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066:笑いの神・ものもらい・王水

 焦熱地獄――鉄鑊処。

 復讐を正当化し、それを他者に教え説いた者が堕ちる地獄である。ここに堕とされた亡者は熱した赤銅が煮えたぎる六つの大釡に放られるという責苦を受ける。

 一つ一つが湖ほどの大きさもある釜の合間を、とある三人が歩んでいた。

「いやあ、ご足労お掛けして申し訳ないねえ、キシの旦那」

 先頭を進む、きつめに脱色した金髪に全身ピアスだらけにしたちゃらちゃらとした雰囲気の男――神ン野悪十郎。地獄を統括する二大魔王の一体である。

「問題ない。そもそもが我々死神局から頼んだことだ」

 その後に続くのは黒いフードを被ったむっつりとした表情の男。死神局ナンバー2、局長補佐を務めるキシ。

「……面目ない。某らの管理がふがいないばかりに」

 しんがりを歩むのは額から大樹の枝のように節立ち捩じれた角を生やした鬼――神ン野一派に所属し、焦熱地獄の獄卒を統べる任を与えられている茨木童子の黒鋼丸。かつては現世にて強者と刃を交え己の力を鍛えるためとある鬼族と行動を共にしていたが、それを悪十郎に引き抜かれ、刑場の統括を任せられるまでになっていた。

 そんな彼が言葉通りの苦渋の表情を浮かべる理由というのが、今彼らが目指す最奥の釜「多饒悪蛇」にあった。まだ距離があるが、既に亡者の悲鳴と呻き声が彼らの耳にまで届いていた。

「……あれか」

 そのまましばし歩き、辿り着いた釜の縁から中を見下ろす。

 赤々と煮えたぎり、絶え間なく底からあぶくが昇る海の中央。赤銅の海面に不自然な鈍色の球体が浮かんでいた。そもそもの釜が巨大であるため遠近感がおかしくなるが、それでも直径数十メートルはあるだろうか。

「あそこまで行く手段はないんで、飛ぶか泳ぐか歩いていくしかないっスけど」

「問題ない」

 悪十郎が釜を指さしながら肩を竦めると、キシは一度頷いて見せた。そしておもむろに異空間に手を突っ込み鎌を取り出し――次の瞬間、三人は球体の真上にいた。

「うおっと!?」

「……転移!?」

「現世と冥府を行き来する死神にとって空間の掌握は基本技能だ」

 球体の表面に降り立ち、直に触れる。周囲は熱された赤銅の蒸気により生身では一瞬で肺が焼け爛れそうな温度にもかかわらず、その球体はむしろ冷気を放ってすらいた。

「おい、開けろ」

 三人の接近には既に気付いているだろうに何のリアクションを示さない球体の主に命じる。しかしそのまま何の反応もなかったため何度か靴の底でガンガンと小突くと、渋々といった具合に球体の天辺に円形の穴が開いた。

 その穴に身を投じると、中は大量の書物や実験器具で溢れ返り、それらで部屋そのものが構成されてすら思えるほど敷き詰められていた。外気の身を焼くほどの大気とは打って変わって、球体の中は適温で保たれている。その地獄を舐め腐った態度に、キシの後に続いた二鬼はむっと顔をしかめた。

「やあ。魔王神ン野に焦熱の頭領、さらには死神局長補佐殿までいらっしゃるとは。この罪人に何か御用かな?」

「……白々しい」

 知識欲の権化のようなその部屋の中央――一際うず高く積み上げられた書物の塔の山頂に、白衣を羽織った痩せた男が座っていた。


「貴様の受刑態度に問題があると報告が上がっているぞ。相変わらずのようだな、工藤快斗」

「おやおや、この俺の死亡時の名は瀧宮快斗だぞ、ご先祖様」


 ニイ、と極彩色の右目を細めながら錬金術師は小憎たらしい笑みを浮かべた。

「貴様を瀧宮として認めるつもりはない」

「だがこの俺を伴侶として選んだのは貴様の子孫だ。貴様の大切な大切な局長殿との血筋にこの俺の血が子々孫々と混ざり続ける。受け入れたまえよ」

「…………。そういう話をしに来たのではない」

「ほう?」

 一度深く息を吸い、吐き出す。この世で二番目に嫌いなこの男と不要な問答を続けるつもりはない。

「随分と地獄で好き勝手やっているようだな」

「ああ……ここ地獄はいいところだ」

 うっとりと、快斗はうそぶく。

「なんせそこら中に知識と記憶の残滓が溢れている。責苦で削られ粉々になった人格の破片や転生時に摺り潰された知識経験の塵芥、誰ぞがものもらいに罹ったという噂話から禁薬の調合方法まで古今東西千差万別だ。それ一つ一つは使い物にならん堆砂も同然だが、この俺にかかれば組み合わせ次第で砂金の山と化す。無限に湧き出でるこの知識欲を満たしてくれるいい環境だ」

