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062:マイホーム・年金・トリカブト

「最近ふと気になってたことがあるです」

 WING店内で商品の観賞用トリカブトに水を与えながら、紫がぽつりと呟いた。

「パパって年金ってもらえるんですかね?」

 ちらりと真奈と裕が視線を合わせる。

「その作業しながらだと意味深に聞こえるなあ……」

「マイホーム持ち、年収数千万単位、不満でもある?」

「やっぱり性格……?」

「紫ちゃんもついに反抗期かあ」

「え、いや!? 違うです!?」

 思わず首と共に手を振ってしまい、持っていた水差しの中身を盛大にぶちまける。それを「あぁ!?」と小さな悲鳴と共に目で追うと、床にこぼれる直前にふわりと水の球と化した。そして時間を巻き戻すように宙を漂い、水差しの中へと戻っていった。

「ナイスキャッチ、朝倉」

「ご、ごめんなさい真奈さん!」

「んーん」

 ゆるりと笑みを浮かべながら真奈が手のひらに浮かべていた魔方陣をかき消す。

「それで、羽黒さんが年金もらえるかって話?」

「あ、はいです。今学園の授業でそういうこともやってて」

「なるほど……」

「確かに重要だね。僕らん時ってそういう授業なかったよな」

「そうだねー……」

 苦笑しながら顔を見合わせる真奈と裕。この店は真っ当な経営方針とはとてもではないが言えないが、普通の社会に出た同期生から「学校で教えてくれないくせに社会に出たら常識扱いされてるのなんかムカつく」と愚痴を聞いたこともある。その頃と比べたら幾分かはマシになったようだ。

「まあ端的に結論から言うと……もらえないよ。羽黒さんは」

「あ、やっぱりそうなんですか」

 真奈が答えると、紫は複雑な表情を浮かべる。なんとなく想像していた通り、もらえないらしい。

「……というか戸籍上羽黒さんって死んでるから」

「死人に支払われる年金はない」

「え、あ、そうか!?」

 言われてはたと気付く。当たり前のように一緒に暮らしているため忘れがちだが、数年前のあの日、羽黒は一度死んでいる。それは書面上でもそうであり、公的には既に死亡扱いなのだ。

