057:ボーナス・顕微鏡・ベラドンナ
「紫、そろそろ次の新しい技が欲しいと思うです!」
「「…………」」
ある日の雑貨屋WINGの昼休憩。
この日シフトに入っていた裕と真奈に対し、紫はぐって握り拳を掲げて宣言した。
しかし。
「この前ボーナス入ったけど、朝倉は何か買う?」
「わたし、ベラドンナの苗木を取り寄せようかなって……最近、薬草魔女のレシピに興味があって……」
「あー、確かに魔女と言えば薬草はザ・王道だよなあ」
「ユッくんは……?」
「しばらくは火里の入学金の貯蓄に回すかなあ。本当は手術用の顕微鏡が欲しいんだけどね。魔導具の調整も素手と肉眼じゃそろそろ限界が見えてきたから」
「そういうことなら言ってくれれば経費工面するよ……? 魔導具に改造するなら中古の方がいいよね?」
「お、マジ? じゃあ今度ちょっと調べてみるわ」
「紫は新必殺技が欲しいです!」
「「…………」」
誤魔化されなかったか、と二人は視線を交わして肩を竦める。
「一応聞くけど、何それ」
「ほら、この前みんなで梓おばさまの応援に天下一魔王武闘会行ったじゃないですか。紫は、まあ、梓おばさまにワンパンされちゃいましたけど……」
「ああ、あの交通事故」
「それで……?」
真奈が先を促すと、紫はこくんと頷いた。
「予選で敗退してしまいましたけど、紫、あの大会は観戦するだけでも得るものはあったと思うです」
「お、いい心掛けだね」
「何百もの魔王や魔王級実力者が集まった大会で、紫は気付いたんです……やはり紫に足りないものは必殺技なのだと!!」
「「…………」」
そこに辿り着いちゃったかあ、と二人は再び溜息をついた。
「正直なところ、パパとママからもらったこの『体』はそろそろ成長の頭打ちが見えてるです」
「それはそうだね……龍鱗と吸血鬼の再生力の合わせ技は既に反則級だし……」
「なので紫が次に磨くべきは『技』ではないかと。前に梓おばさまと竜胆おじさまにヒントをもらって編み出した『鬼の絲』の修練は今のところ順調です。特に屋内戦では汎用性が高いですし、紫の経験不足を不意打ち戦術でカバーできるのが強みですね」
「まあ、それは確かに」
最初こそ扱いきれずにうっかり竜胆を輪切りにしかけた危険度の高い技ではあったが、その後の訓練の成果から切れ味と強度、本数の調整を身に着けることができた。今では対象を傷つけずに拘束することも可能となっている。
「魔王の皆さんの技はざっと見渡しただけで千差万別だったです。紫も、すぐにあの領域まで察することは出来ずとも、目標にするくらいの修業はしたいと思いまして」
「魔王を手本にするのもどうかとは思うけど……いや、そもそも羽黒さんも今や魔王っちゃ魔王なのか」
「もみじさんも元がつくけど魔王級だしね……」
「うーん、まあ、そうだなあ」
がりがりと頭を掻き、そしてふうと裕は溜息をついた。
「ま、アドバイスくらいはするよ。変な技編み出して自滅するのも良くないし」
「……それじゃあ、午後の営業が終わったら下の訓練場に行こうか」
「はい! よろしくお願いするです!」
* * *
「一口に魔王の『技』と言っても、大きく分けて三通りあるのは知ってる?」
「三通りですか?」
その日の閉店作業後、三人は地下に設えた瀧宮家の亜空間技術を使った訓練場に降りた。
そこでまずは裕が紫に対し基礎的な質問を投げかける。
「一つは〝魔力操作〟だ。簡単に言えば単純な魔力放出による火力攻撃だね」
「あ、それは紫も得意です! 我が血に応えよ――龍刀【慚愧】!」
紫の紡ぐ言霊に呼応し、手に半ばで折れた大太刀が具現化する。
それを思いっきり振り上げ大太刀に魔力を込め――ぶん! と振り下ろした。
ちゅどおおおおおおおおおおおおおん!!
