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064:緊急発表・道着・テトロドトキシン

「き、きんきゅーはっぴょーをします」

 隈武家の経営する料亭の最奥個室で乾杯もそこそこに、美郷が緊張の面持ちで小さく手を挙げた。

「ワタクシ兼山美郷、先日無事ニ婚姻届ケヲ提出イタシマシタ」

「…………」

「…………」

 ぐびりと上品なグラスに注がれたビールを喉に流し込みながら羽黒と昌太郎は顔を見合わせた。

「そういやお前らまだだったのか」

「くっついて10年以上経ってっから、もうとっくにそう言う間柄かと思ってたわ」

「ちょっと!?」

 くわっと美郷が歯をむき出し死にして食って掛かる。

「あたしがどれだけ緊張してこの報告会セッティングしたと思ってんの!!」

「ショウ、次何飲む?」

「オレもう一杯ビール頼むわ」

「あいよ」

「聞け馬鹿ども!!」

 男二人が食い散らした串焼きの串をむんずと掴み投げつける。コンクリートの壁くらいなら貫通しそうな勢いのそれを各々龍鱗と言霊の壁で受け止め、やれやれと顔を見合わせた。

「聞いてるじゃねえか」

「聞く姿勢がなってない!」

「つっても、お前らが今更籍入れたって言われても『そうか』としか感想出ねえんだわ。お前もう30だろ」

「強いて言うなら、明志のやつ日本帰ってくるんだなってくらいだよな」

「ウチについての感想は!?」

「明志、この道着チビに婿入りとか大変だなあ、としか」

「誰が道着チビじゃ!?」

「失礼します。ビールお持ちしました」

 個室の扉の向こう側から声がかかり、美郷は荒げた声を一度引っ込めて深呼吸をする。この二人がこういう性格であることなんて分かり切ったことじゃないか、と冷静に自分に言い聞かせた。

 空になったグラスを交換し、羽黒と昌太郎が再び半分ほど煽る。料亭隈武屋の本館ということで別に飲み放題というわけでもないのに、普段と変わらないピッチで飲みすすめている。こいつらまさか割り勘にする気じゃあるまいなと美郷は眉を顰めた。

「ま、何にせよおめっとさん」

「式の予定はあるのか」

「……考え中」

 一応これでも月波の守護を担う五家の一角の当主であるため、形式的であれ挙式は上げるべきとの声も上がっている。しかし美郷が伴侶に選んだ――自分としては、選んでくれたという感覚なのだが、相手が少しばかり特殊だった。

「まあ、明志はなあ」

「昔と比べたらそういうのにも配慮されるようになってきたつっても、まだまだ浸透してるとは言い難いしなあ」

 美郷の書類の表記上の夫となった相手は、旧姓駒野明志――彼は幼少の頃から女性の容姿に対し強い憧れを抱いていた。LGBTQのQであり、恋愛対象としては男女どちらでもよく、それよりも自分の外見を女性に近付けたいという欲求があった。あくまで「近付けたい」というだけで「なりたい」とは少し違うそうだ。それは今でも健在で、ハワイでそう言った性的マイノリティを対象にしたファッションブランドの事務所を立ち上げて活動していた。それが向こうでの仕事が一段落ついたということで帰国し、デザインの仕事は続けつつ兼山家に「嫁ぐ」こととなったのだった。

 そしていざ挙式となると、彼、否、彼女の衣装のことで一悶着起きそうだと三人は難しい顔をした。

「洋式にしろ和式にしろ、明志に羽織袴だのタキシードだの強要させるのは違うよなあ」

「ウチがそっち着る分には全然歓迎なんだけどねえ。むしろウェディングドレス着たあっちゃんをお姫様抱っこして入場したい」

「どういう欲求だよ。……問題は各家のジジイ共か。穂波はともかくとして、俺んトコも白羽が襲名した時についでに一掃したから風通しは良いんだがな」

「……それでも、本家がそういう風潮になってくれたから分家としては動きやすくはあるよ。白羽ちゃんには感謝してる」

「となると、問題は大峰(ウチ)隈武(ここ)か」

 口角が軋むような獰猛な笑みを浮かべ、昌太郎は肴を口に放り込む。

「大峰家はこの際どうでもいい。オレがカシラでいる以上文句ひとつ言わせる気はねえ。だが隈武家の年寄り連中がへそを曲げるのは避けるべきだろうな」

「……だな。兼山当主の祝宴の席に隈武以外の店の料理を出すわけにもいかん」

「そんなことしたら笑顔でふぐ刺しふぐ毒(テトロドトキシン)付きで出してきそう……」

 うーんと三人は額を突き合わせるように考え込む。

 現当主の隈武潤平は八百刀流としては異端とも呼ばれるほど穏やかな気質の持ち主だが、それはあくまで表向きの料亭「隈武屋」経営者としての話だ。隈武の本領であるところの戦況把握と陣頭指揮ともなると非常に冷徹かつ冷酷に戦場を支配し、ありとあらゆる被害を抑えつつ最大の戦果を挙げる稀代のやり手であった。

