づきましたけど? という顔をしているが、テーブルの上には冷えた麦茶の入ったグラスが置かれている。まだ汗をかいていないのをみるに、今冷蔵庫から出したてのようだ。勇志が作業部屋から出てきたのを見計らってくれたらしい。
「ありがとー。おいしー」
「うん」
視線は本に向けたまま曖昧に頷く織迦。興味なさげだが、無意識なのかわざとなのか上半身をこっそり勇志に摺り寄せてきたのを見るに、寂しかったらしい。
麦茶のグラスをコースターに戻し、織迦の髪の毛を指先で撫でる。相変わらず密な毛量で、よく手入れされているため見た目はすとんと落ち着いているが、触れると存外ふわふわとしていた。
「ごめんね、せっかくのお休みなのに配信日と重なっちゃって」
「ううん、大丈夫」
言いながらも、もはや隠すことなく織迦は自分の髪を勇志の肩に擦り付ける。
元々勇志の作業配信は織迦が仕事の日に行っていた。配信に家庭音が入らないように夫婦二人で約束していたのだが、織迦の職場である隈武屋が急遽夜営業が臨時休業となってしまったため、今夜は織迦が家にいたのだ。
「あと30分くらいしたら作業終わると思うから、そしたら休もうか」
「うん、待ってる」
織迦の体が気持ち離れる。一応は満足してくれたらしいと苦笑し、勇志は飲みかけの麦茶を飲み干してソファーを立った。
「みんなお待たせー」
そして作業部屋に戻ってマイクのスイッチをオンにすると――
[え?][は??]
[!?] [えっ] [!?!?]
[え?] [どゆこと?]
[ん?] [!?]
[!?][????]
[ふぁ???]
[え???]
コメント欄に大量のクエスチョンマークが溢れ返っていた。
「え? なに? どうしたの?」
何がなんだか分からず頓狂な声を漏らす勇志。
真っ先に考えられたのはマイクの切り忘れ。生活音を配信に垂れ流してしまう放送事故はよく聞く笑い話だが、勇志が使っているのは設置型。作業部屋を出る時に扉を閉めたので部屋の外の音が入ったということはあまり考えられない。
[ゆーしくん今帰ってきたの?]
[じゃあさっきの誰?]
[もしかしてさっきのゆーしくんちゃんのおヨメちゃん?]
「え?」
困惑で溢れまくるコメント欄の中に引っかかる言葉が混じった。
勇志は結婚していることを公言している、というか結婚指輪をつけたまま手元の作業配信を行っているため、たまにそういった質問を投げかけられることがあった。だが基本的にこれまで配信は織迦の仕事日に行っているため、彼女が配信に映ることはない。
「ん、どういうこと? 僕が休憩中に嫁さんが来たってこと?」
それはそれで妙な話だ。確かに勇志は作業部屋を出た後一度洗面所へ向かったが、その間は織迦はキッチンで麦茶を入れ、リビングで待っていたはずなのだ。
「確かに今日は嫁さん珍しく家にいるけど、でもずっとリビングの方にいたよ」
そう告げるとまたしてもコメント欄が[えっ][!?!?!?][うん!?]と似たような内容で溢れ返る。
一体何なんだと首を捻っていると、コメントの一つが目に入った。
[配信見返して]
「配信見返し……ちょ、ちょっと待ってね。今見てみる」
ポケットから携帯端末を取り出し、自分のチャンネルを検索そして今回の配信アーカイブを再生して自分が席を立った辺りまで進める。
『それじゃあ行ってきまーす。5分くらいで戻るからねー』
[ごゆっくりー]
[ゆっくりでええんやで]
[てらー]
この辺りまでは自分でも見ていた。その後はしばらく似たようなコメントが流れ、しばらくすると[今北][ゆーしくんただ今休憩中][ありがてえ]といった視聴者同士のコメントがちらほら散見したが、それくらいだ。