放たれた魔力が刃状に凝縮され、訓練場の壁に爆音と共に大きな亀裂を作り上げた。
「……相変わらずでたらめな威力だなあ。この部屋の壁ってそんな簡単に割れるような設計じゃないんだけど……」
「流石に本家魔王には及ばないけど、これもある種の魔力砲だよなあ」
「えっへん!」
紫が何故か誇らしげに胸を張るのを横目に見つつ、真奈が訓練場に魔力を流し込む。すると瞬く間に破壊された壁が修復され傷一つない状態に戻った。
「まあこれが分かりやすい〝魔力操作〟だね。ちなみに言うと、紫ちゃんの『鬼の絲』もここに分類される」
「そうなんですか!?」
「だってアレ糸状にした魔力を操作してるだけでしょ?」
「口で言うのは簡単ですけど、繊細な操作なんですよ!?」
「……そこが魔王と差別化できるポイントだよね。魔王は、繊細な操作って必要ないから……」
ともかく。
「それで二つ目だけど、図らずも紫ちゃんもうやったね。〝術式〟だ」
「あ、この太刀を召喚するやつですね」
「厳密には魔王の術式と人間の術式は少し別だけど……考え方自体は近いのかな」
さらに言うなら、紫の扱う術式は本家瀧宮家の抜刀術式とは若干仕様が異なる。
元々は紫が幼少の頃に羽黒が仕込んだ瀧宮の基礎中の基礎の術式だが、それ以上瀧宮の術式を扱えるようになってしまうと本家の跡目争いに巻き込まれる可能性があった。それを避けるため、羽黒は自分が教えられる最低限の部分だけを伝授させると、あとは紫の自己研鑽に全てを任せることにした。
その結果、紫の致命的なセンスと相まって瀧宮の術式とは似て非なる別のナニカとなって定着し、今に至っている。
「それで、三つめは?」
「三つめは〝異能〟だね。これについては紫ちゃんは既に十全以上に扱えてる」
「ん? あ、そっか。龍鱗と再生能力って〝異能〟ですね」
紫としては生まれた時から持っている能力であるため、〝異能〟と言われてもピンとこなかった。
「あと……〈龍化装甲〉は龍鱗の延長線上の能力だし……影に潜んだり渡ったりする力は吸血鬼の能力だね」
「あー、そう言えばあの辺もそうなんですね」
「無意識かあ」
逆に言えば理論も何もない状態であれほどのパフォーマンスを発揮していたということか。
今からでもきちんと理論に基づいた技術を身につけることができれば、自分では頭打ちだと考えているらしいフィジカル面もまだまだ伸びそうだと裕は苦笑する。
それはとりあえず置いておくとして、今この我儘姫が求めている物はそういうコツコツとした鍛錬に基づいた成果ではないだろう。
「まあつまり、紫ちゃんは二つ目の〝術式〟が弱いわけだ」
「そうはっきり言われると微妙な気分になるです……」
「……でも、術式かあ……」
真奈が眼鏡の縁を指で押し上げながら難しい表情を浮かべる。
「ぱっとすぐに思い浮かぶのは魔術とか陰陽術だけど……」
「八百刀流関係はこれ以上教えられないしなあ」
「自分で言うのもなんですけど、紫、魔術適正びっくりするくらいないですよ」
いっそ清々しいほどの開き直りで自己申告する。
以前、と言っても結構昔。真奈が雑貨屋WINGの店長に就任して少しくらいの頃だろうか。まだ小さかった紫に真奈が簡単な魔術を教えようとしたのだが、横で見ていた裕がもう開いた口が塞がらないレベルで上手くいかなかった。裕自身も穂波の術式意外とは相性が悪い体質ではあるが、それに比肩するレベルで酷かったのだ。
ランタンほどの火を灯そうとすれば火柱が昇り、そよ風一つ起こそうとして部屋全体が爆風で包まれ、羽黒にバチクソ怒られた。
「……ん?」
いや待てよ、と考える。
あれは紫が就学前の話であったし、そもそも戦闘用の術式を編み出そうとしているのであれば火力が過剰に出る分には問題ないのではないか? 少なくともかめ○め波もどきの魔力ぶっぱよりは余程効率は上がるはずだ。さらに言うならば、今の紫は魔力糸をかなり自在に扱える程度の器用さを身に着けている。今ならば意外と何とかなるかもしれない。
「……やってみようか。紫ちゃん、ちょっと手出して」
「え? あ、はい」
「んで、朝倉。紫ちゃんの手の甲に初歩の初歩でいいから一番危険性の少ない攻撃系の魔方陣描いてみてくれない?」
「え……?」
裕が訓練場の端の作業台に置かれたペン立てから水性マジックを一本取り出す。それを真奈に渡すと、戸惑いながらも言われた通りごくごく基礎的な光を発する目くらましの魔術の魔方陣を白い手に描き込んだ。
「んで、紫ちゃんはその魔方陣を糸でなぞってみて」
「あ、はい!」
裕の意図が読めたのか、やや緊張した面持ちで魔力を練り、手の甲の魔方陣へと注ぎ込む。
「いきます!」
掛け声とともに魔方陣からほのかな光が発せられ――ぽん、と僅かな破裂音を立てて手のひらから小さな光の弾が照射された。
「あれ!? い、いけた!?」
「まだまだ」
裕はウエットティッシュを作業台から一枚引っ張り出し、紫の手の甲の魔方陣を拭い消す。
「そもそもそのセーラー服の魔導具は普通に使えてるわけだしね。用意された魔導具、魔方陣が正常に起動するのは想定内だよ。今度はさっきの魔方陣なしの状態で発動させてみて」
「りょ、了解です……!」
頷き、紫は再び手の甲に魔力の糸で紋様を描くように練り上げる。
が、先ほどよりも少々いびつで、線も太い。
「「…………」」
裕は無言で作業台に手を伸ばし、遮光性の高いサングラスをかける。真奈も眼鏡に仕込んでいた魔方陣を起動させて視覚の保護を済ませる。
そして。
ちゅどおおおおおおおおおおおおおん!!
「目がああああああああああ!?」
爆音を立てて魔術が暴発。スタングレネード並みの強烈な光を放ち、爆心地にいた紫の網膜を焼いた。
「だめかー。やっぱ自力での術式構築は向いてないなあ」
「……事前用意の魔方陣なら問題なく発動できるってことは、それはそれで使いようはあるけどね」
「だね。魔方陣をどこまで細かくできるかによるけど、仕込めるだけ仕込んで後は自分で把握して起動できるようになれば、それはそれで十分な強みだ」
「魔方陣を事前に仕込む専門家もいるくらいだからね……紫ちゃんはそっちを目指すのが良いのかもしれないね……」
「紫の今後について考えてくれるのはありがたいですけど、もう少し心配してくれませんかねえ!?」
涙を流しながらも早くも視力を回復させた紫の何を心配しろというのか。
二人は首を傾げながらそっと視線を交わすのだった。