「なるほど、確かにこれは受刑態度に難ありか」

 ふん、とキシが鼻を膨らませ眉に力を籠めた。同時に悪十郎と黒鋼丸の纏う空気がピリリと張り詰める。

 それをキシは片手を上げて制した。

「その様子では何千年経とうが刑期の終わりを迎えることはないぞ」

「全く問題ないな。この知識の吹き溜まりにいられるのなら、何万年でもこの釜に浸かっていよう」

「これを浸かっていると言っている間は刑期は減らん。……まあいい。貴様が死んでも碌なものにならんということくらいは想像できたことだ」

「それで? わざわざそんなことを聞きに来たわけではあるまい。そんな話は鬼どもから呆れるほど聞いて飽きているんだ。語る者が変わったところでこの俺の態度を改められると思うなよ」

 書物の塔の上から快斗がゆるりと笑みを浮かべて見下ろした。

 はあ、とキシは深い深い溜息をつく。

「もはや貴様にそのようなことは期待していない。王水を平気な顔で飲み干すような錬金術師に呵責など無意味。だが一度特例を認めると芋蔓式で特例が積み重なるのは瀧宮羽黒の例をみれば嫌になるほど痛感する。貴様は世界が終わるまでこの釜の中で無意味に知識を溜め込んでいろ」

「それは嬉しい話だ。世界の終末の観測はこの俺も未経験だ」

「故に、貴様に求める物はただ一つだ」

 ふっとキシの姿が消え――そして次の瞬間には鎌を快斗の背後に現れ、首筋に鎌を押し当てた。


「瀧宮白羽の魂はどこだ」


 ぞわりと黒鋼丸の背に冷たいものが奔る。

 鬼の纏う妖気とは全く別の、死そのもののイメージを強引に押し付けるような暴力的な圧。

 しかし快斗は全く堪えていないかのように、鎌の刃をそっと指の腹で押し返した。

「無意味な脅しはやめたまえよ、死神局長補佐殿」

「脅しだと思うか」

「脅しだよ。何者よりも規律を重んじる貴様が、冥王に無断でこの俺の魂をかき消すことなどありえない。幼き頃ならばまだしも、今のこの俺に効果があると思うな」

「貴様の扱いは俺の裁量によるものであるとしてもか」

「ブラフだな。この俺の元には冥府のありとあらゆる知識が、情報が集まっている。他の亡者に対してはその程度の処分権限は与えられているだろうが、この俺に対しては別だ」

「…………」

 キシが一層苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。背後に立たれ目には見えないが、快斗にはそれが手に取るように分かる。それと同時にからかうのもこの辺にしておこうと肩を竦めてみせた。

「だがまあ、万が一ということもあるからな。大人しく回答することとしよう。知識ある者はそれを伝達する責務が生じる。知識の秘匿は罪だ。元々秘するような内容でもない。問われれば答えるだけだ」

「……最初からそうしろ」

 キシの持つ鎌が霧のように消え去る。

「それで、瀧宮白羽の魂はどこだ。あの日――瀧宮白羽の仮初の肉体が稼働限界を迎えて以降、その所在が全く掴めない。貴様、何か知っているか」

「言葉を選べ、死神」

 ぎゅるり、と快斗が首を捻り背後のキシへ極彩色の右目を向ける。

「稼働限界ではない。あれは老衰による寿命だ。白羽は子と孫とひ孫と友に囲まれ、笑って死んだんだ」

「…………。それはすまなかった。それで、奴の死後の魂の行方は知っているのか」

「ああ、当然知っている」

 快斗の瞳がゆるりと細められる。


「あの日以降、白羽の魂を観測できないのだろう? 当然だ。なんせあいつは今や時間という頸木から解き放たれ――旧い友人と旅に出た。いつ帰ってくるかは……さて、この俺にも分からんな」