「あれ、でも真奈さん、パパって納税ってどうしてるです?」

 この国に住んでいる者ならば発生する義務――納税。普段の買い物から所得に至るまでありとあらゆるものに課税されているが、その辺がどうなっているのか紫は知らなかった。

 うんと頷き、真奈が続ける。

「もちろん払ってるよ。その辺は店全体で管理してて、今はわたしともみじさんがやってるね……」

「し、死んでるのに……?」

「……そうだねー」

 言いたいことは分かる。書類上では死んでるはずの人間が税金を支払うとはどういうことかと。

「まあその辺に関しては月波市が特殊だよな」

「だねー……紫ちゃん、この街に住む人外は主に4パターンあるんだけど、分かる?」

「え?」

 急に問われ、紫は慌てて指折り数える。

「えっと、まずは神様とか幽霊とか、ガチ人外ですかね?」

「正解。ホムラ様とか、山の方に住んでる妖怪が該当するわけだけど……彼らは基本的に納税の義務の対象外です」

「そもそも戸籍がないからな。自由気ままに好き勝手生きてる分、公的な支援は受けられないけど。あと3つだね」

「んー……あ、人外だけど、人として暮らしてるヒトたちですね」

 紫の脳裏に友人の咲と陽菜、そして裕の妻であるビャクが思い浮かぶ。彼女たちは人間ではないが、人として生き――人として死んでいく。

「この辺から納税の義務が発生するね」

「あ、なるほどです。人として生きてるなら戸籍もあるわけですしね」

「あと2つ……一つはちょっと特殊ケースだけど、片方が羽黒さんのケースだね」

「えっと……つまり、戸籍はないけど納税の義務があるパターンです?」

「その表現は厳密には誤りだね」

 苦笑しながら裕が言葉を引き継ぐ。

「羽黒さんの戸籍は確かに死亡扱いだけど、存在しないわけじゃない」

「ほえ?」

「正式な名称はないけど……というか、正式な名称を付けられないんだけど、いわゆる『裏戸籍』があって、羽黒さんはそっちでは今も生きてることになってる」

 月波市には人として生き人として死ぬ妖たちが大勢いる。一方で、人の社会に交わりながら、人として死ぬことなく永きに渡り生きている者たちもまた、一定数いる。そんな彼らに与えられているのが「裏戸籍」である。

「当然ながら彼らの外見年齢は実年齢と乖離してるわけだけど……でもだからと言って、街の外で堂々と数百歳の身分証を提示するわけにはいかないでしょ?」

「確かに、ワケ分からんことになるですね……」

「そこで月波市役所から発行されてるのが裏戸籍用の身分証明。表記としては外見年齢通りの身分証明で、役場にもその通りで登録されてる。けど特定の術式を介すことでその裏側の本当の登記内容を確認することができるんだ」

「ほえー、そうなってるんですね……それで、パパはそのパターンで登録されてると」

「そういうこと。で、この裏戸籍の表側は10年に一度更新されて、常に外見年齢相応の生年月日に改められる。だから羽黒さんは役場的には常に45歳くらいで居続けるから、年金はもらえない。けれど月波市の住民として住民税とか所得税は納税の義務があるので、それらはちゃんと支払ってる」

「ちなみにもみじさんとか……あと紫ちゃんが知ってる学園関係者だと、鍋島先生がここに該当するかな」

「ついでに付け加えると、月波市でも1000人ちょっとしかいないらしい。まあ元々勝手気ままに生きてる妖たちは一つ目のパターンを希望することが多いから、こっちはそもそも少数派なんだろうね」

「なるほど! 理解出来たです!」

 はい! と元気よく手を挙げて礼をする紫。その理屈で言うと、最近紫が仕事先で拾ってきたきさらぎ駅の樹希もこの辺だろう。

 ふと、紫がもう一つ首を傾げ、訊ねる。

「さっき4パターンって言ってたですけど、あと一つ、特殊パターンって具体的にはなんです?」

「ああ。もう一つは――」

 言いながら、裕はちらりと真奈を見やる。

「4パターン目は本当にごく少数。役場的な取り扱いは3つめとほとんど変わらないんだけど……人と同等の寿命だけど、老化や成長が止まってしまった、もしくは極端に遅いパターン……つまり、わたしだね」

 言って――真奈は小さく苦笑を浮かべた。

「わたしの場合はこの姿のままお婆ちゃんになる可能性が高いから、年金はもらおうと思えばもらえるね。まあそのためには外見年齢を一時的にでも操作して表向きの戸籍と合致させる必要があるから……もらうかどうかは、その時になってみないと分からないかな」

「案外このままあっさり人間卒業しちゃって3つ目のパターンになる可能性もあるしな」

「ああ、それも考えておかなきゃね……」

「当たり前みたいに言ってますけど、とんでもないことだと思うです……あれ?」

 と、すぐに何かが引っ掛かったのか、再度小さく手を挙げて二人に訊ねた。

「紫、15歳で成長止まってしまったわけですけど……紫の場合はどうなるです?」

 あー、と真奈と裕が顔を見合わせる。

「今のところは普通の戸籍管理のはずだけど」

「……高等部卒業したら、多少童顔の成人(18歳)っていう裏戸籍に分類されることになると思うよ。ちなみに、裏戸籍の登録は結構煩雑な手続きと審査が必要だから、今のうちに覚悟しててね」

「ひえ……あんまり聞きたくなかったです……」

 そう遠くないうちに訪れる書類仕事を宣告され、紫はぐったりと肩を落としたのだった。

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