一体何が起きたのかとしばしそのまま眺めていると――画面の端から何かが映る。
手だった。
「え……?」
思わず間抜けな声が出る。
携帯端末に表示されているコメント欄は[おかー][もう帰ってきた?][おかー][マイクつけ忘れてるよ]等と流れているが、勇志はそれどころではない。色白で、細く小さな手と指は一見すると勇志のそれに似ているが、つけてからほとんど外したことがない結婚指輪がない。
それにコメント欄も気付いたのか[誰?][噂のおヨメちゃん?][うちのゆーしくんちゃんがお世話になってます][おヨメちゃんきちゃ?]と別の盛り上がりを見せ始めているが、勇志は歯の奥がガチガチと震え始めるのが自分でもわかる。
織迦の指はもっと長く、爪は常に短く切り揃えられている。
だからこれは織迦の手ではない。
「なに……これ……」
見知らぬ手は針山から縫い針を一本摘まむ。そして穴に糸にしては細い物を通し、作りかけのスカートの裾へと刺す。あまりにも不器用な手つきにコメント欄も困惑していた。
と、何者かの手が画面の外へと引っ込む。
『みんなお待たせー』
それとほぼ同時に、入れ替わりで勇志の手が映り込み、マイクのスイッチを入れた。
そしてコメント欄は[え?]と困惑の声で溢れ返る。
「…………」
勇志は恐る恐るスカートを摘まみ上げる。すると縫いかけで刺さったままだった針がぷらんとこぼれ、糸から抜けて作業台に落ちる。
糸に見えたその細いものは――黒い髪の毛だった。
「…………」
すう、と勇志は大きく息を吸い込み、
「きゃああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?」
絹を引き裂くような悲鳴を上げてリビングへと駆け出した。
* * *
『こんな分かりやすい怨霊、白羽久々に見ましたわ』
リビングのソファーでガタガタと毛布を頭から被って震える勇志の背中をさすりながら、織迦がビデオ通話先の声に頷く。
「わたしも、一周回ってびっくりした」
『とてもそうは見えませんわ……』
通話先――白羽は苦笑しながら、自分の携帯端末から昨夜の勇志の配信をチェックする。
『一応確認ですけど、この後配信を終了して、それから妙なことは起きませんでしたわね?』
「うん。旦那は怖がって眠れなかったみたいだけど」
『相変わらず軟弱ですわねー』
「だだだだだって!?」
と、震える毛布の塊の奥から勇志が声をひっくり返しながら反論する。
「幽霊とか普通に怖いじゃないか!? なんで二人ともそんなけろっとしてるの!?」
『いえ白羽これでも専門家ですし。怨霊なんてゴ●ブリみたいなもんですわよ』
「ん。むしろゴキ●リのほうが厄介」
「逞しすぎない!?」
この街には高等部進学を機にやって来た勇志は普通にそういったものに免疫がなく、怖がりだ。もう十年以上月波市に住んでいるが未だに慣れないらしい。
『でもこの街で怨霊が発生するなんて珍しいですわね』
「そうだね。幽霊が怨霊化しにくいのがこの街の特色なのに」
「いやー、それが結構妙なことになってるみたいだよん(´・ω・`)」
と、三人の会話におどけた口調の声が混じる。
織迦から話を聞き、白羽が「瀧宮」として遣わせたりあむだった。来て早々勇志の作業部屋に籠って色々と調べていたのだが、終わったらしい。
「りあむ、おわった?」
「うん、ばっちりだぜ! ほらこのとーり(*´▽`*)」
「ぴぇっ!?」
りあむは右手に持っていたゴミ袋を持ち上げる。そこには全身の骨や関節がぼきぼきにへし折られてぎゅうぎゅうに押し込まれ、長い髪の毛が全身に絡まった……ヒトのようなナニカが封じられていた。
これには勇志はたまらず悲鳴を上げるが、白羽と織迦はけろりと頷いた。