          * * *



「人間にとって最も尊いものは何だと思います?」

 大勢の観客が集う舞台の上に、どこからともなくスポットライトが当たる。

 その中心にはタキシードを身を包み、ステッキ片手にカールした付け髭を口元に当てた女性が立っていた。

「お金? 名誉? 贅沢? No、Non、Nein、Oxi、Hayir、Het! それらは過程に過ぎないのです! 真に尊いものは『笑顔』です!」

 カツンカツンと彼女の踵から軽やかな音が鳴り、華麗なステップが奏でられる。

「笑いましょう! 笑って吹き飛ばしましょう! どんな苦難も笑えば乗り越えられます!」

 カツカツカツとステップはより軽快に、滑らかに鳴り響く。

 そしてカツン! と一際大きく踵を鳴り響かせると同時に――ぼふん、と盛大な放屁音が轟いた。

「Ouch!」

 彼女は天を仰ぎ顔を手で覆う。

 もちろん、演出である。

 観客たちを笑顔にさせるお道化た脚本だ。

 ああ、観客たちの笑い声が、笑顔が手に取るように伝わってくる。

「そう、笑いましょう!」

 彼女は腰を振り、ステッキを回し、再び舞台で踵を鳴らす。


「どんな苦痛も、貧困も、差別も、格差も、理不尽も、不利益も、暴力も、旱魃も、焦土も、大火も、大水も、塩害も、大潮も、沈没も、噴火も、地震も、汚染も、汚濁も、疫病も、叛逆も、内乱も、大戦も、破綻も、殺戮も、壊滅も、全部全部、笑えば乗り越えられる!! だから――笑えよ?」


 ピタリと動きが止まる。

 観客は――舞台の観覧席に空席無く並べられた彼らはヒクリとも笑わない。

 笑えない。

 もう笑うことはできない。

 彼らにはもはや一欠けらの意識も、一握りの尊厳も、一滴の生命も残っていない。

 皆一様に座席に四肢を杭と鉄線で縫い付けられ、蟲も湧くことなく朽ちていた。

「オイオイオイオ? もうへばっちまったのお? まだまだ笑いの神様ジリョーラ・チェシャーの〝喜劇〟はこれからなんだよ!?」

 やれやれと彼女は肩を竦める。

「とは言え、もうこの世界での公演は今日が千秋楽だし、仕方がないか。うん、気を取り直して次の脚本と舞台を練ろうか! 今回の世界は思ったよりも実入りが良かったし、次はもう少し遠くへ足を運ぶのも」


 ぴたり。


 彼女の独白が止まる。

 否。


 彼女の全てが止まる。


 鼓動という鼓動が、脈動という脈動が、運動という運動が、反応という反応が――概念という概念が〝停滞〟し、停止する。


 がらん、と彼女の首が転がった。

 それにすら、彼女は気付かない。

 完全に止まった世界で、彼女――「喜劇の魔王」ジリョーラ・チェシャーは意識が途絶えた。


「…………ひとあ、し……遅かっ……た…………」


 完全に〝停滞〟した世界でがらがらと崩れていくジリョーラの体を眺めながら、黒いセーラー服と赤いマフラーに身を包んだ薄水色の髪の少女はとても残念そうに溜息をついた。

 キチチチと音を鳴らしながらジニョーラの胸に突き刺した小さなカッターナイフの刃をしまう。

「……この世界の……チュロス…………おい、しかったか、ら……白羽ちゃんにも、食べてもらいたかった……」

「それは残念ですわ」

 ふわりと少女の背後に白髪の女性が舞い降りた。

 その瞬間、観客たちを縛り上げていた杭と鉄線が細切れになった。

「…………後で、〝魔帝〟の、お兄さん……に、お、お願い……しないと…………」

「ええ。生き残りの捜索と保護……それが叶わないなら、世界ごと火葬していただきましょう。旧世界をどっかのピエロのように悪用する輩がいるかもしれませんからね」

「……うん……」

 白髪の女性は観客席に手を合わせ、小さく礼をする。それを見た少女も見よう見まねで頭を下げた。

「さて、この世界は残念でしたが……次の世界に参りましょうか」

「……! うん……! つぎ、は、ね……おっきな、氷の滝がある世界なんだけど……! すっごく、綺麗で……!」

「……思うに、その滝はグレンちゃんがいたから凍ったのではなくて?」

「…………あう…………」

 しょぼんと口をすぼめる少女。それを見て女性は肩を竦めた。

「でも白羽がいれば凍っていない滝が見れますわよ」

「……うん! たのしみ……!」

 頷き、少女――「紅蓮の魔王」野薔薇凛華は空間に手を突っ込み、〝停滞〟させ、凍てつかせ砕き、穴へと身を投じる。

 そしてその後を白髪の女性――瀧宮白羽は苦笑しながら追いかけるのだった。

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