 彼が腰を痛めてからは、実際の指揮系統は前当主が代理で取り仕切っているが、それはそれで億劫である。美郷も昌太郎も当主と当主代理として顔を合わせる機会はあるが、話せば通じる柔軟性は持ち合わせてはいるものの、根幹の部分は頭が古い。万一話がこじれると面倒なことになりかねない。

「……隈武と言えばさあ」

 話し合いの最中にも次々に注文した料理と酒が個室に運ばれる。三人はそれを次々に平らげ、徐々に酔いが回る。美郷はふと思い出したことを口にした。

「宇井ちゃんいるじゃん。あの子、あっくん……あっちゃんの弟といい感じって聞いた?」

「あー、なんか梓経由で薄っすらと」

「それがどうした」

「そこからこう、いい感じにほだせないかな」

「うーん……」

 羽黒は追加で注文した清酒をお猪口に注ぎながら唸る。

「どうだろうな。あのババアは孫だろうが贔屓はせんだろ」

「だよねー……」

「つーか、もしそうなるなら駒野家はどっちも婿に出るのか」

「ん? ああ、そういやそうだな」

「あら意外。ショウちゃんって婿取りとか家系云々って気にする性質じゃないでしょ」

 美郷が不思議に思って訊ねると、昌太郎は「まあな」と肩を竦めた。

「だが駒野家は少し思うところがある」

「というと?」

「明志の祖父は元々は大峰に仕えていた犬神だ」

「そうなの!?」

 初めて耳にした情報に美郷は驚愕で目を丸くする。羽黒を見ると、彼もまた驚いたようにぽかんと口を開けていた。

「今となっては知らん奴の方が多いだろうな。多分明志も弟も知らんだろ。二人の母親は祖父の血を受け継いで人狼として生まれたが、もしかしたらそこから伝わっていないかもしれん。オレも疾風から伝え聞いた程度だしな。もう随分昔に人として生きるために大峰を抜けて駒野として生きていたらしいが、その血筋が兼山と隈武へと辿り着くとなると、不思議な気分にもなる」

 訥々と酒のグラスをなめながら語る。普段であれば絶対に語らないであろう内容で、もしかしたら珍しく酔い始めているのかもしれないと美郷は苦笑した。

「そうだったんだ……それはより一層、幸せな家族にしなきゃね」

「一応言っとくが、他言無用だぞ。明志のじーさんが死ぬまで秘密にしてたんなら、そのままにしとくのがいい」

「分かってるわよ」

 それくらいは流石に弁えている。美郷は深く頷く。

「で、結局、式をどうするかは隈武のババアへの説明に掛かってるってことになるのか」

 話題がとっ散らかり始めたところを羽黒が改めてまとめ、二人は溜息をついた。

「オレあのババア苦手なんだよな……」

「ウチら三人であのおばあちゃん得意なやついないでしょ」

「よその家のやつだろうが関係なく悪いことは悪いって鉄拳制裁してくるからな。太歳の時とか、隈武関係ねえのに一番怒鳴られた気がする」

「やめてよ、思い出させないで……」

 今思うと立地的にも相当危険な秘密基地遊びであったと反省している。いくら次期当主として修業を積んでいたとは言え、クマも野良妖怪も出没するところでよく子供だけで遊んでいたなと思い返すとヒヤリとする。

「ラストオーダーのお時間となりますが、追加のご注文はございますか?」

 と、扉の向こうから店員の声が聞こえてきた。言われて各々時刻を確認すると、いつの間にか随分と話し込んでいたらしく、店仕舞いの時間が見えていた。

「っと、こんな時間か」

「流石にもう満足だな」

「すみません、水だけいただけます?」

「はーい」

 そう伝えると店員はパタパタと足音を立てて遠ざかっていった。普段はあまり飲まない美郷であったが、馬鹿みたいに呑む羽黒と昌太郎に釣られて少々深酒をしてしまった。ほんのり体が熱く、視界がふわふわとしてきた。

 そんな状態だからか――ラストオーダーを取りに来た店員がこの日初めて聞いた声であることに疑問を持たず、またどこかで聞き覚えのあることに、三人とも気付かなかった。


 そして後日、式についての相談を改めて隈武家当主代理に持ちかけた際、気味が悪いほどにすんなりと話が通ったことに、美郷は怪訝な表情を浮かべるのだった。

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