『ご苦労様ですわ、りあむ。それで、どう妙なんですの?』
「見たところ、怨霊としてはオーソドックスタイプ」
ゴミ袋を一旦床に転がし、客人用の椅子に腰かけながらりあむが腕を組み首を傾げる。
「最初あの部屋には怨霊がいた形跡がなかったんだよねえ(*_*)」
「え? でも、それじゃあこれは?」
『どういう意味ですの?』
通話の向こうでも白羽が首を捻る。
りあむの探査能力はずば抜けて高い。現在はその能力を買われて「瀧宮」の所属術者として仕えているが、そう言った分野に秀でた「隈武」や「大峰」からも声がかかっていた。しかしその探査能力というのが術式に裏付けされたものではなく、馬鹿みたいに鋭敏な第六感であることが判明してからは両家では扱いに困るということで、結局白羽直属の術者に収まることとなった。
そのため、りあむの探査には多少のむらっけがある。しかしこの手の現場で「全く感じない」という結果は白羽が知る限り今までになかった。
それにそもそもこうして怨霊の封印には成功している。
「うん、だから多分、この怨霊はこの街で発生したんじゃないんだと思うな(´・ω・`)」
「ごめん、よくわからない」
「えっとね……勇志くんはネット配信してたんでしょ(*´з`)?」
「う、うん……」
毛布の隙間から恐る恐る顔を出して頷く勇志。その瞬間、ゴミ袋に詰め込まれた怨霊が「オオオオオオユゥシクンハスハス」と呻き声を発した。
「ぴ!?」
「うっさいなー"(-""-)"」
げしっとりあむがつま先で小突く。すると怨霊は一瞬苦しそうに身じろぎすると再び大人しくなった。
『なんか今喋りませんでした?』
「気のせいじゃない? んで、多分だけどこの怨霊はネット回線を通してこの家に湧いてきちゃったんだと思うんだ(*^▽^*)」
「そんなことってあるの!?」
『ああ、呪いのビデオの現代版って感じですの?』
「なるほど」
悲鳴を上げる勇志とは裏腹に納得と静かに頷く女性陣。
『でもよくそんなの捕まえられましたわね』
「そこはりあむちゃんのお手柄だぜ! 配信見返したら勇志くんの作品のご執着みたいだったからさ、勇志くんの私物を餌に配信環境立ち上げてみたらモヤモヤって出てきて、そこを、こう、ぎゅっと!(゜∀゜)」
「……僕の私物?」
魚でもつかみ取りするかのようなジェスチャーをするりあむから、何やら聞き捨てならない単語が聞こえ、嫌な予感がして手元の携帯端末から自身のチャンネルを確認する。するとタイトルのない限定公開の配信枠が立ち上がっており――何故か、見覚えのあるトランクスが一枚映っていた。
「僕のパンツ!?」
「必要になるって話だから、貸した」
「安心して! 非公開設定だから誰にも見られてないぜ!(`・ω・´)b」
「それでも自分のパンツがネットに映ってるのは普通に嫌なんだけど!?」
『あー……つまり怨霊の正体は勇志の厄介ファンってことですの?』
「そのとーり!( *´艸`)」
「配信消してくる!?」
毛布を脱ぎ捨てて自身の作業部屋へと駆けていく勇志。その背中を見送りながら、白羽は溜息をついた。
『……とりあえず、地区担当のアヤカに連絡入れておきますわ。りあむ、ネット回線の霊脈封鎖をお願いしますわ』
「らじゃーだぜ当主!(`・ω・´)ゞ」
「ありがとう、二人とも」
そう言って、織迦は小さく頭を下げた。
その後、りあむによってネット回線からの霊的アクセスは封じられ、吉川家は平穏を取り戻した。勇志の配信は恐いもの見たさの視聴者が一時増えたが、あの日以降妙なものが映り込むこともなくなったため、時間はかかったものの次第に落ち着いていったのだった。





